odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

柄谷行人「倫理21」(平凡社)-1

 1995年以降に行われた複数の講演を再構成したもの。当時のできごとが取り上げられているので、註などで補完しておくこと。
 責任や倫理を考えるにあたってカントの読み直しを行う。「批判」三書や「啓蒙について」「永久平和論(邦訳タイトルはさまざま)」を参照して、カントの道徳の解釈と現実性をみることになる。最終章にいたると、冒頭のテーマが大きく飛翔するのに驚く(しかし論理的で合理的)。

 責任や倫理を考えると、カントの批判が根本的である。通常、道徳は共同体的規範か功利主義とされるが、カントは、自らが自由(自発的・自律的)な主体であれ、他者を手段のみならず目的として扱えという。「主体」は20世紀の思想や哲学では否定されるが、他者との応答(そこからresponsibility=責任)でのみ立ち現れる。この理念を徹底していくと、国家や戦争の揚棄、資本制経済の揚棄することもしなければならない。なお、本書では道徳を共同体的規範として、倫理を「自由」という義務にかかわる意味で使う。通常の使い方と異なるので注意されたい。

 

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第一章 親の責任を問う日本の特殊性 ・・・ 日本では世間という主体も原理もない概念に基づく道徳が人を縛っている。子の責任を親がとる、親の責任を子がとるという特殊な「道義的責任」が生まれ、人を束縛している。それを批判し、他人を自由な主体として認めることは困難。とくにマスコミのスクラムがあったときなど。これは日本くらい。個人主義が生まれない。
(日本では行動の動機や原因を重要にみなす傾向があって、行動の動機や原因に理があれば、結果の評価を斟酌することがある。~~したけど〇〇の理由でやっかたからしかたない、とするもの。これは暴力や差別を助長する論理なので、止めないといけないが、なかなか困難。)

第二章 人間の攻撃性を認識すること ・・・ ある事象が起こると、原因と責任を混同することがある。原因は遡及的に見出されるもので、一意的に結果を生み出すものではない。原因は応用ができない。原因を認識するということと責任を追及することとを区別すべき。あと、啓蒙しても人間の攻撃性は残る。
(動物にも攻撃性はあって、ローレンツ「攻撃」などに事例がたくさんある。ただ、動物の攻撃性は一定の抑制機能があって、無差別殺戮には至らないのに、人間だけは平気で実行してしまう。これは啓蒙や教育でも克服しがたい。)

第三章 自由はけっして「自然」からは出てこない ・・・ 自由であると思っていても、人間に強いている構造があって、自由にはなかなかなれない。自然からはでてこない。ではどのように自由があるか。スピノザマルクス、カントらが考えたことを記述。

第四章 自然的・社会的因果性を括弧に入れる ・・・ 事柄を判断するときにいくつかの方法(認識的、道徳的、美的)があるが、倫理を考える時には、自然必然性(あるいは自然的・社会的因果性)をかっこにいれることが必要(たぶん運命とか本能とかを原因にするなということ)。そうすると自由を見出せる。カントは自由は義務から生じるというは、その義務は「自由であれ」に他ならない。この義務に基づく行動が意図に反する結果を生じたときに、自らに原因があると引き受けると責任が生じる。倫理的な責任は過程を考察し認識すること(自己弁護ではない)。
(よくある思考停止は、ものごとの判断基準と「おれの好き嫌い」におくこと。独我論功利主義の混交。きちんと考えていないことの証左であるが、そういう連中との会話や対話は困難で、合意形成はまず無理なんだよな。どうしようかね。)

第五章 世界市民的に考えることこそが「パブリック」である ・・・ カントは啓蒙を未成年から出ることといったが、集団(国家)は未成年状態が続く。国民の一員であるが、同時に世界市民コスモポリタン)として考えねばならない。通常言われる公共(ハーバーマスアーレント)とは異なるので注意。公共=公=国家になってしまう。価値判断には一定の評価基準があり、それを「共通感覚」という。多数の主観のあいだの対話と合意に基づき、変わり続ける普遍性(歴史性や地域性があるが、「他者」を考慮することで獲得可能)である。想定していない、いつか反論してくるかもしれない、ふいに現れる、自由な他者(とこうに見たいの他者)を認め、彼らとの合意形成を目指す。
(道徳は世間的共同体的、倫理は市民社会的(別の本では「社会」的とも)と区別する。)

第六章 宗教は倫理的である限りにおいて肯定される ・・・ 世界市民として倫理をふるまうのは不幸になりがち。倫理的であろうとすると、世間や共同体の道徳に反するから。自由であれという義務に反する(ことが困難)から。世界宗教は自由意志を否定したが、それは倫理に振り向かせるため。自由意志はないという認識で自由であろうとするときに、世界宗教は後押しする。
(自由意志の嘲笑やニヒリズムの発露として、「五十歩百歩」「どっちもどっち」の相対主義がでてくるが、すべてを等価にする相対主義は自己肯定に転化する。何もしないいいわけになる。たいていかれらは自由意志で判断していると思い込んでいるからなあ。またこういうのは全体や公のことを考えず、他人に迷惑をかけなければなにをしてもよいとする。これも他人の迷惑を無視しているだけ。自己弁護のみ。よく見かける光景。
 大岡昇平の「俘虜記」「野火」の読みがある。前者は「撃たない」ことを自由意志がないというところから考察、「野火」はなにも命じない「神」の視点で考察。後者には他者がいないので、小説のできは劣るとのこと。「俘虜記」はこれまであったことのない他者(アメリカ兵、日本のインテリや無教養者など)との対話や発見が書かれるので、小説としてよい。ああ、これを読んだから俺の「野火」評価は低いのだ。)


 第六章の倫理の実践=共同体の悪の事例として、水俣病があげられる。日本チッソの病院では水俣病の原因が有機水銀であることはかなり早い段階でわかっていた。会社はその報告をつぶした。煩悶した医師は、会社を通さないで発表する。そうすると、会社や労組からいじめられ、居住地(たいていがチッソ社員)で村八分にあう。それは予想された事態ではあったが、それでもなお市民社会の倫理を実践する。会社や地縁の共同体の善よりも、市民社会の正義を貫いたわけだ。このような勇気を持ちえたのはごく少数ながら、どの時代のどの地域にもいた。
 そういう倫理、正義の実行を支える力を、宗教が時に与える。本書にもでてくるように、イエスブッダもあの世のことはいわずに、倫理を実行することを命じた。つねに、今あることに対して倫理的にふるまうことを要求した。ここは重要で、著者もそのような倫理を命じる限りで宗教を肯定する。
 歎異抄に「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とある。「注意すべきことは、彼(親鸞)がこのように語った時点で、『悪人』とは、旧来の戒律から見て悪と見なされるような職業に就いている人々を意味していたということです。だから、そのような悪を免れている金持ちや支配階級が救われるなら、悪を強いられている人々が救われるのは当然ではないか、ということを意味するのです。」
 「悪」の意味を中世に引き戻したのは網野義彦だと思うが、その考えを採用。
 イエスも同様に、安息日などの戒律を守ったり教会に献金することも大事だが、それより目前にいる弱者(病人、老人、女性、子供など)や被差別者(取税人:ローマの手先機関であるので嫌われていた)を救うことが重要であるという。
 このような行為は共同体の秩序や善に抵触するので、嫌われ、ときに差別や暴力にあう。それでもなお倫理的にふるまい、正義を実行することが宗教上の意義があることを彼らは説いた。自分もここにおいて、イエスを肯定する(なので福音書しか読まない)。

 


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