odd_hatchの読書ノート

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柄谷行人「ヒューモアとしての唯物論」(講談社学術文庫)-1

 英語による講演草稿などを集めた前半と、それまで単行本に収録されていなかった論文を集める。1993年初出。「探求 II」や「戦前の思考」と同じ時期に書かれたもの。そちらを先に読んでいたので、似たような難解な話を繰り返すことになったので、とても散漫な読書でした。以下のサマリーは手抜き。

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I
個体の地位 1992.06 ・・・ 「探求 II」の「固有名をめぐって」「超越論的動機をめぐって」の超圧縮版。もともとが要約できなかったのにここまで圧縮されると、自分には歯が立ちません。

交通空間についてのノート 1992 ・・・ これも「探求 II」の圧縮版。「交通空間」に関するまとめ。歯が立ちません。

一つの精神、二つの十九世紀 1986 ・・・ 「一九七○年=昭和四十五年――近代日本の言説空間@終焉をめぐって」の前駆的な論文。西洋が日本を見る時、実在する日本ではなく、西洋批判としての日本。それは19世紀の江戸時代。18世紀以前には仏教や儒教のテクストで思考していて、外部をもっていた。理の徹底や批判が行われたが、19世紀の江戸では「ポストモダン」の時代になって美学的な言説になり、自己充足的なシステム、あらゆる外部を喪失してみずからの同一性の内に閉じた思考の形態にある。典型は九鬼周造のみた「いき」。江戸時代の遊郭で生まれた感受性で、超越的なものとの戯れ。
(これを読むと、現在の日本は1980年以降の日本は、1780年以降の江戸時代を反復しているようにみえる。2010年代の経済失速や緊縮政策や「日本スゴイ」言説などは、1810年代の江戸時代を再現しているのではないか。あと、
デカルトは、旅する異邦人として、われわれの考えることは各共同体に固有の習慣にすぎないのではないか、われわれは考えているのではなく、ある体系に従って考えるように仕向けられているのではないかと問い、疑った。デカルトが自分が夢を見ているのではないかと疑ったのは、これと同じことである。この疑いこそが〃精神″を構成したのである(P58)」
デカルトのみかたのよいまとめなので、メモ。)

エクリチュールナショナリズム 1991.08 ・・・ 「帝国とネーション」「文字論」「双系制をめぐって」@戦前の思考の圧縮版。ソシュールへの言及有。歯が立ちません。
(「西欧においても、ラテン語がどう発音されるかはどうでもよかった(P68)」。なるほど、今でも国によってラテン語を歌詞にする音楽(グレゴリオ聖歌や宗教音楽など)は国によって、合唱団によって発音が違うという。)

デカルト的コギト 1994 ・・・ 「超越論的動機をめぐって@探求 II」から、「伊藤仁斎論」を経由して、「双系制をめぐって」にいたるような議論。「帝国とネーション」を予告するような内容。

フーコーと日本 1991.11 ・・・ 西洋の思想家、知識人が日本を語るとき(ハイデガー、コジューブ、バルト、レヴィ=ストロース)、日本は西洋批判が投射された鏡。知的、道徳的な原理を無化した美学的な姿勢に魅かれると思われる。彼らはアメリカ嫌い。さて、フーコーは日本を語らなかった。むしろアメリカを好んだ。フーコーの権力論では、権力を「社会」に見る(国家に見ない)。中心的な権力という観念をフーコーは破る。権力の廃絶より権力の制限を重視する自由主義がある。
(後半は日本に中心や主体がないという話。ここはこのあとの「双系制をめぐって@戦前の思考」で、日本語の文に不変なものを見るという指摘の方が面白いので、サマリーは割愛。フーコーの権力論は知らないので、上のようなことだけメモ。)
II
ヒューモアとしての唯物論 1992.09.10 ・・・ ヒューモアは「親が子を見るような」「自己であり他者であるような」精神的姿勢から生まれる。ヒューモアは他人も解放する(イロニーは他人を不快にする)。メタレベルに立つようであるが、メタレベルがないことを示す。ヒューモアはある立場ではなくて、ある精神的な運動。スピノザ、カント、マルクスらのヒューモアもそういう運動にある。


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2018/11/27 柄谷行人「ヒューモアとしての唯物論」(講談社学術文庫)-2 1993年に続く