続けて「言語・数・貨幣」。この単位というか要素が主題になるのではなくて、これらを摘出する「形式化の徹底」十自己言及的なパラドックスを体系に見出すこと。それによって体系を支える思考を見出し、批判すること。いずれも、「内省と遡行」「隠喩としての建築」の再構成的まとめ(ときに「マルクス その可能性の中心」も)で、しかし前に書かれた本とは微妙に違う。その差異を摘出できるようなところに自分はいないので、どうにもならない。サマリ―をつくることもできない。なので、自分の琴線に触れたところだけをメモすることにする。
言語・数・貨幣 ・・・ 1983年雑誌「海(廃刊)」に連載で未完。
序説 基礎論: マルクスの貨幣論が発見した貨幣と商品の自己言及的パラドックスをへて、ゲーデルの不完全性定理を説明。「外部性は形式体形の内部における自己矛盾としてのみあらわれる。」
(忘れてはならないのは、「外部性」が現れるといっても、常に姿を見せているわけではなく、見えたと把握した瞬間(いいかげんな言葉だな)に内部になってしまうような「ある」といえないようなあらわれをすること。上の貨幣と商品のパラドックスも定理化すると、即座に内部に取り込まれてしまう。)
形式化と現象学的還元: 形式化の徹底、無意識な下部構造(形式)に自己言及的パラドックスを見出すこと、構造や形式に不均衡を見ることという方法で、フッサール、ソシュール、ハイデガー、レヴィ=ストロース、デリダを読み直す。対象の人たちの考えを良く知らないので歯が立ちません。
代数的構造――ゼロと超越: 自己言及的な形式体形では、外部・超越者・先行者、発生論・心理主義・機能主義的観点が自己言及的なパラドックスをはらむ。数学のゼロ、資本主義経済の貨幣。形式体系で、メタレベルがオブジェクトレベルにずれ込んでくるような不均衡が体系の絶え間ない差異化を強いる場合、脱コード化と呼ぶことができ、近代資本主義が相当する。
順序構造――分裂生成: I.観測手段の拡張は新しい理論を実証するには役立ツガ、古いドグマを強化する。経験的な近くに背を向けることで新しい認識を得られる。たとえば20世紀前半の物理学。ニーチェ、フロイト、マルクスなど。II.顕微鏡的な微細(@マルクス)な局所的な差異に注視すること。マルクスの分業(差異化:静的)と交通(横断的結合:動的)には中心がなく、不均衡。ニーチェ的な「力」が働く。この視点からみた歴史には理性・中心・始まりと終わり・目的がなく偶然的でノンセンス。III.マルクスの「自然成長性」を検討。分裂と交通という視点からみたとき自己差異化していく差異体系の別名。無目的・非計画・非方向な「力」の現れ。そういう自然成長性の現れとして、工業(工場)、都市などを見る。いずれも必要や目的で生成されたのではなく、偶然的なできごと(しかしできた後から見ると必然や自然とみてしまう)。ツリーやセミ・ラティスでないイメージとしてリゾームやフラクタルを紹介。
著者の「意図」、もくろんだことはあとがきに書いてあるので、それを読めばよい。
かつて20代で読んだときはもっとよく「わかった」はずなのになあ。それにしてはほとんど何も覚えていないのはなぜだ。
さて自分が参考になったのは、差異体系とか<外部>とか言語などに関する著者の考察ではなく、他の本で何かの対象の起源、目的、中心などを記述しているとき、安易にその説明に飛びつかないようにすること。それは本当に「起源」であるのか、原因と結果を転倒した見方ではないのか、イデオロギーを説明するための仮構ではないのか、そういう懐疑を持つようになった。さらには、物事や対象の起源や目的や中心などがなく、それがあるのは偶発的であっても、そのことに不安や不信を持たないようになった。また、いろいろな方法で始原、原因、要素を発見したという話を読んだとき、発見に至るまでの過程には同意する。しかし発見した始原、原因、要素があるから、現在は説明できるという言説には眉に唾を付ける、あるいは鼻から排除するようになった(たとえばビジネス書でのパラダイム、暗黙知などの乱用)。まともとトンデモを区別する指標として役に立った。その程度の読みしかできなかったです、はい。
その一方で、この本などに影響された1980年代のさまざまな言説には「自己言及的パラドックス」「決定不可能性」などが含まれ、当然この本のような詳しい(厳しい)検討をなさずに、安易に「結論」(らしきこと)を持ち込んでいるものがあった。それが、価値相対主義を誘発し、社会のできごとにメタレベルに立って(そのつもりになって)、経済や政治や世相などを冷笑的に眺めるようになった。あるいは「顕微鏡的な微細さ」な差異に戯れるのかサブカルに熱中するものもでた。30年以上を経過すると、この時代は軽薄だったなあ。ポストモダンや構造主義の流行もまた嵐であったのだなあ。
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