odd_hatchの読書ノート

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三田村泰助「世界の歴史14 明と清」(河出文庫)

 ここでは元の末期から清の最盛期まで。1350年から1800年ころまでか。このころになると、「中国」「中華」の範囲が広がって、「西域」とされる高山地帯や砂漠なども含まれるようになる。ことに元や清のような漢民族でない民族が政権をとるようになると、それまで境界を定めていた万里の長城が意味を失う。一方、ロシア、トルコなどの勢力との境を持つようになるとか、海運による貿易が行われてグローバリズム化に遭遇するなど、中華思想が根拠なしであることを気付かさせられる。宋のあと数百年の中国の歴史は、西洋的な歴史観からすると発展や進化の形式をもっていなくて、ダッチロールを続けているように見える。それこそ中世としての唐、近世としての宋のあとは、古代や中世へのバックラッシュであり、全土に張り巡らされた官吏の分厚いシステムにどんな政権・経済体制も改革できずに敗北している過程をみているかのよう。この時代の歴史を通読するのはなかなか困難だった。

 宋のあとの歴史を形式化すれば、それまでの政権・国家も前の政権の批判や改革の意志を示すための努力から始まる。それは国家成立後100年目ころに最盛期を迎える。しかし、社会の固定化と官僚システムの腐敗によって、行政の不効率と不正が起き、それは庶民や農民への重税に転化される。社会不安が増大するとともに、経済的に重要になった被抑圧民族が蜂起して、次の政権に変わる。この転換にも100年ほどの時間がかかる。そういう繰り返し。ただ、15世紀ころから海上交通が盛んになり、交易・貿易の主力が海運に移ってからは、中国と陸地を接する地域だけでなく、世界各国、民族との関係が起きてきて、グローバリゼーションに巻き込まれていく。
 元のあとに明は、漢民族による復古。ただ元の貨幣乱発とハイパーインフレによって貨幣経済が崩壊していたので、その後始末から始めなければならない。それが自給自足体制と貨幣の廃止、および鎖国。こうして極めて厳しい緊縮財政を1世紀ほど続ける。上記の政策に、宰相や官僚の権限を縮小(大粛清もしたという)、皇帝に権限を集中するというやりかたは、自分にはレーニン共産主義を思い出させる。あるいは毛沢東農本主義とも。こうした緊縮政策も1世紀ほどで終了。国家の資産も増えて、「唐に帰れ」と文化政策を進める。この国では室町時代にあたり、明の鎖国と貨幣廃止によって、この国の貨幣不足が起きて、経済停滞につながった。明の鎖国は1566年に終了。それまでの倭寇が壊滅(私人貿易ができるようになったので海賊行為や密輸は不要になる)。あいにくこの国は戦国の混乱時代で、社会が平穏になったら鎖国をしたので、明の開国政策の影響は少ない。
 明も官僚の腐敗、赤字財政などでにっちもさっちもいかなくなる。満州やモンゴル系の民族がつくった後金国のちの清が数十年かけて明を吸収し、政権を奪取する。清の政策にはさほど新味はない。明(というか宋のあとずっと継続)の行政組織をそのまま継承する。五族共和体制で満・漢・モンゴル・トルコ・チベットの民族の融和を目指す(といいつつ差別と格差は継続))。絹織物や陶器、茶などが輸出品となり、明時代に確立したインド洋への海路を使い、またそのころアジアに到達したヨーロッパとの貿易が盛んになる。輸出超過でメキシコ銀が流入。宋のあと銀不足に悩んでいたのが解消。ヨーロッパからすると輸入超過で金銀が中国に流出し、貿易赤字が継続(それがのちのアヘン戦争の遠因になる)。
 ざっくりとはこんな感じか。近世にいち早く到達したのに、そのあと近代になれなかった。中華思想という尊大な考えとか、合理性を徹底できない思想土壌があるとか、まあいろいろ問題があるのだろうが、自分が妄想すると、中国が自給自足できる農地と生産性を持っていたところと、個人主義が生まれず自由と権利の概念がうまれなかったところが大きい。宋が近代に移行できたとしたらと妄想したいが、分厚い官僚システムと集団主義は手ごわい壁になっただろう。