2018/11/13 柄谷行人「世界共和国へ」(岩波新書)-1 2006年の続き
ここからは近世の話。事前に「世界の歴史」河出文庫を通読して、世界史を読んでおいたのはよかった。
こうやって資本=国家=ネーションの「ボロメオの環」として世界史を見た方がみとおしがよい。たとえば、ヒックス「経済史の理論」(講談社学術文庫)よりも経済の歴史がよくわかる。ヒックスの本の問題は国家を無視して経済を語ったことだった。
第3部 世界経済
国家 ・・・ 15-16世紀に世界帝国が連結して世界経済になる。あわせて中世までの中心・周辺などが再編成され、亜周辺であったヨーロッパが中心になり、それまでの中心が周辺になる。ヨーロッパの絶対主義王権国家ではじめて集権的国家になる。中世の貴族=戦士層が火器で無意味になり、商品経済の隆盛で国家が経済も統制するようになる。絶対主義王権国家は近代になって打倒されるが、官僚組織と常備軍が残り強化される。戦争という他の国家と交換するときに国家の自立性がみえる。国家の暴力は国民による自発的な同意と服従によって維持される。
(国家の意思は国民の意思や政府の意思とは別に、独立してある。戦争のときにそれが表れる。平時でも、議会が国民の代表として機能しない時に、官僚組織や常備軍が国家の遺志を表す。
産業資本主義 ・・・ 産業資本主義は世界市場の貿易とマニュファクチュアが結びついたところで生まれた。重要なのは流通過程で特別な商品=労働力を見出したこと。それに先行して土地の私有が始まり、生産手段をもたず共同体に拘束されない(互酬から切り離された)プロレタリアが生まれ、それが産業資本主義の労働力となった。プロレタリアは労働力を売り、小品を買い戻す。資本は技術革新による生産性の向上で生まれたこの「売り-買い」の差異を剰余価値として得る。資本主義は技術革新を永続して価値を生み出さねばならない。しかし、資本主義は労働力と土地を生み出さないので、その限界(搾取しつくす)に直面すると崩壊する(そのまえに自然と人口の破滅があるだろうが)。
(なので、資本主義を否定する運動は生産過程のプロレタリアではなく、流通過程の消費者を主体とするべき。というのが本書の主張であるが、21世紀の日本の資本と国家は長時間労働とサービス残業によって商品を買い戻すだけの余裕をもたせないので、消費者運動も起こり得なくなったようだ。少子化は超長期的なストライキになるともいえる。)
ネーション ・・・ 世界帝国では民族や部族に干渉することなく統治していて、民族の問題や衝突は起こらなかった。絶対主義王権になって、王権は市民(ブルジョア)と結託して封建領主を制圧し、国家の主権者になった。王権に対する臣下の人民ができて、同一性を持つようになる。それは多数の共同体を解体するものである。この絶対主義王権を暴力で打倒することで(かつ暴力を集団的に忘却することで)、ネーションが確立する。ネーションは自由=政治、平等=経済、友愛=感情の3つが接合されたもの。過去と未来の成員を含むという想像上の共同体で、過去や未来と相互的な交換が行われる。かつては共同体が過去と未来の成員を含んでいたのを、共同体が解体することでネーションが永続性の観念を回復する。
(なので、過激なナショナリストは過去の死者とのつながりを強固にもとうとし、その際に暴力的に絶対主義王権を打倒したことが集団的に忘却されている。日本の右翼、ネトウヨの心性はここから発生。ネーション=ステートの自由、平等、友愛は「戦前の思考」(講談社学術文庫)収録の論文に詳しいので参照すること。
アソシエーショニズム ・・・ この理念的にしか存在しない(宗教の理念で実現しかけたことはあったかも)システムは、都市的空間で、国家や共同体の拘束を斥け、互酬性を高次元で取り返す、自由の互酬性を実現するもの。詳細な検討は本書と「倫理21」などを参照。フランス革命でもロシア革命でも(パリコミューンでも)アソシエーショニズムの可能性はあったが、外敵の防衛のために集権化が必要になって潰えた。国家を下から無効化するだけではなく、上から抑制するシステムが必要。
第4部 世界共和国 ・・・ 資本主義のグローバル化は国家の役割を縮小しいずれ消滅するという理屈があったが、資本主義と国家は接合しているので消滅することはない。そういう国家を無視したり、内部から考えるのは危険。帝国に抵抗することによってできた絶対主義王権は人々を臣下とする同一化・均質化した人民にし、ここにネーションの起源がある。主権国家はこのようなネーションも接合しているので、異質なものを同化しようとする。それへの抵抗で民族意識と自治の要求を目覚めさせる。主権国家の膨張を止めるのは他の主権国家か独立した新たな主権国家(なので、20世紀の民族独立は新たな主権国家を作り、略取-再分配と膨張する戦争を起こした)。資本主義と国家の問題は、戦争、環境破壊、経済的格差にまとめられる。これを解決するには、下からの資本主義に代わる交換様式の実現と、上からの世界共和国の実現が不可欠。世界共和国は国家が主権を捨てて世界共和国に揚期すること(日本国憲法第9条の戦争放棄は、軍事的主権を国際連合に譲渡するもの)。
(21世紀のアメリカを「帝国」と規定する議論があるが、「帝国主義」とみるべき。20世紀でヨーロッパの周辺に置かれていた中国、ロシア、イスラム圏、インドなどの世界帝国が再登場してきた。)
著者は「起源はそれほど昔にはない。むしろ新しい」というようなことをいっていたが、ここでもその指摘が当てはまることがある。ネーション。通常、ネーションの起源は神話まで動員するものだが、実際は絶対主義王権以後の主権国家でいわば想像的につくられたもの。その新しさゆえに神話や歴史を必要とする。日本では戦前にでっちあげられた皇紀で2600年以上の歴史を誇るものがいる。それも含めて、起源はずっと最近で根拠などなく、むしろそれを信じることによって、過去と未来の成員との想像的なつながりを維持しようという意思のほうが強く現れる。さらに、ネーションが生まれる前の暴力の経験とその集団的な忘却があるというのも、ネーション概念のねじれをみることになる。なるほど、この国のナショナリスト(と称するもの)が過去の暴力を躍起になって否定し、現在において暴力を使うところなど、指摘の通りというしかない。ネーション概念は自分の躓きであったが、本書でうまく整理できました。
さて、資本主義と国家を揚期する運動。超長期的な話としてはよいかも。著者はこの運動は倫理的な取り組みであると繰り返すのだが、現場や運動のなかで倫理を強く打ち出すと、排除の論理になったり、参入を妨げたりするので、注意しないと。
強い影響を受けているので、うまい感想になりませんでした。
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