odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

飯野文彦「オネアミスの翼 王立宇宙軍I・II」(ソノラマ文庫) ここまで細かく設定したプロットを削りまくり説明不足になったので、アニメは謎めいた魅力を持った。

 今から振り返ると、1980年代にはアニメ映画があった。まあ、それ以前からあったし、それ以後もあったのだけど、自分がそれに熱中したのは、子どもはみるものの、大人になると鑑賞に堪えられないのがアニメだったのに(たとえば「宇宙戦艦ヤマト」シリーズね)、アニメが社会や現代の問題をとてもヴィヴィッドに表現できるということに気付かされたから。適当にリストをあげると
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー1984
風の谷のナウシカ1984
機動警察パトレイバー The Movie」1989
 それにもう一つ加えるのが、ここで取り上げる「オネアミスの翼」1987年。八重洲口近辺の雑然とした街角で、この映画のポスターを見た記憶があるなあ。たしか、ロードショーではまったくふるわなかったらしい。でも、しばらくしてレンタルビデオ店で見た連中(オタクともいう)が賛辞をおくるようになったのだ。自分もビデオを借りてきて、さほど期待もしないで見ていたのが途中から座り直して見入るようになり、そのあと長文の感想文(未発表)を書いたものだ。たんにストーリーをまとめるだけでなく、人物たちの抱えている厄介な問題にフォーカスするように。当時の自分としては驚くほどの長さの文章になった。

 さて、これは映画の小説版。なので、ストーリーはまとめない。まずアニメ映画を見ておかないと、この小説は手に取ることはないだろうし(30年もたっているので、入手は困難だと思う)、映画をみていればストーリーを書く必要もない(三行にまとめれば、社会の落ちこぼれで自尊心のないわかものが、とりあえずの目標として世界初の有人人工衛星の打ち上げプロジェクトに参加し、さまざまな妨害や侮蔑に晒されながら、プロジェクトを成功させて、自尊心と自信を取り戻すという話。このプロジェクトは国家規模の巨大なものであるが、資金不足、国家の支援不足を除くとほぼスケジュール通りに進行し、大きな問題も生じない。せいぜい空軍下士官との喧嘩騒ぎくらいか。「宇宙戦艦ヤマト」プロジェクトのずさんさにたいし、ヴィジョンとミッションを見事に達成した)。
 とはいえ、映画は謎めいていて、地球の1950年代のような社会と風俗と技術で有人宇宙船を軍隊が打ち上げるというメインストーリーはよしとして、人物たちのさまざまなエピソードやセリフが出てくるものの前後の脈絡がなかったり、それまでの描写からすると唐突であったり、じっくり読もうとするとなかなか困難だった。それが、この小説ではくどいほどに説明されている。たとえば、冒頭、シロツグが事故死した同期の葬儀に遅刻するのだが、映画ではまさに寝坊であったのが、小説ではひどいショックを受けた内面が書かれていたりする。そういう描写に着目すると、映画と小説の違いは以下のようなところ。
・映画で飛行士に志願するのはシロツグひとりであるが、小説ではもう一人立候補したエリートのダムロットとの競争が描かれる。
・宇宙船打ち上げプロジェクトに、エルフト博士というエリートで冷たい女性が登場。
・映画ではシロツグ暗殺計画は共和国から派遣されたアサシンによるものだが、小説ではさらに宇宙軍の中にいるスパイによるものが追加。
・シロツグはリイクニに出会う前に、別の女とつきあっていて、振られている(シロツグは彼女にDVもしている)。シロツグのボーイ・ミーツ・ガールの物語は、映画ではぎこちないのに、小説では複数の女性の誘惑に耐える大人の物語になっている。
 映画では人物の内面描写や内話を表現することができないが、小説はそこに踏み込める。真面目な会話が苦手で、冗談でしかコミュニケーションできないシロツグが実は感情が豊かで、内面の苦悩や葛藤、さまざまなストレスを抱えていることが描写される。それはマティや将軍など、ときに人生に関する重たいセリフを発する脇役でもそう。なるほど、彼らにはそのようなオブセッションや苦悩があったのかと驚き、自分に重なるところを見つけて安心する。
 たぶん映画のスクリプトを書くときには、小説版なみのエピソードや設定があったと推測する。でも映画にするときに、脇役の葛藤のエピソードは削り、かわりに短いセリフと苦渋の表情のアップと声優の表現にゆだねた。どころかシロツグのエピソードも削りまくり、彼の行動の理由がわからないようにした。たぶん、それが正解だったと思う。だからこそ、共和国軍に攻められて打ち上げを止める決心をした管制室の連中を翻意させるシロツグのセリフが力強く響いたのだし、宇宙船での特定の神に向かわない祈りに感動したのだし。だいたんな省略が受け手の想像力を働かせる力になったのだと思う。とくにラストシーン数分間のセリフのない戦争と技術の歴史映像。あそこは受け手が積極的に働き掛けないと「意味」が見えてこないからね。あえて説明しないで、謎をおくことで受け手が積極的に想像力を働かせることができる(で、同じ手を数年後の「新世紀エヴァンゲリオン」でもっと洗練して繰り返して、今度は大ヒットしたのだった)。

  
 映像。