odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

久生十蘭「十字街」(朝日文庫)

 1951年朝日新聞連載。
 舞台は1933年元日から約3か月間のパリ。このとき、フランスでは「スタヴィスキー事件」なる疑獄から右翼左翼の入り乱れる大事件がおきていた。詳細は、wikiにまかせよう。
スタヴィスキー事件

ja.wikipedia.org

 なるほど社民政権のあるところに、このような疑獄が発生。おりからのドイツ・イタリアのファシズム労働組合コミンテルンとで3つ巴とも、財界や官僚を含めると、いったいいくつの集団が覇権争いをしていたのかわからない。このような事態であれば、若い青年であったサルトルボーヴォワールメルロ=ポンティポール・ニザン、ガスカールというような青年たち(ジョルジェ・ブラッサンスとかイヴ・モンタンとかも)が、ファシズムかボルシェヴィズムかと悩むのも無理はない。ついでにいうと、パリではそれこそ1572年のサン・バルテルミの虐殺(聖バーソロミューの虐殺)から、1789年の革命から、1848年、1871年と大きなものでも数回の革命・暴動騒ぎを起こしていて、その流れを組んでいる。市民(シトワイヤン)は右派だろうが、左派だろうが、不満と怒りを政権にもっていたら、すぐさま街頭に繰り出し、王宮や国会を目指す行動をとる。そのとき、警官や軍隊の襲撃を受け、ときに命を落とすかもしれないことは承知の上。モンテスキュー、ルソーからサルトルデリダまでのフランス思想の後ろにはこういう行動・政治参加のモチーフがあることを知っておく必要がありそう。そうしないと、彼らの考えの重要なところを間違えるのではないかな。ついでにいうと翌1934年にも大暴動があり、時の内閣が総辞職するまでになっている。自分の知識ではフランスの第三共和政が1930年代にこのような危機というか波乱を起こしていたとは知らず、どうも迂闊であった。
 最終章では、スタヴィスキーほかの疑獄、収賄、詐欺などの調査を陣頭指揮していたプランス判事が失踪、鉄道事故で死亡する事件が詳述される。おりしも1949年にはこの国で組合員の首切り命令と組合の抗議の板挟みになっていた国鉄総裁・下山定則が同じく鉄道事故で不審死を遂げる事件があり、小説からこの事件を連想した読者は多数いたことだろう。

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 このようなフランスの危機状況がほぼ史実通りに描かれる。登場人物は4人の日本人。いずれも、この国に居場所を持てず、世界を流れ流れてパリに到着した連中。まず、画学生の小田孝吉がいる。彼が元日パリの地下鉄でマレー議員(スタヴィスキー非難派)が殺害されてどこかに運ばれていくのをみたところから、上記事件に巻き込まれる。本人はその日暮らしができればよい高望みをしない男。しかし、彼の外套とベレー帽を盗んだハノイの青年が刺殺体で発見されたとなると、逃げ出さざるを得ない。同行するのは、高松幸子。アメリカで語学の教師になるささやかな夢を実現したいと願う。それは下記の事情で帰国できないから。モーリスなる男に今月の奨学金をもらうためにシャモニーにいくので、小田もついていくことにする。そしてなかなか姿を現さないモーリスがスタヴィスキー本人であることと認めたところから、とうとう秘密警察が小田とスタヴィスキーに追いついてしまう。モーリス=スタヴィスキーは自殺されたと発表されるもものの、幸子は最後に「撃たないでくれ」といういまわの言葉を聞いている。しかも手元にはモーリス=スタヴィスキ―の親書がある。驚いてパリに逃げ帰る小田の前には、警察に保護されたはずの幸子の死体が現れる。そこにおいて絶望した小田は知り合いの計理士の勉強をする佐竹潔に保護を求めるも、次第につのる騒乱の中で、同じく秘密警察の連中に暴行され記憶を失う。佐竹は鹿島与兵衛なる老人(どうやら元ロビイストでパリに逃げてきたらしい)の秘書を勤めるも、現政権のコンサルタントでもある鹿島は街頭で狙撃され重傷を負う。ついには2月6日のコンコルド広場から下院までを数万人が埋め尽くす大騒乱のなか、佐竹は小田を追いかけなければならない。
 こうして根無し草の日本人がパリの政治の大状況の中翻弄され、政治的寝技の駒にされ、あげくのはては罪人に仕立て上げられるか、殺害されるという仕儀にいたる。とりあえずは「冒険小説」とういうものの(前半はヒッチコック「知りすぎた男」「北北西に進路を取れ」のような巻き込まれ型サスペンスの趣)、次第に状況は個人を覆いつくし、あがくほどに絶望の淵に身体ごと飲まれていく。どうにも読後感はどんよりとした重苦しい鉛を飲み込んだもののよう。
 というのも、現在が悲痛なものであるのとあわせて、この登場人物のうち三人(佐竹を除く)は、15年ほど前の大逆事件の関係者であるか、その子供たちなのである。もちろん冤罪なのであるが(たんに幸徳に酒をおごってもらっただけで連座したのが高松の父)、死刑を免れたものの、この国には居場所がなく、なけなしの金をはたいて脱出。しかし、アメリカが次第にこの国に冷たくなったので(移民制限になったため)、フランスに渡ってこのひどい運命を受け入れなければならない。まだ大逆事件を小説に取り入れた意味はよくわからないので、ここまで。
 あとは、小田と佐竹と高松の貧乏暮らしについて。学生であっても係累の援助を受けることはできず、アルバイトに精をださないと暮らしていけない。これは金子光晴のパリ暮らしと同じ。この時代には、官費や親の援助でパリ留学をした者もいるけど少数で、たいていはこういう貧乏暮らしで、ほかの人に翻弄されることおびただしいのであった。ここでの注目ポイントは、官費や親がかりでない留学・就職をしようとすると、貧乏の底あたりで暮らすことを覚悟する必要があった。そこまでのリスクを抱えずに、外国に行けるようになるのは1970年代後半から。たぶん今でもまだ大丈夫。でも、それはこの国が外国に開かれてからの歴史ではとても短い。この小説は、「外国に行く」ことがリスクを抱えていくことであった時代のもの。

 夏目漱石森鴎外永井荷風のような官費や親がかりで留学したものとは、異なる外国体験を書いている(時期と場所が違うが、土居良一「カリフォルニア」(講談社文庫)が1970年代のアメリカでの貧乏暮らしを描いている。この国の文学では珍しいと思う)。

 

 もうひとつ思い出した、同時期のパリには周恩来ホー・チ・ミン苦学生として留学し、同じ境遇の若者と祖国解放運動を組織していたのであった。ここには描かれないけど、念のため。