odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

久生十蘭「魔都」(青空文庫)-2

2019/08/05 久生十蘭「魔都」(青空文庫)-1の続き

 

 1937年 物語は1934年12月31日の日付が変わる深夜に始まり、28時間後の1935年1月2日午前4時に終わる。
 安南の皇帝・宗竜王が日本名をもってひそかに来日していた。大晦日深夜のどんちゃん騒ぎをするモボやモガの群れが、なじみのバーにいったとき、そこにいた人相卑しからぬ人物が新聞記者に話しかける。酩酊した記者がバーを抜けた後、貴人とともにいた女が転落死し、貴人は失踪した。酩酊した記者は警察の厄介になったが、放免されると貴人である安南国皇帝であると知らされる。なるほど冒頭は「王子と乞食」の変奏とも思えるが、問題はこの皇帝が行方不明であり、ついぞそのあと姿を現さぬことにある。
 そして安南の宗主国であるフランスが日本国外務省に伝えるところでは、安南ではクーデターのうわさがあり、亡命を考慮している皇帝は秘宝の金剛石を持ち出しているのであり、それが売却行方不明にならないうちに秘宝と皇帝を保護せしめられたいというのであった。ここで外務省、内務省、警視庁は顔面蒼白となり、名探偵・真名古明に出動を命じたのである。その真名子はなんと警視総監を真犯人と名指すにいたり、問題の焦点は日比谷公園の鶴の噴水が歌うという元旦の珍事件にあるという。秘宝の行方知れずはほかに漏れることとなり、モボ・モガのグループに、三流新聞社の社主に、土地の侠客などが乗り出すことになって、その混乱はいやましていく。ともあれ、フランス大使が警視庁の門をたたく1月2日午前4時までに決着をつけなければならない。
 とまれ、皇帝不在の状況において皇帝を追いかける人々が、それぞれの思惑をもってやたらと動き回るのである。期限切れまで24時間もないとなれば、みな不眠不休。ひとところに腰を押し付けることなく、思わせぶりな会話をしたかと思えば、すぐさま東京の都に姿を消す。それが可能なのは、舞台は丸の内、銀座、日比谷にほぼ限定され、この三角で囲まれたエリアは徒歩でもタクシーでも容易に移動できるからだ。そのうえ、この小説には実在の地名が頻出し、メモしたものをそのまま差し出せば、東京会館服部時計店コロンバン日比谷公園、帝国ホテル、花王石鹸、神田の地下道などであり、雑誌「新青年」の読者が親しむ場所にほかならない。おそらく建物の外装、内装も実在のままであろうから、どれほど非実在のキャラが登場しようと、小説と読者の壁はそれほど堅固なものではない。
 とはいうものの、登場するキャラクターはそれこそ役割に徹するような薄っぺらい人物ばかりである。というのは、作者はキャラクターの内面、心理には一切興味を示さず、外見と行動と会話を記録することに集中しているからである。読者より頭のよさそうなキャラクターは探偵真名古ひとりであるが、「レ・ミゼラブル」のジャベールに模せられる陰気な人物であり、必要ごと以外はしゃべらない。他はみなそそっかしく、おっちょこちょいで、軽躁にわめきたてるばかり。あるいは記者、役人、大臣、侠客などの肩書をそのまま体現しているようなカオナシばかりなのである。
 それは空虚ではあるが、空虚であるのは事件の中心たる安南国王が全編にわたって不在であり、彼の所有する金剛石(キャラクターの欲望の象徴)も実在するのかどうかわからない。そのような不在、空虚の周りをかけまわるのであれば、おのずと彼らもまたむなしくなるに違いないのである。ここにフランスの泰斗、ロラン・バルトが東京の中心を指して喝破したとおりの象徴がそこに「在る」。そして最後には丸の内のまんなかで銃撃戦が起こるという破廉恥があり、最後のページに至って、作中のキャラクターが全員物語の外にでてしまい、何ものこっていない「荒野」が忽然と表出されたことに呆然とするしかない。
<参考エントリー>
石川淳「狂風記」(集英社文庫)-1
石川淳「狂風記」(集英社文庫)-2
石川淳「狂風記」(集英社文庫)-3
 通常、これは探偵小説とされるのであるが、1930年代半ばの作としては、謎解きにも犯人あてにも拘泥しない。黄金期の探偵小説にある理性の勝利、法による統治というモチーフは徹底的にかけているのだ。そうすると、この小説の範はそれ以前の作にとったにちがいなく、うれしくも作中にあるように「ガヴォリオーの小説」にほかならない。あるいは同時期に作者が翻訳した 「ジゴマ」(中公文庫)であるといえよう。かように、その時代の流行りに背を向け、物語ることに徹した小説もめずらしい。このような作者の精神に、226事件、「支那事変」などの世相への反逆などを読みたくもなるが、それは行き過ぎというものであろう。ここでは作者の好きな言葉であるノンシャラン(飄逸)を味わうに限る。