odd_hatchの読書ノート

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小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-1

 正義はこれまで宗教や倫理による要請として語られてきたが、そのような権威を人があまり認めなくなったので、功利主義で説明するようになった。個人の幸福の増大が社会全体の幸福につながるという考え方。でも、不遇な人をさらに不遇にさせたり、再分配を拒否するようなこともあったりして、功利主義では説明しにくくなった。そこで宗教や倫理、功利ではない別の原理で正義を説明しようとする哲学が復興した。かつてはロック、カントがいたが、20世紀ではロールズ。そのロールズの正義論を批判してコミュニタリアニズムを提唱するのがサンデル。
 彼のもとで政治哲学を研究した著者が、サンデルの著作5冊を解説する(2010年初出)。新書ででたのは、「これからの「正義」の話をしよう」とハーバード白熱教室の反響が大きかったことから。

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序 新しい「知」と「美徳」の時代へ―なぜ、このような大反響となったのか ・・・ 2010年の「サンデルの白熱教室」が大反響を呼んだことのふりかえり。サンデルの政治哲学は「善ありし正義」であって、リベラルの「善なき正義」のオルタナティブであり、アンチ・ネオリベである。サンデルの対話型講義は、実践と理論の行き来で、講師と聴衆の参加で共に生き共に行動するという新しい(しかしソクラテス以来の古い)スタイルである。
(最後の対話型講義は、21世紀の10年代に日本のantifaやレイシズム・カウンターがやっていることと同じ。抗議やカウンターの現場の知恵と、理論の交換が主にSNSで行われている。野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)参照。)
2019/04/15 野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)-1 2018年
2019/04/12 野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)-2 2018年

第1講 「ハーバード講義」の思想的エッセンス―『正義』の探求のために ・・・ 「これからの「正義」の話をしよう」2009の解説。この本は読んだことがあるので、以下を参照。とうぜんのことながら、それほど外したサマリーにはなっていなかった。
2016/07/6 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-1
2016/07/5 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-2
2016/07/4 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-3
 気づかされたことを補注。リバタリアニズムは「自由至上主義」が一般的であるが、「自由原理主義」がいい。ロックやカントは正義は善や倫理性とは切り離されているとみているが、サンデルは共通善@アリストテレスを重視し「善ありし正義」を主張する。
第2講 ロールズの魔術を解く―『リベラリズムと正義の限界』の解読 ・・・ 「リベラリズムと正義の限界」1982年(数回改訂)の解説。ロールズの正義論で、格差原理を導くときに、原初状態や無知のベールを想定するわけだが、そのような「自己」はいないのではないか、という批判。
(以下は個人的な感想。リベラリズムロールズとコミュニタリアリズムのサンデルの差異は重要とは思えなかったな。「負荷なき自己」か「負荷ある自己」かの違いのあとの、正義は人々の合意で形成される、才能や能力は(コミュニティの)共通資産なので資産の再分配には正当性がある(それによって権利rightsや公正fairを実現する)、というところは共通。哲学者が原理や根拠を明らかにするのは理解したうえで、自分のような読者は彼らの正義論を、むしろリバタリアニズム功利主義との差異を明確にしていく方が重要。
 ただ自分が不満なのは、所有の主体は個人(自己)ではなくて構成的なコミュニティにあるというところで、コミュニティを感情的な愛着やアイデンティティの形成、自分自身の存在にかかわるものとする。おやおや、正義の問題はコミュニティを共通にしない集団との間で起こるのではないか。たとえば、国内のナショナルアイデンティティを異にする人々、移民や難民として移住してきたルーツを異にする人たち。彼らとはアイデンティティ愛郷心などを共有しないけど、同じ場所にいることで、すれ違いや差別が始まる。そこで最も不遇な人が獲得できる便益を最大化するような不平等を受け入れる格差原理が実行、実践しなければならない。でも困難。そこで格差原理を受け入れる理由や原理が必要になる。そのときに上にあるようなコミュニティの中で考えていては、ほかのコミュニティと交通@マルクスするときの正義の根拠は出てこないのではないかなあ。それにコミュニティの中では善とされることが、ほかのコミュニティとの交通の場では善にならないことがある。そう考えると、サンデルやアリストテレスの共通善が必要になってくる。人間はこれまでに交通の機会をなんどももってきて、格差原理をコミュニティの間でも作ってきた(リバタリアニズムの中でも公共サービスやセイフティネットを完全否定することはない。コミュニティの中では格差原理を実行・実践する仕組みはできている。でもコミュニティの間では格差原理を実行・実践する仕組みはまずないので、問題がおきたときにその都度、格差原理の実行の落としどころを決めてることになる。その現れの一つが契約(国家間だと条約)。契約の履行という正義はコミュニティの中の正義(嘘をつかない、盗まない、殺さないなど)とは別の場所から生まれている。それらの経験の蓄積でできた共通善をコミュニティの間の正義とするのは有効だと思う。当然、人権意識や社会の変化で共通善とされていたことも検証しなおし、新たな基準で合意が生まれてくる。そういう共通善→公正としての正義の合意→共通善’→新たな合意→・・というブラッシュアップの運動がおこる。たぶん正義は普遍で不変なのではなく、運動や活動@アーレントにおいて現れ、それ以外では意識されないのではないか。)
 [「コミュニティ」の語感で日本とアメリカで違いがあるから誤解しているのかも。日本のコミュニティはムラのような縁で結ばれた閉鎖的な集まり(同質性や均質性をもっている人たちの集団)を想定してしまうが、アメリカではルーツやレースに関係なくそこで生活している人たち全部をひっくるめてコミュニティと呼んでいそうだ。日本のニュアンスでサンデルを読むのは間違いかも。でもアメリカでも移民やイスラム系住人などに対する差別やヘイトクライムがあるからなあ。コミュニタリアリズムはどうするのだろう。そう心配するのは、俺がコミュニティの帰属心に薄く、どんなコミュニティにも参加しにくく感じるような交通@マルクスの問題を抱えているので。コミュニティにアイデンティティや存在意義を見出すような考えが難しいから、構成的なコミュニティ重視というアイデアには乗りにくい。むしろコミュニティとコミュニティの間の交通で正義が合意されていくというアイデア柄谷行人の方がよい。そうすれば、俺はコミュニティの一人として正義の合意に関与するのではなく、コミュニティに合意して一人が参加するという観念の方が気分がよい。その点で、おれはヨーロッパの自由主義に近いのだよな。]

 

2019/07/18 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-2 2010年

2019/07/16 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-3 2010年