odd_hatchの読書ノート

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久生十蘭「ノンシャラン道中記」(青空文庫) 1934年の外国にいる日本人は「パリのアメリカ人」とおなじくらいに傍若無人で無責任。

 ときは1929年。10年前の戦争の後、インフレに悩むフランスには多数の外国人が群がっていた。「パリのアメリカ人」というようなドルの威力に物申させて、なにもしないことを楽しむ。もちろん芸術家の卵もいて共同生活のうちに切磋琢磨も行う(彼らの才能が開花するのはファシズムの時代の1930年代)。そこに無手勝流の東洋人もいた。実在の人物で言えば、藤田嗣二や金子光晴であるが、そこにタヌとコン吉という無名の日本人もいる。金はないが若くて精力のありあまるふたりは文字通りのノンシャラン(飄逸)を行くのである。

 

八人の小悪魔 1934.01 ・・・ 大西洋の孤島に流れた二人。下宿の女将にうまく言いくるめられて、八人の子供を世話することになる。オー・ヘンリー「赤い酋長の身代金」では二人でもてこずったのに、それが八人ともなると。タヌはフランスで流行っている「健康児童共進会」を村長に開かせ、賞金をせしめることを思いつく。

合乗り乳母車 ――仏蘭西縦断の巻―― 1934.02 ・・・ 体調すぐれないコン吉のためを思ったのか、欲望に忠実だったのか、タヌはおんぼろ自動車を買ってきた。こっちのほうがニースに行くには安上がりだという。冬のパリを出発したが、二人の旅は絶対に思い通りにならない。

謝肉祭の支那服 ――地中海避寒地の巻―― 1934.03 ・・・ タヌとコン吉(コントラバスの修行に来たのだってさ)は鉄道でニースに向かうことにしたが、コンパートメントで出会った「公爵」の屋敷に行くことにする。そこにはだれも住んでいない。それ以来、考えが普通とちょっとずれている公爵に振り回されっぱなし。あげくのはてに、地中海で漂流する羽目に。自分の欲望のままにいるタヌでさえ、公爵には手を焼く。

南風吹かば ――モンテ・カルロの巻―― 1934.04 ・・・ 文無しのタヌとコン吉はコートダジュールカーニヴァルで小銭を手に入れ、モンテ・カルロに乗り出す。必勝法を授かったのであるが、もちろんすってんてん。そこに現れたのは前作登場のモンド公爵。勇躍ルーレットに挑む。

タラノ音頭 ――コルシカ島の巻―― 1934.05 ・・・ コルシカ島の島民は東洋人を憎んでいると吹き込まれたタヌとコン吉、宿の食事はとらずに、部屋にいたハトや鱒を喰ってしまう。翌日、鉄砲を借りた二人は藪の中に打ち込んだところ、なんとコルシカ人に当たってしまった。コルシカ人は三日以内に復讐すると宣告され、生きた心地がしない。背景にあるのは、メリメの「コロンバ」「エトルリアの壺」にかかれたコルシカ人の激情。最後のページの大逆転。

乱視の奈翁 ――アルル牛角力の巻―― 1934.06 ・・・ マルセーユの闘牛場で、牛相撲の合戦が行われる。優勝候補はマルセーユの「ヘラキュレス」。コルシカ島から来たばかりのタヌとコン吉はやせ牛の「ナポレオン」でヘラキュレスに勝ってくれと懇願される。なけなしの金でナポレオンを獰猛にしようとする。そして試合。

アルプスの潜水夫 ――モンブラン登山の巻―― 1934.07 ・・・ シャモニーにやってきたタヌとコン吉、簡単にモン・ブランに登れる秘策を検討しろとガイドに命じる。名案は水素ガスを充満した潜水服を着ること。カミ「エッフェル塔の潜水夫」を意識したかな。ほら話がいくつも詰まっている。

燕尾服の自殺 ――ブルゴオニュの葡萄祭り―― 1934.08 ・・・ 前作で墜落事故を起こしたコン吉はタヌと一緒に下山。「八人の小悪魔」で彼らにこどもを押し付けた後家さんに会うも、再び雲隠れされ、見世物を引き継ぐ。一番の出し物のペンギンがどうにも元気がなくなって。こうして約半年の旅行が終了し、二人はパリに帰る。

 

 一編はだいたい5-6の節に別れ、それぞれの話者が違う。主観のモノローグや長広舌、手紙があり、話者不明の三人称になったり。多彩な文体を味わいつつ、彼らのほら話を聞いていく。のんびりまったりした展開は、たとえばクノーやカミ、プレヴェールなどのユーモア篇やシュールリアリズムなどを彷彿させる。こういうノンシャラン(飄逸)はこの国の肩ひじ張ったり、意気消沈したりの「自我」の文学にはまずみられないので、珍重したい。
久生十蘭の書き方では、登場人物の内面を描写することはめったにない。そのかわりに多弁に饒舌に語る。その内容と文体で、キャラクターの様子が彷彿としてくる。たぶん演劇の脚本・台本の書き方。久生に特徴なのは、その書き方で特別な個性の持ち主を書こうとしないで、類型に落とし込んでいく。この小説でもフランスの田舎者は日本の田舎者のような言葉と態度になるのだ。読者に想像力の負担をかけないかわりに、印象に残るキャラにはならない。)
 この小説のもう一つの側面は、「観光」。写真でしかみることのできない異国を描写する。それもパリから南下して南仏にでてリゾートを移動し、コルシカ島シャモニーまでいく。行った先々では当地の名物や景観が描かれる。食い物とそこに住むちょぼちょぼの人々が日本人に語り掛ける。連載のあった1934年には、そのような体験を日本人がすることはまず無理であり、しかも知的エリートは仏文学で多少の知識を得たとしても、隔靴痛痒の感はぬぐえず、そのときにこの小説は薄い情報を埋めるものとして珍重したに違いない。
(戦前小説にはときどき「外国にいる日本人」が登場する。敗戦後、海外渡航が禁止されてからはこの国の小説は国内を舞台にしたものが主流。なかなか「外国にいる日本人」テーマの小説が書かれない。文学者の国際感覚は戦前のほうがよかったのかもと思ったりする。)
 どうやらフランス帰りの作者が最初に連載した短編らしい(「ノンシャラン道中記」のタイトルはのちにつけられた)。当時30代前半。豊富な語彙、多彩な文体、構成の妙。読者をつかんだら離さないテクニックはすでにデビュー時からあった。
 とはいえ、この完ぺきな小説は私にはあまりに冷たく、居心地よくないものだった。タヌやコン吉の無責任、放埓が自分のモラルとかけはなれているあたりも影響していそう(彼らの傍若無人さはパリのエリート相手には気持ちい良いけど、田舎のお人よしや他国籍の人に向けられるとちょっとね。たぶん当時の日本人はアジア国内で二人のようにふるまっていたのかもと。たとえば金子光晴新美南吉横光利一などの同時期の作品に共通しているなにか)。すごいなあと敬意を払いつつも、遠ざけたくなる作品。この後に書かれた作品を読むほどにその感が強まっていった。

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