odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

亀山郁夫「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」(光文社新書)

 2007年の病気療養中の3月から翌月にかけて、中学生の時に死ぬまでに一度読み通すという決心をした本を集中的に読んだ。マルクス資本論第1巻(岩波文庫1~3)」、埴谷雄高「死霊」、ドストエフスキー「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」。毎日13-14時間を読書に費やして、それぞれにつき5-6日で読んだのだったか。ほぼ連日読書する自分としても、この一か月間はきわめて濃密な時間だった。
 さて、その中で圧倒されたと同時に困惑したのが、「カラマーゾフの兄弟」。特に第4部になって、アリョーシャの周辺事情が書かれるようになってから。貧乏なスネギリョフとその息子イリューシャ、彼らの友人コーリャ他の友達たちのさまざまなできごと。それにアリョーシャのいいなずけリーザの奇妙さ。なるほど、たしかに感動的だ(大江健三郎は少年少女向けの「カラマーゾフの兄弟」を編集するなら、ここの抜粋でよいといっているくらいだし、本書を読むとこのシーンを取り上げたロシア映画があるらしい)。でも、フョードル殺しと裁判の行方、兄弟たちのさまざまな三角関係、イワンの無神論をもっと知りたいのだよ、と思うのだ。なのに、なぜ……。
 でも、序文や同時代人の証言によると、この大長編はもっと長い長編の第1部にあたり、作者は13年後を舞台にする第2部を構想していたという。第2部では主人公はアリョーシャで、皇帝暗殺事件が主題になる。なるほど、第1部が家長フョードルの父殺しであるとすると、第2部では社会的な父殺しが主題になる。アリョーシャはキリスト教社会主義に共感をもち、折から盛んになったテロリズム集団と関係を持つらしい。しかし、作者は第1部の単行本がでた3か月後に急死してしまった。第2部の資料はほとんど残っていない。

f:id:odd_hatch:20191115093408p:plain

 そこで、タイトルのように続編を妄想する。そのときに、作者の構想に従い、第1部のさまざまな伏線と整合性が取れていなければならない。テキストという証拠から事件を再構成する探偵のように、第1部を読み直そうというわけだ。
 目次は、
第1章 作者の死、残された小説(残された手がかり;空想のための九つの条件;友人、妻……同時代人の証言)
第2章 皇帝を殺すのは誰か(序文にすべての秘密がある;「始まる物語」の主人公たち;思想の未来)
第3章 託される自伝層(年代設定とタイトル;アリョーシャはどんな人間か;テロルと『カラマーゾフの兄弟』と検閲)
第4章 「第二の小説」における性と信仰(リーザと異端派;「第二の小説」のプロットを空想する;影の主役、真の主役)
 光文社古典文庫版「カラマーゾフの兄弟」全5冊には同じ著者で訳者の長い解説がある。それは第1部の事件と主人公たちを読み取ることであったが、続編の妄想ではアリョーシャとその許嫁リーザ、第4部に登場する子供たちを読み取ることに他ならない。未完成な未成年が13年後にいかに変貌するかを探索することである。「カラマーゾフの兄弟」に書かれたことを延長して構想すると、驚くべき事態が見えてくる。アリョーシャは村の教師になったのち、鞭身派に身を投じ、新たなカルトを創設するだろう。リーザはイワンと不倫をして身ごもり、アリョーシャと結婚して離婚したのち去勢派の「マリア」になるだろう。コーリャは大学生になり、キリスト教社会主義を達成するために皇帝暗殺をもくろむ集団の首魁になるだろう。「大審問官」や「ゾシマ長老の告白」のような思想闘争はアリョーシャとコーリャの間で行われるはずだ、などなど……。これらが正鵠を射たかは確認できないし、他の研究者の見解と完全に合致するわけでもない。
 このような小説の深い読みが重要であることに気付かされるが、同時にドストエフスキーの同時代の情報を集めることも重要である。地図を広げて伝記と突き合わせて事件の起きた場所を特定し、作者の手紙などから興味を持っていたロシアの哲学者を調べ、彼らの思想が小説に反映していることを確認し、取材メモから構想内容に検討をつけるなど。ドスト氏の小説はその内容の深さを豊饒さで、小説世界だけでいろいろ語れるのだが(過去の解説や評論はそうしたもの)、もっと広げてみましょう、同時代に目を向けましょうというのが最近のやり方。江川卓「謎解き「カラマーゾフの兄弟」」(新潮社)もそういう読みのひとつ。主張はともあれ(正否は判定できないし)、こういう読み方があるのか、こういう読み方ができればいいなあと括目することになるインテレクチュアルな本。