odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「白夜」(河出書房)-2 複数ある米川正夫訳の異同について堀田善衛に教えられたこと

2020/02/20 フョードル・ドストエフスキー「白夜」(河出書房)-1 1848年

 

 さて、この「白夜」の米川正夫訳は戦前から読まれてきた翻訳だ。

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 河出書房版全集の月報で、堀田善衛が「白夜」の思い出を書いている。少年のときに、この短編を、とりわけその冒頭を愛し、暗唱してしまえるまでになった。そのときに覚えた文章は以下の通り。

「驚くべき夜であった。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であった。空は一面星に飾られ非常に輝かしかったので、それを見ると、こんな空の下に種々の不様嫌な、片意地な人間が果して生存し得られるものだらうかと、思はず自問せざるをえなかったほどである。これもしかし、やはり若々しい質問である。親愛なる読者よ、甚だ若々しいものだが、読者の魂へ、神がより一層しばしばこれを御送り下さるやうに……。」

  ある夜(1941年冬、対米開戦前)に作家はこういうことを考えていた。

「ぶつぶつと口のなかでとなえてみていて、こういう文章こそ若くなければ書けなかったものだったろう、と気付いた。二十七歳のドストエフスキーは、カラマーゾフでもラスコルニコフでも、まだまだなかったのだ。けれども、この文章ならば、あるときのムイシュキン公爵の口から出て、それを若者が自分の耳で直接公爵から聞くとしても、そう不思議でも不自然でもないだろう…(「若き日の詩人たちの肖像 上」集英社文庫(P312)」

  そのくらいに魅了された冒頭の文章。
 おなじ冒頭部分を河出書房全集版で抜き書きすると、以下のとおり。

「素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである。空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それを振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどである──いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれな人間どもが住むことができるのだろうか? これは親愛なる読者諸君よ、青くさい疑問である、ひどく青くさいものではあるが、わたしは神がしばしばこの疑問を諸君の心に呼び醒ますように希望する!」

  堀田善衛はこの違いについて、「私の記憶では前者が先、と思われるのだが、訳文のこなれ方から言えば、前者の方が後者のあとに、つまりは後者をより一層洗練したものとして前者が出て来たもののように思われるのだが……」といっている。この月報をやはり少年の時に読んだ自分は、この指摘に深く同意した。「白夜」の冒頭を暗唱することはなく、かわりに堀田善衛の言葉を記憶したのだった。なるほど、言葉の選び方によって、印象や喚起される感情はずいぶんとかわるものだと。そして全集版が後者の文章だったのをしり、前者の文体によるものを読みたいと思ったのだが、入手はまずできまいとあきらめた。努力もしなかった。

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(河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)から)

 さらに堀田善衛のエッセイを引用すると、この作家は「わたし」とナスチェンカにほとんど関心を向けない。

ドストエーフスキイの読者にはもうおなじみの、あのペテルブルグの『かなり奇妙な裏町か横町』に住む、『我々の近く到るところで沸き返ってゐるやうな、目まぐるしい生活とは似ても似つかぬ、全然べつな生活』を営む、この仕合せな『空想家』は、やがてペトラシェーフスキイ事件を経て、『地下生活者』となって逆転し、ラスコーリニコフにまで到るのである。」
ラスコーリニコフが金貸し老婆を叩き殺して、その殺人の現場を、もう一度ひそかに訪れる場面は、すでにこの『白夜』において、『かつて自分流儀に幸福を感じた場所を思ひ出して、そこを訪ねて見るのが好きになったんです。』ここで『白夜』の幸福は、自分流儀の殺人と化している。それもまた、『ああ、幸福な人間といふものは、時によると、実にやり切れないことがあるもんだよ。』ということばに予告されているとでもすべきものだろうか。」
「今度私はド氏の初期作品をいくつか読みなおしてみて、ペテルブルグの描写、その都市描写に、ポオドレェルのパリ描写、特に『パリの憂鬱』に通いあうものがあることを強く感じた。それは後期のド氏の都市描写にはないものである。」

  引用して自分にがっかりするのは、このエッセイを読んで数十年たち、そのあと「白夜」を読み直したら、自分の感想は堀田のエッセイの覆うところから全然外に出ていない。むしろより狭いところしかみていないこと。ああ、なんとも切ない。ただ、熟練した読み手による達意の文章に早く触れることができてよかったと思うしかない。
 堀田の「若き日の詩人たちの肖像」では「若者」や「青年」が盛んにド氏を読み感想を書いている。そのなかに、ド氏は重大な場面で狂気のあるところを黄色く塗る癖があるといっている。たとえば上記ラスコーリニコフの殺害場面がそう(西日が射しこんであたりがまっ黄色になる)。この「白夜」でも、「わたし」の好きなペテルブルグの家が黄色に塗られて、二度と見に行かなくなったという描写がある。ここを読んで、ド氏あいかわらずだなあ、と堀田善衛を思い出しながら、微笑したのだった。
(自分の感想に「ドスト氏」「ド氏」が出てくるのは、堀田善衛の使い方を真似しているためです。)

  

      

 ヴィスコンティ監督の映画もあった。