odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

埴谷雄高「文学論集」(講談社)-1

 1909年生まれの埴谷雄高が書いた文章のうち、文学に関係するものを集める。
 再読すると、自分は作家のいう「非同一な志向を担った読者」であるらしい。なので、サマリーは作れない。かわりに、いくつかの抜き書きと自分の感想をおいておくことにする。

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序 『死霊』自序 1948.10 ・・・ 「もしこの宇宙の一切がそれ以上にもそれ以下にも拡がり得ぬ一つの言葉に結晶して、しかもその一語をきっぱり叫び得たとしたら(P10)」という欲望に突き動かされての文学運動。「死霊」の全体構想が書かれているので、ついに書かれなかった全否定者大雄と正覚者釈迦の会話を想像してみる(いや、それより「ねんね」と「筒袖の拳坊」の行く末のほうが気になる)。
→ 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-3

第一部 文学の原質
あらゆる発想は明噺であるということについて 1950.02 ・・・ 「死んだふり」をしているのは現実に圧倒されているのと、不快感に責めさいなまれているため。なので、「果てもないどんづまり」にたどりつく思想を妄執している。朝鮮戦争やレッド・パージなどで共産主義運動が弾圧を受けている時期か。そのような「政治の季節」に背を背ける「地下生活者の手記」第1部のようなとりとめのない文章。この人に限らず「思想」を妄執すると自己と世界の両端ばかりがでてきて、間の集団や社会がでてこない。

観念の自己増殖 1952.10 ・・・ 小説を書くとき、作家は事物を観察する。当の観察されるものが自律的に運動を開始し、世界とか宇宙に通底する大きさを持つようになる。それが観念の自己増殖。これを実行する手段が文体。というような小説の書き方指南。観念と文体を実現した小説を書いたのはポオとドストエフスキー。20世紀の小説ではプルースト失われた時を求めて」にとどめを刺す。はるか後塵にジョイスユリシーズ」、マン「魔の山」、ジイド「贋金つくり」がある。19世紀の作家は小説は手段であったが、20世紀の作家は目的になった。なので作家の想像する小説はこの世紀に実現していない(このあとの20世紀の半分を生きた作家はどういう作品を加えただろうか)。観察のしかたが、デカルト以来(スコラ哲学以来か?)のレンズを介した認識モデルになっている。哲学の方法が強く影響した認識論・独我論がベースの小説の方法だ。

還元的リアリズム 1955.05 ・・・ 「自分が置かれているこの現実の直接的反映を私が構築した世界のなかへ持ちこまない(P54)」という著者の方法の説明。俺はマニュアルは意味の取り違えがないように言葉はできるだけ厳密であったほうがいいと思うので、著者の詩的な・多義的な用法では内容を理解できない。たとえば、ある現象を経験したら還元するというが、つきつめて行った先の底部がなぜ「暗い」のか、その底部が「殆んど動きもなくなった」というのはなぜか、書いていない。あるいは「凧」「ピンでとめられた昆虫」が方法のアナロジーとしてでてくるが、アナロジーの事象が方法の理由になってしまう。そういうあいまいさ・多義性は著者以外には通じない言葉になっていて、使い勝手の悪いマニュアルになっている。

あまりに近代文学的な 1951.07 ・・・ 515事件で予防検束された著者の独房体験。カント「純粋理性批判」の衝撃、ドストエフスキーの耽読、論理学と悪魔学など。ポオとブレイクにも言及がある。このあたりが著者の文学体験の最初らしい。

文学者の性理解 1961.02 ・・・ 性文学のあれこれ。「チャタレー夫人の恋人」裁判など性表現の拡大と官憲の抑圧があった時代に、ここまで書くことの意義(とはいえ大江や倉橋のような次世代の作家に比べると遅れた意識だ)。当時は先端の主張が21世紀の目で見ると男性優位・女性蔑視の駄文になってしまった。

ドストエフスキイと私(筑摩書房ドストエフスキー全集」月報(昭和)三七年一○月-三八年一月) ・・・ 中学時代の「白痴」から始まるドストエフスキー体験。

「『死霊』は、血と肉を欠いたドストエフスキイ(P119)」
「私がドストエフスキイから影響を受けたものは観念性だけである(P120)」
「小説とは、いってみれば、背理の哲学であり、不可能性の可能化であるというのが、私がドストエフスキイから無理やりにもぎ取ってきたところのひそかな黙示なのであった(P121-122)」
「(ドスト氏の小説の会話)は固定された自転車の両輪を無限に踏んでいるような、ポートの練習台の上で力一杯漕いでいるような千の努力を重ね重ねたところのすさまじいエネルギーを費して、しかも、つねに最初の地点に立っているとまったく同じ内容を持ったところの弁証法なのである(略)この対話の弁証法は、その根源において《未出発》でありながら、また、その窮極において《不可能》へ到進しようとするところの思いがけぬ姿勢を持っている(P123)」
「彼の驚くべき推論も絶えず現われてくる異常な夢も、鋭い論理的一貫性を備えているものの、敢えていえば、詩的飛翔力を持ってはいない(P124)」。

以上、ドスト氏に関するところをいくつか抜き書き。作家は「ドストエフスキー」(NHKブックス)を書いていて、以前読んだがまったく覚えていない。

ボオについて(創元新社「ボオ全集」月報(昭和)三八年六、八、一二月) ・・・ 1909年生まれの日本人によるポオ受容。1920年創刊の雑誌「新青年」がかなり早期の出会いの一冊というのが興味深い。この人は都会のひとだったから雑誌を入手できたのだね。「闇への偏奇」から始まる興味(乱歩への興味と同時進行)は「論理と詩の融合」にいき、「メエルシュトレエムに呑まれて」「催眠術の啓示」「ヴァルドマァル氏の病症の真相」、ことに「ユリイカ」に魅了される。どれもポオ30代の作品。「闇への偏奇」に出てくるのはポオ20代の作品なので、ポオの変化がそのまま作家の感興の変化に重なるわけだ。参考はドスト氏の「エドガー・ポーの三つの短編」1861年。日本のポオ受容と翻訳の歴史はよく知らない。1920年代以前に翻訳や流行はあったかしら(調べると、佐々木直次郎訳ポオ著作集がでたのは1931-32年。谷崎精二訳ポオ全集は1941年。森鴎外も1910年代に翻訳していた)。創元新社のポオ全集は現在、創元推理文庫ででているもの。

カントとの出会い(「カント全集」月報(昭和)四○年二月) ・・・ 獄中でカントを読んで、震撼した。

文学は何をなし得るか 1968.05 ・・・ 戦争と革命という巨大な怪物になった政治に対して文学が何をできるか。

「文学がなし得るところは、ところで、勿論、文学的営為だけである(P148)」。

 

 ドスト氏やポオ、カントを語るとき、幼少期から獄中体験を加える。よくもまあ読書のことを思い出せるなと感心するが、せいぜい25年前のことを書いているのであって、それは記憶に残っているだろうと、老人に片足を突っ込んでいる年齢で読むと思う。また、そこに書かれている体験は、室内で空気銃で蝋燭の芯を打つ、深夜友人と連れだって墓地に行き横臥して天空を眺めるなど、稚気ある行為が散見する。傍目には「中二病」の症状にしか見えない愚行が作家の手にかかると、沈思と黙考の深甚とした体験になる。ひとえに作家のことばの魔術にほかならない。
 「文学は何をなし得るか」で「政治と文学」を取り上げる。当時よくあった問題設定。21世紀になって見直すと、「政治と文学」の葛藤は右翼ではすでに克服している。どちらもやれ、と。三島由紀夫石原慎太郎黛敏郎曽野綾子百田尚樹らの活動をみればいい。彼ら右翼は政治と文学を対立としてみない。ただし、彼らの文学は読者の魂を震撼させる体験とはついに無縁のものしか書かなかったが。また左翼やリベラルの考える「政治」は畢竟「社会運動」の謂い。文学をやるものが政治家になるとか、政党活動をするとかのプロパーになることを想定しない。政治をするかどうかはデモに参加する、街宣でしゃべる、選挙の応援をするくらいまでのことしか想定していない。文学者や芸術家が生業と関係ない社会運動に参加するかどうかを逡巡する理由を考えるとか、彼らが特別な活動をなし得るかと考えるのは傲慢で自分を特権化した前提を暗黙の事項にしている。そういうのは止めて、ただの市民としてできることをやればいい。
 また作家に典型的だが、近代の小説は個人の自我と、神・自由・宇宙などの観念という端を問題にしていて、その間にある集団や組織を描いたり、問題を考えたりするのは苦手にしている。そういうのが反映しているのかも(音楽家や俳優などが社会運動に気軽に参加しているのと好対照)。

 

  

 

2021/06/22 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-2 1973年に続く

 

<参考エントリー>

odd-hatch.hatenablog.jp

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