odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-3 語り手の「わたし」が書けない時に起きた事件の数々の記憶を反芻することによって、小説を書こうとする意欲を取り戻すまでを書いたのがこの小説。

2020/02/04 フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-1 1861年
2020/02/03 フョードル・ドストエフスキー「虐げられし人々」(河出書房)-2 1861年
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 1861年に書かれた小説。1859年「スチェパンチコヴォ村とその住人」「伯父様の夢」、1860年死の家の記録」に続く長編。ここにきて小説がうまくなった。ストーリーが流れるようになり(この小説では事件はほとんど起こらないが)、人物の奥行きがでるようになり、長い会話が冗長ではなく雄弁になる。いったいドスト氏に何が起きたのか。
 語り手の「わたし」が事件を記録するという手法は「スチェパンチコヴォ村とその住人」と同じ。こちらの一人称の方が読みでがある理由の一つは語り手にも物語があること。すなわち新進作家の「わたし」はデビュー作で評判をとっていて、次作を求められていたが、なかなか書けない。そこにナターシャの心変わりがあり、アリョーシャや公爵の話を聞き、イフメーネフ老をなだめ、さらにネルリの世話をするとなって大忙し。書けないという作家の業を回避するのに、別の仕事をするというのは有効ではあるが、「わたし」が抱えた問題は大きい。そのうえ、頻繁に発熱して、ネルリやナターシャの看病を受けることになるというのも気が滅入ることになる(「わたし」は何度も憂鬱、沈滞、悲痛の感情に苦しめられる。この時代の小説がしばしば憂鬱な書き手によって語られていることに注意。ポオホフマンメルヴィルなど。19世紀はメランコリーの時代)。
 そしてこれらの問題に目鼻がついたとき、「わたし」は二日二晩かけて56枚の原稿を書ききる。俺が妄想するのは、「わたし」が書き上げた原稿はほかならぬ「虐げられし人々」のプロトタイプなのではないかということ。書けない時に起きた事件の数々の記憶を反芻することによって、小説を書こうとする意欲を取り戻す。そして書かれた小説がその経緯を示すものという、循環的な小説になっているのではないか。これもまた20世紀の小説の手法。サルトル嘔吐」、アジェンデ「精霊たちの家」(たぶんいろいろあるはず)。その先取りが19世紀半ばに、それもドスト氏によって開発されていたと妄想するのは楽しい。
 興味深い人物は「わたし」の友人のマスロボーエフ。大学の同級生だが、身を持ち崩してペテルブルグの「地下室@地下生活者の手記」で情報屋として、悠々と泳ぐ。町の情報に敏感で、しかも法(の抜け穴)に詳しい。ときに暴力をちらつかせて、証言を得ることもするし、深刻な差別の被害者を救出することもある。公爵にゆさぶりをかけて金を引き出したりもする。彼は正義や善の側には立っていなくて、共同体と共同体の間を綱渡りのように歩き回る。これは近代的な人物。誰も興味を持っていなかったネルリの出自を調査し、独自に「真相」を発見する(それが公爵から金を引き出せた理由)。まことに20世紀のハードボイルド探偵の原型のような人物。そういう人物がペテルブルグという都市にいてもおかしくないような社会がすでにあったのだ(ポオの「モルグ街の殺人」が1841年、ディケンズの「バーナビー・ラッジ」が1841年なので、資本主義が進行していた都市ではすでにこのような人物は発見されていた)。
 アリョーシャはナターシャと同棲していた時は、貴族のサロンに出入りし、社会変革の可能性を議論していた。時に社会の体制転覆も考えることがあり、それは「ナロードニキ」の運動と知れる。のちに、カーチャと一緒になることを決心し、モスクに行く頃には自由主義者(18世紀末フランスの思想家の影響)に転向している。当時のロシアの社会ではこれは過激な学生運動からの撤退とみなされる。なるほど社会主義サンディカリズムに批判的なドスト氏は、これらの思想はアリョーシャのようなものが飛びつくような軽薄な思想であったとみなしていたのかもしれない。それはのちの「地下生活者の手記」で明らかになるであろう。
 ナターシャ(ソーニャ@罪と罰の原型?)、カーチャ(ナスターシヤ@白痴)、公爵(フョードル@カラマーゾフ)、イフメーネフ老、アリョーシャらがもつ様々な葛藤は長い小説の果てに、ネルリ(ネートチカ・ネズヴァーノヴァの系譜にある人物で、リーザ@カラマーゾフの兄弟の原型)の死によって浄化された。彼女の頑張りに喝采を。初読のときは、ナターシャとアリョーシャの軽薄さに呆れ、ネルリの奇矯なふるまいにひいてしまったが、再読したら感想がたくさんわいてくる。物語を楽しむのではなく、何が書かれているかを考える小説でした。
(とはいえ、女性の犠牲で世界が回復するという19世紀の物語は21世紀には心苦しい。)

 

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