odd_hatchの読書ノート

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アガサ・クリスティ「ヘラクレスの冒険」(ハヤカワ文庫)-1

 とても懐かしいのは、ハヤカワミステリー文庫が創刊されたとき、とても初期に刊行された一冊だということ。そのときはクイーンやカーに目が向いていたので、手が回らなかった(金がなかった)が気になっていた。40年たってようやく読む。

 

ことの起こり - Foreword ・・・ 引退してカボチャの栽培に専念しようと考えていたポアロは、君の名エルキュールはヘラクレスのことだねと言われる。ヘラクレスの12の冒険にふさわしい事件を解決するのを花道にしようと決心する。それはポアロのプライドをくすぐる試みだ。

 ギリシャの英雄ヘラクレスは神と人の子。疎まれて、12の危険な冒険をすることになる。西洋ではよく知られた冒険譚。それを同じ名前のポアロが行うというのがみそ。とはいえ、きゃしゃで格闘技には無縁のポアロが怪物や魔物とたたかえるわけはない(中二病罹患中の俺はそんな話を妄想していた)。なので、解決するべき事件はギリシャ神話の英雄譚と象徴的につながっていなければならない。では、どのようにつなげるか。それが作者の腕の見せ所。

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ネメアのライオン - The Nemean Lion(1939年) ・・・ ペキニーズ(祖先はライオンだと登場人物が言っている)が誘拐されて身代金を要求してきた。端金だからと払ってしまったが、腹の虫がおさまらないのでポアロの調査を依頼した。レンデル「ロウフィールド館の惨劇」の前駆。小さな事件の後ろで別の事件が進行中。こういうの、うまい。

レルネーのヒドラ - The Learnean Hydra(1939年) ・・・ タイトルの怪物は噂だとポアロは言う。妻が急死して、あらぬ噂を立てられた医師が打ち消してくれと頼む。ポアロは町に住んで、遺体を掘り起こして検死のやり直しをするとうわさを流す。ヒドラの髪にいる蛇は切ってもはえてくるところが事件との関連性。時局を反映してか、郵便局長は女性(男性が徴兵されたため)。

アルカディアの鹿 - The Arcadian Deer(1940年) ・・・ 若い自動車修理工が休みの日に森の中で美しい女性にであった。有名なバレリーナのメイドだという。後日会いに行ったら、そんな娘はいないとけんもほろろ。美男美女の二人の出会いの様子からポアロはタイトルをイメージした。

エルマントスのイノシシ - The Erymanthian Boar(1940年) ・・・ スイスの山の上にあるホテルで静養中のポアロ。凶悪犯(イノシシみたいな粗暴犯)が逃げ込んでいるので、逮捕に協力してほしいと警察から連絡。おりしも雪崩で唯一の移動手段であるケーブルカーが動かない。3人の競馬狂みたいな大男、一人で尋ねる若い未亡人、ホテルの主人、コック、給仕。いったいどこに潜んでいる。ポアロが襲われ、給仕が傷を負い、辞めた給仕の死体が見つかる。

アウゲイアス王の大牛舎 - The Augean Stables(1940年) ・・・ リベラル政党の前首相にスキャンダル。それはイエローペーパーで報道されると、政局の危機になる。政党のごしゃごしゃはまさに「アウゲイアス王の大牛舎」状態。清掃するには大洪水が必要になるか。しかし出たのは現首相夫人のスキャンダルだった。ポアロはそれを放置する。ポピュリズムがこういう時代にもあったのね。

ステュムパロスの鳥 - The Stymphalean Birds(1939年) ・・・ 北欧に旅に来たイギリス青年、ホテルで不審な女二人を見つける(ターゲットを見つけてゆすりたかりをする犯罪者が出没していて、猛禽に例えられる)。部屋でくつろいでいると、ある女性が夫に殺されそうと逃げ込んできた。もみあっているうちに、女性が男を文鎮で殴って男は昏倒。このままではあなたに嫌疑がかかるからもみ消し工作をしましょうと言われ、金をだした。もしもポアロに出会わなかったら。参考「ナイルに死す」。

 

 ここの短編の発表年はタイトルの後ろ。短編集にまとまったのは1947年。このところのクリスティ読み直しで、1940-50年代の作品こそ至高と思っているのだが、それを裏付けるような会心作が続く。
 このころにはポアロヘイスティングスと別れていて、ロンドンに事務所を構えて、ミス・レモンという秘書を雇っている。この構えのために、ポアロに依頼するのは貴族にブルジョアに政治家という面々。上流階級がポアロの顧客で、事件の関係者も上流階級ないしその周辺のひとびと。おしゃれで知的なポアロは下層階級にははいれないし、なかなか彼らと打ち解けることはできない。若者たち(1920年代生まれのモボやモガ)もポアロからするとマナー知らずで刹那的で反知性主義なので合わない。ここは古風。
 時代はマーロウのようなハードボイルドな私立探偵が街中をうろつき、アイリッシュが貧乏な若者の焦燥を描いていたというのに。