odd_hatchの読書ノート

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三島憲一「現代ドイツ 統一後の知的軌跡」(岩波新書)-1

 思えば、1989年のベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一(本書によると「併合」)からあとのドイツを知らない。そこで本書を参考にする。2006年初出なので、直近15年がもれてしまうが、しかたがない。
 重要なできごとは上に加えると、ユーゴ内戦、イラク戦争EU発足。トルコやシリアなどの難民受け入れ。イスラム原理主義者などによるテロ。経済発展。

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第1章 ドイツ統一国民国家の再生? ・・・ 1989年にベルリンの壁が崩れた時、東西ドイツがすぐに統一すると考える政治家・知識人はほとんどいなかった。しかし市民の要望で急速に統一の気運があり、西ドイツの基本法憲法にあたる)のアクロバティックな解釈によって統一(事実上の併合)が行われた。統一スローガンには「Volk」の言葉があり、ふるい国民(エトネス=民族)国家の再来かと思われた。なので直後のEU発足の際には、「ドイツのヨーロッパではなくヨーロッパの中のドイツ」が強調された。
(ドイツはフランスやアメリカのような王権や宗主国からの独立・解放という経験をしていない。細かくわかれた国家が同質な文化や言語などを共有するエトネスによって経済の理由が後押しして統合された。中心的な概念が「民族精神(ドイツ精神)」。東欧・中欧型の国民国家といえる。政治的主権を担うデモス(民)とエトネス(民族)を同一視すると、他のエスニックグループやマイノリティを差別するか同化することになるという指摘がある。事実、統一後にドイツではヘイトクライムが増加したという。他の国でもあらゆる右翼が同一視して差別と同化を主張している。)

第2章 統一のきしみ ・・・ 東独ドイツは統一されたというより西ドイツに併合された。西の能吏や商売人がきて東のやり方を覆していった。東の国営企業の売却と大量解雇が起こり、西の売れ残り品が整理された。40年間の政治体制の違いは、文化、習慣、意志決定のスタイルなどの違いがあり、東西ではコミュニケーションギャップが起きた。西側の優越感があり、東側の知識人は放置された。
憲法制定や改訂のような国家理念を作り共有する体験がなかったのがギャップの醸成に影響しているのだろう。東西ドイツの「統合」の体験は来るべき「朝鮮」「韓国」の統一でも起こるはず。)

第3章 ネオナチの暴力―庇護権問題 ・・・ ネオナチによるヘイトクライムが大発生。1992年には年間4000件、死者17人。外国人住宅が4日間襲撃されたとき、警察はほぼ放置(警察署長は昼寝をとるため現場を離れたりした)。ソーセージを売る屋台がでて、ビールを飲みながら見物するドイツ市民が多数いたという。おぞましい。背景にあるのは、1949年に制定された政治亡命者の庇護権。ユダヤ人保護の条項だったが、80年代に難民が多数ドイツに「政治亡命」を求めた(ユーゴやトルコなどから)。審査が長引いているうちに、子供が生まれるなどして、強制退去もできないようになる。これが右翼の攻撃の原因になる。東独には研修目的の外国人労働者受け入れの制度があり、ベトナム人モザンビーク人などが来ていた。劣悪な環境で仕事と居住を余儀なくされ、統一後は解雇され、放置された。外国人労働者はネオナチの襲撃の対象になる。60-90年代の西ドイツの世論調査では、最低でも15%の国民がファシズムの価値観を持っていた。時代についていけた人(豊かな人々)のほうが親和的だった。右翼・極右の排外主義は西ドイツでは80年代から目立つ。その際に、リベラルのキャッチフレーズを右翼が簒奪(「亡命者や移民に人権を与えるならドイツ人にも与えろ」)、ポストモダン的な文化相対主義愛国主義を強化。一方、イギリスで生まれたスキンヘッズが駐留英軍兵士経由でドイツの下層の若者に流入。規制権威や秩序の反抗、挑発、型破り、愉快の象徴になる。それがネオナチになっていく。彼らによると、当時優勢だった左翼は退屈、検体、知的卑小、ユーモアの欠如というイメージで、打倒する敵の象徴。この本は1992年のネオナチへのカウンターもあるが反差別の世論形成までには至らないというところまで。
(ネオナチの分析が21世紀の日本のネトウヨの分析と一致していることに驚いた。排外主義者やネオナチの心象や構造は普遍的であるということか。このあとドイツでは反差別基本法ができ、大規模な反差別集会やデモが行われるようになった。一方、東欧、トルコ、中東、北アフリカなどの移民や難民がたえず来るようになり、すでに2世3世が生まれるようになっていて、彼らをターゲットにしたヘイトスピーチヘイトクライムが繰り返されている。当然ユダヤ人もターゲットになっている。1992年以降のドイツの反差別の動向を知りたいが、どこかによい資料はないか?)

第4章 中部ヨーロッパの大国? ・・・ 歴史修正主義の台頭。WW2敗戦後ナチス擁護は違法であったが、学術研究でナチスを正当化する論文がでて(祖国防衛戦争だった)、支持があった。歴史修正主義者のスローガン的な文句は「中央ヨーロッパ」。侵略戦争を肯定し、反デモクラシーを理念にする。ここには伝統保守ポストモダン思想の混交がある。豊かさのショーヴィニズム:生活防衛的な暴力の肯定、芸術美や情念によるドイツ理念の支持と闘争による崩壊も辞さない。エリートナショナリズム:進んで豊かなドイツが野蛮を指導。これはドイツの親米左翼、リベラルレフトへの対抗(なので自由、平等、権利、平和、安定などのレフトの理念に対立する理念を持ち出す)。リベラルレフトへの批判はEU統合で急速に下火になる。統合体のなかでドイツ優位を言うことは無意味。さらに社民党政権誕生後の移民法改定で、国籍を血統主義から出生地主義に変え二重国籍を認めた。ドイツ人であることの範囲が広がった。
(背景には外国人労働者の増加、イタリア、トルコなどの移民に二世三世が生まれていること、格差の拡大など。)

 

 90年代に国家の拡大と危機があった。ある種の人々はナショナルアイデンティティの危機ととらえ、排外主義と歴史修正を行う。具体的な犯罪を起こしたり、周辺諸国との軋轢を生む。その過程が21世紀の日本に重なる。ドイツで先に起きたので、彼らの分析は先行していた。なので、上のサマリーにまとめたネオナチや歴史修正主義者の分析は日本のネトウヨにそのまま当てはまる。この10年代にはSNSなどで諸外国のネトウヨの動向が伝えられるが、言動からファッションまで、嫌がらせのやり方から趣味まで、ほとんどそのまま日本のネトウヨそっくりなのもうなづける。このレポートが大事なのは、ネオナチや歴史修正主義者に対する法規制、社会規制などが初期から行われていること。日本では初動でネトウヨをたたけなかった(指導者がレイシスト歴史修正主義者だったので、言説がそのまま流布)。なので、その後の対応に苦慮している。
 もちろんドイツが完ぺきな対応をしたわけではなく、いまだにネオナチは活動し、ヘイトスピーチヘイトクライムが起きている。それでも、まだドイツはしっかり対応していて、せめて同じくらいの規制ができるところまで行きたい。

 

2020/10/01 三島憲一「現代ドイツ 統一後の知的軌跡」(岩波新書)-2 2006年