odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-1 『全体主義の起源』を読む。全体主義は19世紀の国民国家と資本主義の流れで生まれてくる

 ハンナ・アーレントの解説本を読む。1998年に出たのを2014年に文庫化。アーレントの本は分厚く、晦渋な文体なので読むのに苦労する(その甲斐はある)。専門家が読んでまとめたものを利用させていただきます。

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プロローグ ・・・ 生涯は矢野久美子「ハンナ・アーレント」(中公新書)を参考に。主要テーマは、ナチズムとスターリニズム全体主義。公的自由をみるアメリカの夢と革新主義以降のアメリカの悪夢。影響を与えたものに、ユダヤ人出自であること。シオニズムマルクス主義実存主義など。
(くわえると近代以降の国民国家の成り立ちと革命概念。以下の解説をみると、19世紀ヨーロッパの政治と経済をとても的確にまとめていて、彼女以上の整理を読んだことがない。)
第一章 十九世紀秩序の解体――『全体主義の起源』を読む(前編) ・・・ 通常、全体主義は民主主義や自由主義の鬼子のような特異な出来事に思うが、アレントによるとそうではない。19世紀の国民国家と資本主義の流れで生まれてくるのだ、という。以下の節に分かれる。

1『全体主義の起源』の謎/2十九世紀政治秩序/3破壊のモーターとしての帝国主義/4人種主義と官僚制
 フランス革命以後、国民国家(列強を中心にした)と階級社会で7安定した19世紀的秩序ができたが、国家は帝国主義に、国民経済はグローバル資本主義に変貌し、19世紀的秩序はWW1で終了する。国民はNationを自覚する国民の統合(歴史的文化的統一、未来の運命の共有、領域的安定性)である。一方国家はNationの自覚より前に構造化されていて、普遍的な法が支配するもの。なので、民族と国家は矛盾を抱えていて、衝突する。国民国家が安定していたのは英仏独くらいで、その他の国家(東欧、バルカン半島など)は不安定であり、選民思想レイシズムを抱えていた。国民国家の対立による安定は1860年代の不況で壊れてくる。資本主義は膨張・無限増殖を追求し、つねにフロンティアを必要とするが、国民国家の領土を開拓しつくすと、領土の外に膨張するのである。資本の膨張と、権力の無限追及を目的にしたのが帝国主義。「帝国」の名がつくが古代帝国との共通点はない。特徴は、権力輸出+支配形式+正当性であることを理屈つけるイデオロギー。資本が絶えざる拡大を目的にするという資本主義の論理的帰結であり、それまで政治的に無関心だったブルジョワジーが政治参加するようになった。資本のグローバル化国民国家を破壊する(Nationの自覚をもてないほどの拡大がおこり、普遍的な統合原理をもてない:なので被征服民族を同化して同質性を強制するしかない。当然別のNationが反発する)。そのような帝国主義の安定がWW1で破壊された後に現れるのが、全体主義帝国主義的膨張の後継者)。
帝国主義は資本といっしょに生産性向上で余剰になった人間も輸出する。アレントは、余剰になった人間を「モッブ」と呼ぶ。その特徴は、全階級からの脱落者・余計者の寄り集まり、反倫理性・没倫理性、レイシズムに熱狂、帝国主義ニヒリズムが公然化したもの、ナチスの指導者層を供給、帝国主義的膨張の先兵、ブルジョワジーの欲望の純粋形。これは大衆ではないという。詳しくは第2章第2節で。この概念は、21世紀の「ネトウヨ」「オルト・ライト」を説明するのにとてもしっくりくる。1990年以降に経済的不況が継続しグローバル化が進むことで、社会に脱落者・余計者が生まれ、集合するなかでモッブ化し、ネトウヨになった。あるいはネトウヨの特徴はモッブと同一。かれらが全体主義の先兵になって、ブルジョワジーが後押しする。この見取りは事態の把握によい。)
 帝国主義の官僚制は、政治・法律・公的法的決定に代わって行政・政令・匿名の処分による支配形態。今の日本がそうだが、帝国主義の官僚制は植民地支配と他民族国家(バルカン半島やロシア)で生まれた制度。この植民地支配の官僚制は、その場限りの適用を目指した政令を乱発する。被支配者に無関心と隔絶。でも植民地支配をすることでネーションの利益に貢献していると思い込んでいる。レイシズムに基づいた異民族支配の正当化のために、膨張政策と同化することで、法の服従の義務の放棄と公開性の蔑視をもつ。体現しているのが行政官僚とスパイ。

「汎民族運動はその意図からいっても政治的発言のスタイルからいっても『革命運動』とみなされるべきである(アーレント)P110」

汎民族運動はイデオロギーと運動のほかに何も提供できなかったが、所属することで帰属感をえられる。汎民族運動を統合させたのは、具体的な目標ではなく一種の政治的気分、メンタリティ、メシア的な使命感だった。汎民族運動は、下記のようなレイシズムに基づいて植民地や他民族を支配する官僚制的支配体制を志向し、合法性を軽視した。

 

 「全体主義の起源」というタイトルだが、前半の記述は19世紀ヨーロッパ(東欧、中欧、ロシアも含む)の分析。ナチズムとスターリニズム全体主義が反民主主義のイデオロギーで生まれた鬼っ子なのではなく、国民国家ナショナリズム、資本主義の間の矛盾や桎梏から生まれてきたもので、自由民主主義の政治体制や自由主義経済体制から簡単に転化してしまうことを明らかにする。
 それよりも自分は21世紀のネトウヨの分析として読んだ。資本主義の膨張から要請された帝国主義からモッブが生まれ、汎民族主義の運動は植民地型支配の法と公的決定を軽視する。こららがレイシズムを媒介にして結合し、全体主義の先兵となり、指導者や行政官を供給する。故郷喪失者の大衆は、運動それ自体において集団とのつながりを確認でき、積極的に参加し、自分を他人を支配する者・差別できる強者と同化して救済の感覚を得る。
 アーレントが分析するモッブや汎民族運動は21世紀のネトウヨと同じだ。その分析はサマリーの通りで、アーレントの指摘と同じ事例をネトウヨや極右などに見出すことはたやすい。よくネトウヨとは何かと分析する試みがあるが、そんなことをしないでも、「全体主義の起源」を要約して事例を追加すれば出来上がる。
 ことはネトウヨだけでなく、彼らの親玉としての安倍・菅内閣にも適用できる。安倍・菅内閣にとって、日本国民は植民地の被支配者なのだ。10年代の政策の意味が理解可能になる。安倍・菅内閣(というか21世紀の自公政権)は、満州国関東軍戦後民主主義国家の日本を侵略・支配している、と思えてきた。

 植民地支配の官僚制は、政治・法律・公的法的決定に代わって行政・政令・匿名の処分による支配形態だが、これは国内に他民族がいて差別抑圧をしている(植民地化している)場合にも同じ形態になる。とくにオーストリアとロシアの官僚制がそうだったという。カフカドストエフスキーは国内の行政機構が迷宮になっていて、命令の内容も担当部署も責任の所在もわからないことを小説にしていたが、アーレントの分析を重ねれば、それは作家の想像力の中にあったのではなく、実在する官僚機構そのものだったのだ。
 植民地支配の官僚制はその名の通り植民地経営で生まれ、それが本国に導入されることによって全体主義になったという。ことにフランス。なるほどこれは日本の経験(朝鮮や満州の官僚制が本国日本の官僚制に導入された)のでもよくわかる。でも、イギリスだけは植民地の官僚制は本国に導入されなかった。それが20世紀に全体主義にならなかった理由であるという。

 

2021/12/02 川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-2 2014年
2021/11/30 川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-3 2014年
2021/11/29 川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-4 2014年