odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

伊藤真「憲法問題」(PHP新書) 憲法は国家を縛るルールであり、天皇・国務大臣・裁判官・公務員に憲法尊重と擁護義務を負わせている。国務大臣が改憲案を発議すること自体が憲法違反である。

 世の中にはそれを聞いていると吐き気がするほど不快なことがいくつかある。ひとつはヘイトスピーチ在特会などのレイシストの街宣やデモのネット中継を見ていて、彼らの発するヘイトスピーチに気持ちが悪くなったことはなんどもある(これはマジョリティだからその程度で済んでいるのであって、殺されるかもしれないと感じるマイノリティは多数いる)。もうひとつは自民党政治家の発言。とりわけ首相や副首相。彼らの答弁や記者会見、演説を聞いて、気持ち悪くなることも何度もある。
 その首相と所属する自民党日本国憲法改憲案を出したのが2013年。21世紀になって党内で検討してきたものを国会に出してきた。なにしろ安倍晋三の政治家としての目標が改憲にあるのだから、そのプロジェクトに沿って出てきたものにほかならない。
 そしてさっそく憲法学者他から改憲案のダメさを指摘する発言や論文その他が出た。本書はその一つ。簡単に入手できるものとしてはおそらくもっとも網羅的。

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 憲法は国家を縛るルールであり、天皇国務大臣・裁判官・公務員に憲法尊重と擁護義務を負わせている。国務大臣改憲案を発議すること自体が憲法違反であり、立憲主義に違反した行為である。その内容にしても著者によると以下の目論見がある。すなわち、1.非立憲主義、2.戦争国家、3.天皇元首化と国民主権後退、4.権利の縮小、義務の拡大。これらは公共社会の構成原理を否定している。15年戦争で多大な被害を出した反省にたってできた憲法を放棄し、戦争が可能な国家にして、国民に「奴隷としての自由」を押し付ける。
 以下、自民党改憲案がいかにダメであるかを条項ごとに示す。これは自民党他の改憲運動に対するカウンターに使えるので、保存していつでも参照できるようにしておこう。
 私見自民党や彼らを指示する宗教カルトがどのような国家にしたいかは必ずしも明示的ではない。上の目論見を羅列したときにみえるのはせいぜい戦前の1930年代の国家総動員体制とでもいえる。それだけでも悪夢というか現実を地獄にするのである。そこに加えると俺は、1.天皇中心の全体主義国家、2.身分制社会の復活、3.鎖国、4.戦争可能国家、であるとおもう。これらの体制は1930年代の「非常時」にだけ現れたのではなくて、それこそ豊臣秀吉-江戸幕府のラインで列島を統一したときからの国家イメージなのだ。だからこそ、憲法やリベラルデモクラシーのような近代を構成する原理はすべて取っ払おうとする。
 というわけで、自民党改憲案には抵抗しなければならない。

 

アーレント「革命について」で印象的だったのは、アメリカ革命で重要なのはイギリス軍を撤退させたことではなく、国の制度を作ることに国民が関与したことだった。その体験と記憶が憲法を遵守する倫理として国民意識に確立する。それはフランスやイギリスの革命でも同じだった。細かいことを突っ込めば、国民といっても女性、先住民、黒人奴隷などは関与から排除されていたのである。ところが日本国憲法成立では国民が関与することがなかった。国の制度を作る行為に関与できなかったのが「押しつけ」の気分をもたらしているのではと愚考する。まあ本書によると、マッカーサー自民党案とGHQ案の国民投票をするぞといったのであって(アメリカの民主主義では当たり前の行為)、国民投票が実現していれば関与が生まれて、「押しつけ」にはならなかったのではないか。その国民投票を拒否したのは自民党であるとすると、「押しつけ」を自民党がいうのはおかしな話である。さらにいうと、「自主憲法制定」と謳う右翼がいるが、彼らが規範とする大日本帝国憲法は国会の審議がなかった。国民に内容の事前公表はなかった。なので大日本帝国憲法こそ政府中枢の少数者が国民に「押しつけ」たものなのだ。ただ、憲法制定は自由民権運動のミッションだったので、内容にかかわらず「憲法をもてた」という認識でお祭りまでしたので、参加意識の醸成にはなったのだろう。)