20世紀の革命というと、ロシアと中国とベトナムであとは・・・という程度の認識。それを補完するのがこの本になる。舞台はキューバにエジプトにガーナ。これらの特徴は、a.いわゆる第三世界、発展途上国、「後進国」と呼ばれる地域。b.植民地の経験を持ち開発独裁制に移行している、c.共産主義革命でないところもある、あたりかな。それをもとに、植民地の宗主国であったのはイギリス、フランス、アメリカ。これらの国家が植民地の革命に対する政策の違いは面白い。前者から順に1940、1950年代に植民地への軍事的な介入をやめたがアメリカはずっと介入し続けている。いわゆる自由主義経済制をとる民主主義国家は彼らの援助を停止し、かわりに援助をしたのがソ連・中国の社会主義国家でこれらの独立国は東側ブロックに入らざるを得なくなったとか。
ここに収録されているのは、原著の抄訳だし、原著も対象にしている運動や革命を網羅しているわけではないので、別書で補完しておかないといけない。まあ絶版入手困難の本にこんなことをいっても先なきことではあるのだが。逆に言うと、初出の1967年には現在進行中の出来事で、主人公は現役の政治家だったから、読者が補完する情報をもっていたわけだ。
ロベール・メルル「カストロのモンカダ襲撃」 ・・・ バティスタ政権の独裁化にあるキューバでのカストロの最初の蜂起。1953年7月26日、おりからのカーニバルに乗じてモンカダ兵営を襲撃する計画をたてた。カーニバルは全国民の娯楽なので、モンカダ兵営のあるサンティアーゴ・デ・クーバには数万人の人が入り込み、厳戒態勢が緩むから。カストロのグループは数名ずつの班に分かれて都市に入りアジトに集結する。そして襲撃の準備を行う。このあたりは冒険小説の趣き。そして払暁を期して3グループに分かれて襲撃する。ここは戦争映画の趣き。しかしわずか15分程度で失敗が明白になる。予想よりも早く兵士の逆襲が早く始まったから。半数が死亡ないし逮捕。逮捕者にはひどいリンチが加えられほぼ全員が虐殺された。このリンチの描写は鬼気迫る。カストロの率いる残り半数は山岳地帯に逃亡するものの、追手の追撃が激しいこと・負傷者を抱えていること・キューバのキリスト教大司教が仲裁にはいったことを理由に全員が投降する。記述はここまで。1955年にカストロらは解放され、メキシコで再起を図る。再び冒険小説顔負けの奇想天外、神出鬼没の革命戦争が行われた。
ジャック・ブノアメシャン「エジプト革命」 ・・・ 大雑把にいうと、エジプトは長い間英国の半植民地になっていた。国王が首相を任命するが、その際英国大使の意向が強く反映され、親英政権が長く統治する。当然、汚職が横行し、経済格差は収まらず、イスラム教徒には主権喪失に見える。第2次大戦になりドイツが国王に接近、一方英国も強い反応を示す(このときに英国の横やりで政権が変わっている)。さて、戦後。英国は本国の復興が先決で、周辺植民地を統治する金がなかった。そのためにいっせいに中東各国から軍隊を撤退する。それが権力の真空状況を生み出し、現在にも続くパレスチナ問題の元を作った。さてエジプトでは、英国軍がいなくなったとはいえ、王政は残る。最初のパレスチナ戦争1950年前後で敗北したエジプトでは王政廃止、独立の運動がおこる。そこで立ったのは中堅軍人のナセルとその一派。首尾よくクーデターに成功する。ナセルは2つの点で注目を浴びた。アスワンハイダム建設プロジェクトを立ち上げ、世銀(および英米)とソ連を天秤にかけて開発予算を引き出そうとする(しかし国家予算ではダム建設準備予算よりも軍事費のほうが多いという矛盾)。交渉は失敗するが、彼は独創的なアイデアで克服。すわなりスエズ運河株式会社を国有化し、そのあがりを国家予算にまわそうとする。これをぶち上げた演説のさなか、「スエズ運河株式会社」の名が出た瞬間に、兵士が会社の設備を接収するという周到さ。1960年代には、ユーゴ、インドと並ぶ第三世界の指導国だった。大江健三郎「日常生活の冒険」にはナセル統治下のエジプトで革命家になりたいという若者が登場する。
クワメ・エンクルマ「わが祖国への自伝」 ・・・ ガーナ独立の指導者エンクルマの半生記。1909年に生まれたらしい(戸籍がしっかりしていないこの国では生年月日を知らないのは当たりまえ)。必ずしも裕福ではなかったが、勉学に励んだおかげで、ガーナの大学(イギリスが投資している)に進学し、そこでも優秀な成績を得たので、イギリスの神学校・アメリカのリンカーン大学に進学する。それぞれの場所で人種差別にあったのではあるが、大学がネイティブ・アフリカンを拒否することはなかった(リンカーン大学はその名の通り黒人に門戸を開くために設立された)。そしてかの地のネイティブ・アフリカンと交遊することにより、自主・独立・自立を模索する活動家や革命家に変化する。ここら辺のありかたは、訒小平やホーチ・ミンらがフランス留学したり、魯迅や孫文らが日本留学したりして、自己を変革していったことと共通する。興味深いのは彼らはいずれも貧困で、最底辺の仕事をしたり、そういう仲間との交遊をしていること。モスクワの革命大学に党丸抱えで留学した日本の党員とは少し違う。国に戻ったのは、エンクルマ35歳(と思われるとき)。 で、1948年に帰国。ただちに民主化運動グループに参加する。ここでは古くからの党員と軋轢があったようで、しばしば弾劾ないし除名勧告のようなこともあったようだ。ここでの成果は市民大学の設立に、機関紙・新聞の発刊。次第に古い党員たちとのおりあいがつかなくなる。そのときにとったのは、若い青年委員会の指導に集中し、かれらと人びとの支持を獲得したこと。1948年に袂をわかって「会議人民党」を設立。1949年に憲法制定と総選挙を訴える民主化運動があり、政府は戒厳令で対抗。このときエンクルマは逮捕され3年間の懲役をくらうことになる。懲役中に選挙が行われることをしり、獄中から立候補。1位当選を果たし、出獄することができた。この自伝はまだ続くが、この本はここまで。wikiによると、こののち政権を奪取したそうだが、個人崇拝を強要する独裁に移ったという。なるほど、この自伝は当然自己弁護と保身の要素が入っているので、本当に彼の運動が正しいのか、彼への批判が正当であるのかは判断できない。ここで控えめに書かれている彼の立ち居振る舞いはどうも毛沢東が共産党の主導権を握るにいたる暗躍に似ているように思え、それにしても革命はどうして腐敗し独裁になるのかという惨めな問いを考えなければならない。
モンカダ襲撃のドタバタとその後の悲惨は中南米文学(アジェンデ「精霊たちの家」、プイグ「蜘蛛女のキス」など)をほうふつとさせるし、エンクルマの幼少時代もチュツオーラ「ブッシュ・オブ・ゴースツ」のよう。西洋化・近代化した社会の文学にはないグロテスクイメージ、この世とあの世の境を奔放に超えるイメージ、群衆のカーニバル、そういう団参世界の文学との共通点をみたりして。
第2次大戦で枢軸国が敗退したことにより、彼らの占領地や植民地が直後に独立した。1950年代にはイギリスとフランスの植民地が独立運動を起こした。連合国だった国家は独立運動を武力で抑えようとしたが、できなかった。1960−70年代に植民地ないし属領地などの抵抗運動を抑圧できたのはアメリカとソ連だけだった。1960年代はそのような新興の独立国家が米ソの覇権に参加しないことを宣言した。中国やインド、インドネシアなどがそのような運動の象徴になるだろう。問題は、彼らの理念が現実化できなかったこと。独立するのはできても、自立するのは難しいようだ。ひとつは経済的な自立で、上記の国は世銀とかIMFとか先進国から借款しなければならず、もうひとつは国内の批判活動を抑圧・抑制したこと。後者の問題は、自由・平等を政治的に実現するときに政府に批判的な在野グループや政党の存在が不可欠、ということを発見させることになった。21世紀には、この本のヒーローたちが作った国家が内部批判が起こり、暴動から転覆へという政治活動が起きている。さて、50年前とは別の道を行くのか、同じ道を繰り返すのか。評価はこれから。