odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

天藤真「遠きに目ありて」(創元推理文庫)

  1976年に雑誌「幻影城」に連載。翌年、単行本で出版(1981年に改訂)。探偵は信一少年。脳性マヒをもっていて、自立運動ができるのは右手の一部。たまたま知り合った現職の刑事が少年に魅了され、毎日のように通う。事件の話を聞いた少年の慧眼が事件を解決する。最初の二篇はベッドにねたきりのまま事件を解決したが、後半では刑事や警察署の協力で現場をみにいったりする。過去にも障がい者が探偵であったことはめずらしくないが(それこそ20世紀初頭の短編探偵小説の時代から盲目や難聴の探偵が現れている)、この国ではとても早い時期のもの。少年のモデルは仁木悦子(彼女自身も障害をもっていた)の長編に登場するキャラクターから。

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多すぎる証人 ・・・ 日曜の午後、団地で断末魔が聞こえる。バレーの練習中のママさんたちがベランダで絶命した被害者の最後の言葉を聞く。逃げていく容疑者を目撃したものは8人もいたが、内容は一致しない。被害者には金をせびりに来た水商売の女がいたが、アリバイがあった。なぜ証言は一致しないのか。1975年当時、新築10年ころの集合団地には小学生の子供のいる家族がたくさん住んでいた。それから45年後の21世紀の10年代には、当時の親が取り残されて高齢者だけがすむようになった。

宙を飛ぶ死 ・・・ ある会社の重役がそろそろ結婚する予定のところ、小学校の同窓会にでかけ、失踪した。自動車を都内のホテルに残したまま。数日後、死体が諏訪湖で発見される。その日、飛行機が盗まれ、諏訪湖で爆音を聞いたという証言がある。死体には救命具をつけ、うしろには二つのX(ダブルクロス:裏切りの意)が書かれている。そういえば、経理の女性社員と艶聞があったが、手切れ金を要求されている。失踪した日には諏訪湖で彼女と別れ話をする約束があった。そのうえ重役は若いころに過激派の一員であったことがあり、最近落ち目になった組織はゆすりのために接触してきた。死体は空を飛んだのか。

出口のない街 ・・・ 暴力団の捜査をしている刑事が内通の疑いをかけられた。汚名を挽回すべく、熱心に捜査したところ、重要参考人のやくざの居場所をつきとめた。新人婦警をバックアップに回し、追いかける途中で見失う。そこに死体を発見したという報告。死体は重要参考人のやくざ。通報を受けた警察は路地を封鎖していて、出入りしたものを確認していない。発見者のアリバイも確認されて、ではいったいどこに犯人は消えたのか。密室殺人の有名作(ここでは書けないので、秘密の日誌に書いておく)の変奏。そこよりも、知的障害の姪がいるという若者の、信一少年への振る舞いに感動。
見えない白い手 ・・・ 資産家の独身中年女性が自宅で殺された。もっとも容疑が濃いのは、不出来な甥。今も詐欺事件絵起訴されている。独身女性には脅迫状が送られたり、毒入りの飲み物が提供されたりと、警察に警備を訴えていた。その矢先のできごと。死体発見時の女性の自宅には、弁護士や親友などが時間差で訪れていたが、だれも犯人を見ていない。いったいどうやって。事件の背景説明がもったりしていて、冗長なのが不満。事件の構図は都筑道夫の短編にありそう。事件の方法はチェスタトンの短編に先行例がある(いいんです、そこは小説のウリではないから)。

完全な不在 ・・・ 新劇の俳優ももう70代。娘がアイドル(この言葉が流行してきたころ)で売れ出したら、元恋人のスキャンダル(麻薬など)で暴力団がゆすりに来た。娘が巡業で家にいないとき、俳優の家でゆすりの暴力団員が殺されていた。最有力の容疑者は俳優であり、逮捕起訴されたが、アリバイはなんとも雲をつかむようなあいまいなもの。ところが、そのアリバイを裏付ける証人二人(浮浪者とマタギ)が現れ、俳優のアリバイを証言した。検察は起訴事実を撤回し、無罪放免された。どこに問題があるのか。この短編集の白眉。この短編では探偵の側から物語るのであるが、「犯人」の側から物語るのが直後の長編「大誘拐」1977年になるわけね。定住しないマタギがいることがリアリティをもった最後の時代。

 

 捜査の担当者がしゃべり、話を聞くだけの探偵が事件の謎を解く、あるいは解決の鍵を見つける。というのは都筑道夫「退職刑事」(雑誌初出は1973年)に似ている。日本の多くの探偵小説では登場人物の会話や行動は別に、捜査で得られた情報を新聞記事のように記述することが多いが、この設定であれば語り手の喋りを整理したものと説明がついて、物語を停滞させない。
 人の殺し方に凝りすぎないところもよい。密室だ不可能状況だなどで登場人物が大騒ぎしないし、解決でもトリッキーなことをしない(「宙を飛ぶ死」だけ残念)。第三者からすると文句のつけようのない解決に、不自然さや作為から謎を見出す視点の移動をするものが印象的。なので「多すぎる証人」「完全な不在」が傑出。
 この時代の探偵小説の(あるいは日本の探偵小説の)常として、事件の背景の人間関係やできごとを詳しく書きすぎる。なので冗長(「出口のない街」「見えない白い手」が残念)。それを差し引いても短編集の佳作です。

 

 さて、信一少年。彼の聡明さや純真さ、彼をサポートする母親や刑事たちにほのぼののとした気分になる。という一文を書き付けたとたんに、自分の心の貧しさに愕然とする。戦後、優生保護法のために障碍者不妊手術を強制されたとか、感染性がないことが立証された後数十年も「患者」を隔離しつづけたとか、「生産性がない」という理由で障碍者を多数殺害したとか、それを支持するような「論文」(というデマ)が雑誌に出版されるとか、この短編集がでてから半世紀近くたっても、信一少年(2018年に存命であれば60歳くらい)を囲む状況は全く変わっていない。その変わりなさを容認してきたのが自分らであると自覚すると、この小説のほのぼのさに申しわけなく思う。
 もちろん21世紀には多くの公共施設で車いすが利用できるようになり、移動のサポートする体制が整えられている。これは問題を持たないものがが不自由をおもんばかって実行したのではない。この短編では、障がい者は外出することが憚られる社会の「空気」があった。その壁をぶち破る運動があってから変化が起きた。

  映像やツイートにあるように、社会の利便を意識することなく享受しているものは利便を不自由にする運動を排除しようとする。それが一部の人を変え、多くの人が共有し、システムを変えていく。最初の一突きでは暴力があるのだ(それは公害被害者でも同様。水俣病患者が原因物質を垂れ流す日本窒素前に座り込みをしたとき、労組や周辺住民は患者を暴行した。その映像が報道されてから、社会の「空気」は変わる)。
 最近のできごとでは、LGLに「奄美空港(鹿児島県奄美市)で搭乗する際、『階段昇降をできない人は搭乗できない』と説明され、階段式のタラップを腕の力だけで、はうようにして上らされていた」ことがおき、

mainichi.jp

国土交通省は航空会社に対し、障害を理由にした差別を禁ずる障害者差別解消法の内容を改めて周知する。バニラ・エアには同法を踏まえて今回の問題を検証するよう指導した」

www.nikkei.com


 こうした事例をみると、自分は小説を読んでそのファンタジーで満足するだけではなく、リアルの問題に向き合わねばならないと再確認。