odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

木坂順一郎「太平洋戦争 昭和の歴史7」(小学館文庫) 1941~1945年。軍や民間人が占領地や植民地で残虐行為や強奪を繰り返す。

 この時代(1941~1945年)はおもに戦史を読んでいて、陸海軍の各地の戦闘はそれなりに知っていた(日本の側から戦史分析をすると見方が偏る/見えないものがあるので、相手国からの戦史も参照するべき。マッカーサーのみならず毛沢東朱徳の立場から見ることも重要)。また、政府や軍部、天皇の戦争責任や敗戦の原因分析なども別書でみてきた。
2012/09/15 森本忠夫「マクロ経営学から見た太平洋戦争」(PHP新書)
2015/04/03 井上清「天皇の戦争責任」(岩波現代文庫)
 なので、戦闘行為や軍隊にはあまり拘泥せず、ここではおもに国内の政治と植民地・占領地の政策に焦点をあてるようにする。軍や民間人が占領地や植民地で残虐行為や強奪を繰り返してきたが、それは戦時の異常事態や異常心理で起きたのではない。明治政府以来の排外主義や植民地主義の政策の結果、差別やヘイトクライムが日常になっていた。それが戦時で大拡大して起きた。そういうアーレント全体主義の起源」の見方がこの国の近現代史を見るときに必要。

緒戦の勝利 ・・・ 1941.12.8開戦。宣戦の詔書では、相手国は英米のみでオランダ中国は記載されていていない、戦争目的が書かれていない。著者らは開戦の理由を国内情勢と対米で説明していて、欧州情勢には触れていない。以下で補足しておこう。
加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)-3 
連合国は1940年5月に大西洋憲章を宣言。領土不拡大、民族自立、平等権、侵略国の武装解除などを盛り込む。戦争目的、基本戦略などを一致させた。しかし枢軸国側は共同行動がとれず、各国がそれぞれの思惑で勝手に動いた。

戦勝に酔う国民 ・・・ 宣戦の詔書がでてから、戦争賛美や参加促進の国民運動(デモ、街宣、講演会、集会など)が各地で起こる。政府も毎月8日を国民運動の日とする。文化人、産業人らが翼賛を勧める。一方、戦時刑事特別法を施行し、反政府運動自由主義や民主主義の抑圧・弾圧を強化し、スパイ防止の防諜を国民運動にする。表現の自由がなくなる。

ファシズム体制の確立 ・・・ 戦況がまだ好ましい1942年4月に戦時中最後の総選挙が行われる。警察が立候補者適格名簿などを作って翼賛選挙化しようとしたが、不満を持つものや右翼が無視して立候補する。メンバーの入れ替わりがあったが、翼賛体制が完成。しかし代議士や政党出身者は不満を持ち、対抗しようとする。一方国民は町内会・隣組などに組織化される。著者は1931年から始まったファッショ運動がこの選挙で完成したとする。
(自分からすると、1891年の明治憲法発布からファッショ運動が始まっているとか、日本の天皇ファシズムも国民運動に支えられているとか、排外主義・植民地差別がファッショ運動の原動力になったとかと指摘するべき。)

戦局の転換 ・・・ 米軍の態勢が整うと、日本軍は守勢にまわる。1942年ミッドウェー海戦ガダルカナル島攻防戦が転換点。以後、日米軍は対峙体制。中国、満州は膠着状態。欧州戦線も枢軸国側の守勢に転換する。ここらへんで講和すりゃまだしもだったのに。
2022/12/15 森村誠一「ミッドウェイ」(講談社文庫) 1991年

経済と思想・教育の統制強化 ・・・ 日本のGDPは1937-39がピークで以後落ちるばかり。民需が不足し、食糧生産が危機になり、インフレが進行。もともと低い人件費を抑えることで対応した。皇民教育が徹底される。戦陣訓には島崎藤村佐藤惣之助という文学者が参加。文系学者の多くが戦争加担。国民学校に改組されて皇民教育が子供に行われる。武道の必修、知識偏重教育の是正、国家神道儀礼の強制、体罰の横行などはこの時代から。

戦時下の敵国人 ・・・ アメリカ大陸各国の日系人排斥や強制収容。日本にいた外国人の収容と強制帰国。

大東亜共栄圏」の幻想 ・・・ 植民地や占領地のアジア人への処遇。

「南方占領地にたいする日本の基本方針は、現地住民に日本への絶対服従を強要するという、露骨な帝国主義的性格をしめしていた。(P221)」
皇民化政策以上に現地住民の反発を買ったのは、日本軍による虐殺と残虐行為であり、強姦であり、「徴発」と称する物資と食糧の略奪であった(P232)」

 これらは東南アジアの占領地だけでなく、中国の戦闘地域でもあった。傀儡政権ですら抵抗し、民衆からも排日のゲリラ行動が見られた。日本はいうこともなすこともデタラメで悪で不正だったので、解放者として親交されるはずなどなく、深い怨嗟と憎悪の対象になった。通常、残虐行為と虐殺は南京事件に集中しすぎるので(極右やネトウヨが歴史捏造に使うので)、その他の地域のできごとがほとんど知られていない。

満州・朝鮮・台湾の兵站基地化政策 ・・・ 日本の政策は朝鮮と台湾と満州の兵姑基地化。そのために実施したのが皇民化教育、徴用工、食糧徴発など。ここで行った日本の不正や虐待、虐殺行為などはもっと知られるべき。日本の敗戦後80年近くたってもいまだに解決していない。(日本軍のいう「本土決戦」は満州・朝鮮・台湾での決戦を意味していたのだおる。これらが落ちて、列島に被害が出たら上陸作戦の開始前に降伏してしまった。)
なお満州では「産業開発5か年計画」が行われていた。岸信介などの少壮官僚がソ連をまねた計画経済を実験していた。生産もロジスティックも破綻していた。計画経済がダメなのはソ連東欧の社会主義国の崩壊でわかったのだが、それ以前に日本の実験が失敗していた。

「絶対国防圏」をめぐる死闘 ・・・ 1943年は膠着期、無謀で無計画な大作戦を行っては敗退するようになる。1944年は後退期。ほとんどすべての占領地を失い、本土にむけて撤退を開始する。兵士、民間人の死者多数。捕虜、占領地の市民に甚大な被害と損害を与える。
 1943年、東条内閣は東条一人に権限を集中するような内閣改造を行ったが、海軍の不興を招き、1944年7月に総辞職する。集団統治する日本の組織にはよくあること。

天皇ファシズムは、上からの官僚統制による国民の画一的組織化をつうじて実現されたが、それゆえに体制を維持するためには下からの国民の自発性を引きださねばならず、それが行きすぎると上からの官僚統制と衝突するという深刻な矛盾をかかえていた。(P336)」

 ここで東条らの経済統制派が失脚し、経済自由主義の政治家や官僚が「改革」を開始した。この時の方針は敗戦以後も継続されたとみなす考えがある。吉田茂岸信介のような戦時中閣僚が戦後総理大臣になる背景はそこ。
2021/01/29 雨宮昭一「占領と改革」(岩波新書) 2008年

絶望的な抗戦 ・・・ 1944年。戦線は破綻。絶望的な抗戦が続けられ、兵士・民間人・現地住民・相手兵に甚大な被害・損害を生じさせる。現地の問題のいったんがリンク先。人を者扱いする日本人たち。
2021/02/08 栗原俊雄「特攻 戦争と日本人」(中公新書) 2015年
2019/05/9 広田和子「証言記録 従軍慰安婦・看護婦」(新人物文庫) 1975年
国内では民需と食糧が不足。インフレが加速。植民地で徴用令が施行され、強制連行が始まる。

大日本帝国の崩壊 ・・・ 1945年。絶望的状況。本土空襲、沖縄戦、原爆投下。ポツダム宣言受諾まで政府と軍部と天皇はグダグダな会議を続け、被害を拡大する。占領地や植民地で解放闘争、独立運動が開始される。駐留日本軍は弾圧する。
2012/06/15 早乙女勝元「東京大空襲」(岩波新書)
2015/04/01 石野径一郎「ひめゆりの塔」(旺文社文庫)
2021/02/05 栗原俊雄「戦艦大和」(岩波新書) 2007年
2015/04/02 井伏鱒二「黒い雨」(新潮文庫)
 生産財が破壊され自給自足もできない。日本が敗戦まで飢えなかったのは植民地や占領地の米を強奪して日本に持ち込んだから(敗戦後は持ち込めないために深刻な食糧不足になり、アメリカの家畜飼料で飢えをしのぐことになる)。また、捕虜・植民地出身者などに暴行、虐殺が横行する。国が滅亡するときに、ヘイトクライムが容易に起こる。

 

 15年戦争を継続したのは、政府や軍部のメンツを保つためだった。政策指導グループが失敗を認めず、敗北を隠そうとし続けた結果、国民から数百万人、占領地や相手国から2000万人以上の使者をだした。さまざまな人権侵害と戦争犯罪を犯した。日本の歴史で最悪の時代、日本民族の汚点。