odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

本田由紀「軋む社会」(双風舎、河出文庫)

 著者のTwitterは2017年ころからフォローしている。主に教育に関して、鋭い批判的意見を表明しているので。 
 社会のどこが「軋」んでいるかというと、昭和のころまでには教育-仕事-家庭の循環関係があってそれなりに機能していたが、平成不況のあと循環関係が空洞化し、エゴイズムが支配するようになった。とても危機的な状況はおもに働かせ方の変化に直接の原因がある(正社員を減らすとかボーナスをショボくするとか派遣社員を合法化するとか社会保障を減額しサービス内容を制限するとか)。それが、現在の教育-仕事-家庭を危うくしている。このような問題意識で、事象を論じる。初出は2008年。文庫本もあるけど、今回は双風舎の単行本を読む。

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1 日本の教育は生き返ることができるのか ・・・ 昭和の時代の「学歴社会」は総中流の正社員における差異を扱ってきたが、21世紀には教育-仕事-家庭の格差を拡大し固定化するようになっている。これは個々人の努力では解決できないので、それぞれが声をあげて社会問題にしないといけない。
(それこそ自分が生まれた時から「#保育園落ちた日本死ね」のような格差に投げ込まれるから。そしてネオリベリバタリアンのなかの「自己責任」を他人の押し付ける風潮で対抗や抵抗する意思を委縮させられる。なので声をあげないと。あと安倍内閣以降は政治が教育に口を出すようになり、素人考えやカルト宗教、レイシズムの押し付けがあるので、そこにも対抗・抵抗しないと。)

2 超能力主義に抗う ・・・ 産業構造の変化で、仕事では新規需要開拓能力とルーティン的な対人能力で評価されるようになり。そこから学力や学歴で評価する業績主義(メリトクラシー)にかぶさるように超能力主義(ハイパーメリトクラシー)ができた。ハイパーメリトクラシーは、非認知的非標準的な感情操作能力が個人の評価や地位配分の重要な基準とされるやりかた。これは正解がなく点数化できないのでいつまでも要求される。差別不公正がおきるし、自己責任重視から自己否定や排除に至ったり、働きすぎが起きたり。
(「非認知的非標準的な感情操作能力」は「人間力」「コミュ力」「同調力」「共感力」など。こういう具体的でなく数値化標準化できないことで評価する。評価する側の恣意や愛憎が入るから差別やハラスメントの温床になるのだよなあ。)

3 働くことの意味 ・・・ 日本の労働環境の特徴は長時間労働、低年収、挽回の機会不足。長時間労働の理由に集団圧力と自己実現系がある。趣味、ゲーム、奉仕、カルトなどを仕事にいれることで、企業は労働搾取を進めている。若者は家族(とその資産)に依存せざるをえない。
(若者の政治参加が少ない理由のひとつに家族依存があるわけだ、と気づいた。なるほど家族への迷惑が公的自由を楽しむことを妨げるわけだ。かつてのような強い家父長制ではなく、経済的依存が活動@アーレントすることを委縮させる。)

4 軋む社会に生きる ・・・ 2と3の問題で行動している人たちとの対談。
(趣味や自己実現を仕事にするのは危険。キャリアステップや仕事のマニュアルがないところでワーカホリックが発生しやすい。社会資源としての金や人を持つのは大事、などをメモ。長時間労働もなく人間関係で悩むところのない場所、古本屋とか喫茶店とかパン屋とか、で事件が起きて主人公が活躍というミステリーが多いのだが、俺はありふれた設定だと思っていたが、若者からするとファンタジーなわけなのね。)

5 排除される若者たち ・・・ 21世紀になってから若者が現実面でも(就業しにくい)、言説面でも(若者バッシング)排除されるようになった。市場至上主義からの自己責任論が内面化されて若者は抗議や抵抗を行えない。(この論は2007年に書かれた。在特会の結成前。なのでマイノリティへのヘイトスピーチヘイトクライムは可視化されていない。もちろん著者は10年代のツイッターヘイトスピーチを取り上げている。)

6 時流を読む―家族、文学、ナショナリズムをキーワードにして ・・・ ゼロ年代の文化風景。精神科医社会学者のナショナリズムの観察。振り返ると(いずれも2007年の記事)、精神科医の危機感があたり、社会学者の楽観が外れた。現場を見ない、行かない学者の限界だろうな。21世紀のプロレタリア文学を語る座談にECDが登場。サウンドデモや選挙応援でゲリラライブをやったりして、目的があって集まるけれどもメンバーシップに拘泥しない集まりを構想している。個と集団の間に集まりをみるわけで、これは311後の市民運動を予見するもの(というかECDは新しい市民運動をけん引していった)。

7 絶望から希望へ ・・・ 日本社会は自発性と服従を同時に要求するダブル・バインド。これを変えるために考え続けろ、声高に主張しろ、動き出せ、仲間を見つけろ。

 

 教育、仕事、家庭の問題を語るときに、自分の環境から発想すると誤りがでる。自分の経験からこれらを語ると、他人に押し付けになりやすい。大阪などで小中校の校長を公募したとき、民間企業の経験者が採用され、現場をめちゃくちゃにする事例が多数発生したという。公募された校長の個人的な体験からの改善提案が現場の多様性に対応できないのだろう。
 なので、このような調査を経て、さまざまなサンプルを検討する作業が必要。その資料になるのが本書。教育、仕事、家庭の問題にどう動けばよいのか、自分の体験は特殊だと思っているので、今のところ見当もつかないが、どういう問題に注目すればよいのかの参考になる。あと著者もSNSで発信を続けているので、できるだけ見るようにするとよい(というか、著者をフォローしているから本書を買ったのだ)。