odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

マーク・トウェイン「人間とは何か」(岩波文庫)

 1890年代に書かれ、私家版として1904年に出版。正式出版は没後の1917年。
 老人が青年に語る。いわく、おまえの信じている人間の権威、尊厳、崇高さなどはないのだよ。なんとなれば人間は外的諸力に強制的に動かされている機械なのであるから(この「機械」はマシンとかメカというより、「刺激反応システム」とでもいったほうがよい)。人間はみずから創造することはできず、支配することもできない。人間には自由意志はない、せいぜい自由な選択ができるくらい。行動原則は自己満足であって、ときに利他的な行動があったとしても、根は自己満足にあるのだ。青年はがんばって反論するがことごとく論駁される(といって納得したわけではない)。

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 この老人の考えは1900年の前後にはスキャンダラスなものであったかもしれないが、21世紀の眼で見るとそれほど違和感はない。むしろ、このあとの動物行動学や精神分析行動主義心理学などを知ってしまうと、その成果や考えがたんじゅんに書かれていると知れる。人間を機械とみなすときに、類例に種々の動物の行動が引用されて、人間のそれと変わらないか、徳においては優れているとみなしたりする。これは数十年後のローレンツの観察などで見られること(自分はトウェインの同時代にあたるファーブルやメーテルリンクの昆虫観察記録を読んでいないが、似ているのではないかな)。まだ進化論が十分に普及していないときに、人間と動物の差異を認めないというのはかなり先進的。自由意志がないとか、行動も自己満足から生まれるなどの指摘も精神分析行動主義心理学に近いような見方だと思う(門外漢なのでうのみにしないように)。
 賛同はここまで。以下はトウェインに対する非難や罵倒。老人はいろいろなことを見逃している。人間は創造などできない、すでに知っていること教わったことを反復するだけという。なるほど、個人のできることはそんなものかもしれない。でも集団や組織になったとき、個人のわずかな試みが集積されると、「創造」が生まれる。農業や土器・石器の発明、文字の発明から始まって、関与した人々が分かっている蒸気機関や鉄道の発明などがそう。人間の社会性や組織をまったく見逃している。また、貧乏な子と金持ちの子で知識や徳の違いがみられることを指摘して、人間の可能性はもともとちっぽけなものという。ここでは老人は人為的につくられた格差や貧困の問題を見逃している(奴隷解放令から50年、婦人解放運動がはじまったばかり、労働組合運動が資本家や政治家に弾圧されていた時代だ)。トウェインは当時のゆたかな人々・満足した人々@ガルブレイスにあたるので、このようになるのだろう。
 青年のいう人間の権威、尊厳、自由意志、崇高さなどはそれこそ西洋中心主義にあるもの。20世紀の哲学者ほかが批判してダメだししていた内容。なので、青年が論駁されて言うことをなくすことには痛痒を感じることはない。一方で老人はそれらが根拠のないだから無駄であり、人間は不安から逃れることができないから不幸なのだというのもなんだかなあ。たぶん老人は他を否定しても「死の恐怖」を否定できず、そこから脱出ができないと思っているのだろう。「死の恐怖」を考えつくそうとしたハイデガーにしても、克服はできなかったから、それはかまわない。ただ、老人の否定の先には、刹那を嗤う冷笑の響きしか残っていない。
 そういうところでこの老人こそが真正のニヒリストであるだろう。かれの冷笑はこのあと20世紀を通じて世界を覆いつくす。老人のような冷笑家とニヒリストがたくさんいるのが、大衆社会アーレントであり、全体主義国家を支えることになったのだろう。
 この老人の考えは「不思議な少年」でも展開しているので、併せて読めば(といいながら21世紀には不要な書物)。