odd_hatchの読書ノート

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小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-3

2019/07/19 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-1 2010年
2019/07/18 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-2 2010年

 

 読みながらいろいろ疑問をもっていたら(サンデルの議論は東洋でも使える? コミュニティって封建的じゃない?)、最後に指摘があった。なるほど素人が思いつくようなことは専門家が十分に考えていることなのであった。あたりまえ。
 もともとはサンデルによるロールズの正義論批判を知りたかっただけだったが、サンデルおよび公共哲学がとても広範なことを考えていることが分かった。

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第4講 「遺伝子工学による人間改造」反対論―『完成に反対する理由』の生命倫理 ・・・ 邦訳タイトルは「完全な人間を目指さなくてもよい理由」。遺伝子工学などのバイオ技術で人間を改変したり、子供を設計することへのコミュニタリアニズムからの考え。リベラリズムは自己決定の尊重からこれらの増強エンハンスメントを支持し、道徳的保守派は拒否する。サンデルは生命はgiftedであって、天賦(これは著者の翻訳)のものであるとされる。生命にかかわることで人間は「謙虚」「責任」「連帯」を学ぶ。増強を行うことは、これらを失い、「善き生」の根拠を失うことになる。リベラリズムは子供の設計(遺伝子診断で出産するか否かを決めるなど)をするが、それは愛を条件付きのものにし、親の支配力を強化し、過干渉(または放置)を容認することになる。現在起きているバイオ技術の研究は容認するが、社会で実行することには慎重であろうとする。
(ここで起きている事態は、科学と技術の進歩がすさまじく、哲学や法などがまったく準備されていない(そのための議論も起きていない)まま、子供の設計と大人の改造が行われていること。実際、自分の知っている1980年代のバイオ技術から予想もできなかったことが21世紀には実現していて、臨床や医療の現場で使えるところまで来ている。これまでは技術の発達はゆるやかであったので、哲学や法は一世代前のものでも有効であり、議論の時間はたっぷりあった。それが今では技術の発展に哲学や法が追い付くのがむずかしい。事象ごとに判断が分かれてくるが、考えを始めるための基盤、根拠を考える。複雑な議論になり議題が錯綜したときに、ここは間違えてはならない・外してはならない大元のところ。サンデルは「生命はgifted」とする。)

第5講 コミュニタリアニズム的共和主義の展開―『公共哲学』論集の洞察 ・・・ 2005年の小論文(エッセイ)集の解説。政治家が道徳的アピール、経済的正義の表明をするのは大事。経済政策のみでは支持を得られない。正義や共通善などの国家の道徳的態度を示す必要がある。商業や市場の圧力が公共的な制度を腐敗させることに懸念。公的領域が市場的になる。例えば、スポーツ、教育、文化財の競売、排出量の国家間取引。
(サンデルや公共哲学の考える正義には経済政策にまでおよぶ。例えば、福祉のための課税を正義とみなすか、そうでないとするか。サンデルらは「格差原理」が働けば、課税を正義とみる。ここは俺には衝撃的で、それまで正義は憲法やせいぜい刑法くらいまでの合意かと思っていた。もっと踏み込まないといけないわけだ。)

最終講 「本来の正義」とは何か?―正義論批判から新・正義論へ ・・・ サンデルの考えのまとめと今後の公共哲学の展望。それを実現する、対話的・弁証法的探求という方法。


 サンデルのような哲学者のように「正義」や「共通善」を考えるのは、訓練されていないと危ない。本を読んでいるだけでは思い込みや偏見を持つようになり、それを糾す・正す他者がいないからだ。
 そこで、自分のような素人は具体的な事例や運動の中で「正義」や「共通善」を考える。そうすると、これまでの差別反対運動ではリベラリズムの考えが強くて、自己決定の優位や法の適用などで差別反対を考える。そのとき、排外主義や差別主義を主張する連中もまたリベラリズムを使って反論してくるので、リベラリズムでは十分に反論できなかったところがある。同じく「(ヘイトも反ヘイトも)どっちもどっち」や冷笑する連中の反論に対しても。21世紀の10年代に現れた反ヘイトの運動の特徴は、公共や善を積極的に取り上げてきたところ。今の反ヘイトでは「正義の多様性」はいわずに公正に基づく正義をいい、自己決定よりも「共に生きよう」と共通性や公共性を優位におく。ときには経済成長よりも格差原理の再分配を主張し、技術や政策による人間や自然の改造には慎重であろうとする。国家主義の家族や共同体復活に反対して、ゆるやかな人のつながりや社会の公的扶助を主張する。こういうところに、サンデルのコミュニタリアニズムや共和主義が出ているように思った。(とはいえ、反ヘイトのひとたちは、自民党政権ネトウヨなどの国家主義リバタリアニズムに対抗するために、自らを「リベラリズム」と称しているので、この変化には気付いていないだろう。)
 これまでの自分の考えがリベラリズムに沿っていて、それに対する批判にうまく対抗することができていなかった。コミュニタリアニズムの考えは刺激的。