odd_hatchの読書ノート

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マーク・トウェイン「不思議な少年」(岩波文庫) 宇宙的な死を持ち出して人間の無価値を説く「サタン」はネットによくいる冷笑主義者にそっくり

 トウェイン最晩年の作(出版は死後の1916年)。

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 1590年のオーストリアの片田舎。教会が町の中心で、町長もいるが神父の権威が強いころ。3人の子供が遊んでいるところに、「サタン」を名乗る美少年が現れる。古今東西の面白い話をして子供らを魅了したが、不思議なことに大人には見ることができない。彼は16000歳であるがまだ少年だ、でも面白い経験をしてきたから、君らを楽しませようという。それから起こしたことは
・貧乏なピーター神父に財布を拾わせる → 星占師に盗難の容疑を賭けられ逮捕される。
・残されたマーゴットと女中アーシュラに魔法の猫を送り、金と食べ物が奇跡のように現れる → 村人を集めたパーティで奇跡を起こして、村人をパニックにさせる(魔女狩りが進行中の時代)。
・子供らのひとりであるニコラウスの人生を変えてみせるという → 40年も病気でいるところが12日後に人助けで溺死。
魔女狩りとそのあとの裁判で石を投げるを笑う。それをなじった3人の人生を変える → 5分後に突然死するもの、3日後に死ぬもの、3年後に死ぬもの(同じことをインドでも行う)。
 ここらへんは怪奇小説の「悪魔の取引」の原型かもしれない。悪魔(サタン)は子供(語り手の私)の希望を聞いて、死ぬかもしれないものを生き延びさせることができるが(逆に貧困や病気で苦しむものを即座に死なせることができるが)、希望通りにはならない。悪魔がいうには、人生は無数のパターンがあり、この宇宙では宿命が決まっている。おれは人生を変えることによって、彼/彼女の生の苦痛や悲惨を少なくしたのだ。それは人間の考えに合致しない。
 それはサタンが語り手の子供の見せた人類の歴史を見れば一目瞭然。エデンの園を追われたあと、人間は殺人、殺戮、戦争を繰り返し、飢饉で苦しむ人を放置して荒廃を広げた。それが人間の本性にほかならず、そのうえ強いものや扇動者の大きな声に合わせて、他人の生命や財産を棄損・侵害することに躊躇しない。そして進んで少数者の奴隷になるのである。人間は、浅ましいことや醜いことを動物のようだというが、良心でいうと人間よりも優れている、動物は無心だから。しかし人間は良心をもって他人を差別し、ジェノサイドを行うのである。
 サタンがなぜ人類をどうでもよい存在、むしろバカバカしいほど愚かな存在とみなすかというと、サタンには動物と人間の差異がくっきり見える第三者の立場をとれるから。そこからなら、人間に冷淡・無関心な態度ををとることができ、宿命論的宇宙では死が幸福であり、生は不幸であると見える。キリスト教道徳や近代の進化思想を徹底的に馬鹿にし、コケにし、宇宙的な死において人類の存在が無価値であるとみなす。なにしろ最後は人生や宇宙はおろかサタンの存在まで、夢・幻想とする独我論を開陳する。
 このあたりがサタンの考えであり、たぶん作者の考えであるのだろう。若いころに持っていた人間への信頼(トム・ソーヤーやハックベリー・フィンらに体現)は消え失せ、失望と無力感しか残っていない。トウェイン先生はひどく老いて、疲れてしまったようだ。好意的に見てもこのくらいの感想。(トウェインのずるいのは、このような人間の愚かさやダメさを指摘するときに、自分だけはその対象に含まれないようにしていること。サタンの「いたずら」で人に不幸が訪れるとき、一番そばにいた作者の代弁者である「私」は関与を疑われないし、社会に告発することもないし、そのことを反省しない。人間のいない宇宙的な無や空の「真理」を知るのは作者の代弁者である「私」だからね。)
 別の本の感想( マーク・トウェイン「ちょっと面白い話」(旺文社文庫) )でもいったが、トウェインの立場は凡庸な相対主義。社会や人間や歴史を斜に構えて見下す。対象は冷笑し、批判にはメタな立場をとって無効化する。なるほど、無敵の論者になっているわけだ。それはでかい権力や権威があるとき(当時ではキリスト教道徳に資本主義)、相対主義の批判の矢は鋭い。
 でも、そのような権力や権威を相対化した先に、大衆迎合主義の独裁者が現れ、こぞって大衆が奴隷になることを望むようになったとき、シニカルでペシミスティックな皮肉はどこにも突き刺さらない。ページの最後が宇宙的な無、暗黒、闇になるこの小説は21世紀にはいらない。

 wikiによると、「不思議な少年」は何度も改稿されて複数の版があるとのこと。岩波文庫と角川文庫では版が違うらしい。

ja.wikipedia.org