odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小山慶太「漱石が見た物理学」(中公新書) 漱石のいた時代は古典物理学の危機の時代。漱石の「非人情」は物理・数学好きのせいかも。

 漱石を読み返している最中(2021年3月現在)。漱石の「文学」の解説は読む気はないが(読むと引っ張られるので参考にしないし、これまでの読みとは違うところで読んでいるので参考にならないし)、物理学なら参考になるかもとタイトルにひかれて購入。著者は物理学者で、長年の漱石ファン。

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 漱石は学生時代英語より数学が得意で、学友からは理系に進学すると思われていたという。ロンドン留学時代には池田菊苗(化学者、L-グルタミン酸ナトリウムの発見者として著名)と親交があって、彼と科学について議論することもあったという。帰国後に開催した木曜会には一回り年下の寺田寅彦がいて、最新物理学の話を聞いたり、逆に漱石が寅彦に物理学の本を紹介したりもした。小説でいうと、数学好きは「坊ちゃん」の「おれ」に反映しているといい、「猫」に出てくる「首くくりの力学」にも、「三四郎」の野々宮君の実験にも元ネタになる論文があるという。「フィロソフィカル・マガジン」などに掲載された論文は日本でも読むことができ、参照すると、漱石は内容を正確に理解して小説に書いているとのこと。「首くくりの力学」は古典物理学の傍系の研究で博物学趣味のところがあり(いまでもイグノーベル賞は受賞できないだろうな)、後者は光が粒子か波動かを決める実験で最先端の話題であるとのこと。また日記やメモ、寅彦への手紙などをみると、晩年(といって50歳で早世した)になっても科学への関心は高かった。でも「それから」以降の小説には登場しなくなった。
 本書に登場する漱石の話はこれくらい。分量は全体の10分の1にも満たない。
(著者は文学と科学が水と油のように異質なもの(と思われている)というが、それはある時代の日本文学の特殊事情ではないかな。19世紀以降、怪談やSF、探偵小説は科学なしには成立しないとか、科学の話題はなくとも合理主義や論理性が貫かれるとか、文芸は科学の影響を受けているはず。)
 では残りのページで何が書かれているか。漱石のライフタイムは1867年から1916年であるが、これは物理学の革命の時代に重なる。19世紀半ばに古典物理学は完成したのであるが、いくつかのほころびが見つかり弥縫策を検討していたら、次々と古典物理学では説明できないことが見つかり、古典物理学のベースを変える理論が提案されていった。物理学の完成は豊穣であり、危機であった。主要な科学者は、ケルヴィン、マクスウェル(電磁気学の統合)、ボルツマン(エントロピー増大の法則)、レントゲン(X線発見)、ヘルツ(電磁波研究)、プランク(量子仮説)、キュリー夫人放射線研究)、ラザフォード(原子モデル提唱)、アインシュタイン(説明不要)など。彼らの業績をみるだけで、高校と大学初等の物理学のおさらいになる。同時代の研究者からすると、10年単位(勝手な推定)で物理学理論や説明が覆され更新されていくのに追いつくのは大変だっただろうけど。
 まとめで、物理学は自然に積極的に踏み込むとしている。物理学に限るわけではなく、科学は自然に対する介入で、時に破壊までする。自然を複雑なままとらえるのではなく、把握できる要素に分解して調べ、再構成して(モデル化して)、自然にどれだけ近似しているかを確認する。この方法を徹底すると、学問は人間からどんどん離れて、「非人情」になっていく。漱石はほかの理由で日本の「人情」より西洋の「非人情」を好んだのだが(「草枕」)、あんがい、漱石の数学好き、科学好きに根があるのかも。