odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

泡坂妻夫「しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術」(新潮文庫) 読者を小説の中に取り込んでしまうことまでやっている電子書籍化できないミステリー。

 惟霊講会なる戦前からの新興宗教は、教祖のさまざまな奇跡によって戦後、信者を拡大してきた。教祖の行うのは読唇術で、「しあわせの書」なる教義書を目につかぬように開かせ、ページの最初にあらわれる文字を当てるというもの。ほかには、目隠しをして信者の持ち物をあてるというのもある。寄る年波、二代目を決めなくてはならないのだが、意中のものは二人。一人は美貌の霊能者、もう一人は教団を大きくした大幹部のだらしない孫。さて、だれにするか。
 一方、この講会では別のふしぎが起きている。熱心な信者が相次いで事故で亡くなったのだが、のちに生きているのが目撃される。一人であれば大したことはないのだが、それが3人にも4人にもなると、世間の目が集まってくる。今日も恐山のイタコに安否を尋ねる家族が会った。たまたま、そこにヨガの行者とその二人の弟子、風体からすると浮浪者そのもの、が、イタコと間違えられて、講会の死者を口寄せしていた。帰る途中、もう一度声をかけられ、妻が死んだとは信じられないから一緒に講会の大説法会に同席するように依頼される。数千人の入る講堂をうろうろするうち、幹部専用の部屋のある階に迷い込み、警備員に捕らえられたものの、教祖の声がかりで次の教祖を選ぶ修行に参加し、勝者を決めることを依頼される。そして、最寄駅から自動車で半日もかかる田舎の道場で、21日間の断食修行をすることになった。

f:id:odd_hatch:20220311090347p:plain

 しばらくは、味気ない文章に、みょうにキャラのたたない影薄い三人組のさえない冒険譚かと思わされる(追記:これは「ヨギガンジーの妖術」を読んでいなかったために起きた感想)。ところが、田舎町で断食修行を始めるころから俄然として面白くなっていく。冒頭からしばらくのそこらに転がっていそうな教団の跡目争いに、くだらぬ教義本、生きている死者のリスト、質素とはほど遠い教団幹部の自堕落で豪勢な生活、こういった脈絡ないものが一つの構図にまとまる。なるほど、味気ない描写に、影薄いキャラクターも,この構図を引き立てるためか。そう思う間もなく、断食と新興宗教の裏話で今度は興味を引き立てられ、第一候補だけが妙に元気なのが気がかり。
 書かれたのは1986年と思われ(文庫化は翌年)、迷走した旅客機の墜落事故、新興宗教団体「人民寺院」の集団自殺、東洋思想を装った新興宗教の乱立、素人が印刷所に掛け合って作った同人誌の自費出版など、その当時の意匠がなつかしい。自分の読んだのは2013年の22刷だが、1990年以降に生まれた若い読者にはこのあたりの背景が注釈抜きで書かれているのはつらいかもしれないな。断食修行中の道場には電話がひかれていないし、携帯電話をだれももっていないのも、理解の外になるのかもしれない。もしもこの感想で興味を持って本書を読もうという人は、上の情報を検索しておくことをお勧めします。
 で、断食でふらふらになった彼らはおどろくべき出来事にであう。そして読者もまた、驚くべき仕掛けに愕然とする。その説明を聞いている最中、手にした本のページをあわててめくり直し、「うへえ」と口をあんぐりさせることになる。カバーに「未読の人に『しあわせの書』の秘密を明かさないでください」とあるので、この先は書かないでおこう。
 ただ、ネットでは指摘されていないことをひとつだけ。冒頭に「1987年7月1日」という日付がある。それを確認したら、奥付をみてください。あわせてアニメ「AKIRA」の冒頭に出てくる「1988年7月16日」も想起すること。
 最後は、クイーン「エジプト十字架の秘密」と同じく、読者を小説の中に取り込んでしまうことまでやっていて、哄笑のうちに「いやあ、やられた」と明るい声でページを閉じることになる。そして、「しあわせの書」が3つくらいの意味を持っていることに思い当たる。

 

泡坂妻夫「11枚のとらんぷ」(角川文庫)→ https://amzn.to/3VdBQp3 https://amzn.to/3Tl3YEc
泡坂妻夫「湖底のまつり」(創元推理文庫)→ https://amzn.to/3v2GtYt
泡坂妻夫「ヨギガンジーの妖術」(新潮文庫)→ https://amzn.to/3Tim8pZ
泡坂妻夫「しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術」(新潮文庫)→ https://amzn.to/3VeURaJ
泡坂妻夫「生者と死者―迷探偵ヨギガンジーの透視術」(新潮文庫)→ https://amzn.to/3VjLR3T