odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

横溝正史「八つ墓村」(角川文庫)

 岡山県鳥取県の県境にある通称・八つ墓村。多治見家の東屋と野村家の西屋が村を仕切っている。「獄門島」「犬神家の一族」同様に、本家は傾きかけていて、分家が壮健であるというしだい。本家を次ぐべき長男は肺病と心臓疾患で明日をも知れぬ病持ち。他は女性のみ。一方、分家には村人には嫌われているもののしっかりした男がいる。そこで本家は以前駆け落ちした妻と子供を探し出し、あとを継がせることにした。兵隊にとられるわ、戦災で家を失うわで天涯孤独の辰弥に、青天霹靂の幸運が舞い込み、迎えに来た妖艶な女性と一緒に村に帰る。

 まず、ここで何かの小説に似ているなあと書くことをこらえつつ、八つ墓村をみると、典型的な農村である。とはいえ昭和24年にもなると、過去の村権力は弱まり、本家分家に対する忠誠も薄れていると見える(ここではあまりかかれていないが、農地解放で小作になった農家もいるのではないか)。にもかかわらず家の存続が重要なのは、村の産業が農業・炭の生産・放牧による牛の生産のみであって、いずれも農民には起業するにはしきいが高いか、売上の見込めないものしかなかったからか。エピソードにおいて新規事業の計画が語られ、村は近代化を図ることになる。起業家のいうように村の意識の改革のみが目的ではないだろう。まあ、当時としては目先が利いていた(高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」1951年の雰囲気に似ている)。さて1980年以降を乗り越えることができただろうか。
 閑話休題。辰弥たちが村に帰ると同時に、殺人鬼が跳梁跋扈する。なにしろ、神戸の事務所で一人、兄弟の顔合わせ時に一人、帰還祝いの席で一人、その夜に二人の尼さんが、という具合に数日も立たぬうちに4名が死亡。重要参考人は行方をくらまし、金田一はすでに死んでいると宣告してしまう。そのうえ、ここまでの200ページで、東家の主要人物として双子の老婆、辰弥の兄と姉。西家には老年の当主、その死んだ息子の妻、別腹の兄妹。二人の医師に、禅寺の坊主が三人、尼さん二人。死亡者には東家の跡取り夫婦、失踪した学校教師。その他、両家の雇用人などなど、なんともたくさんの人物が入れ替わり立ち替わり現れる。それぞれ姓名をもっているものの、田舎のこととて、「東家のだれそれ(名)」と呼ばれるとなると、誰が誰のことやら。あたしにはロシア文学の人物のほうが覚えやすいわ。
 後半になると、嫌疑が辰弥に集まると共に、興味が宝探しに移っていく。辰弥と姉にはそれぞれ地図が手渡されていて、ふたつあわせて初めて全体像がわかり、そこには和歌の形式で暗号がのこされているという念の入りよう。なぜ宝探しかというと、尼子に毛利というから16世紀半ばの戦国時代か。落ち武者が後日の再起を期して黄金とともに落ち延びたのを村人が殺戮し、以来黄金の行方が知れなくなっているという伝説があるから。そして、鍾乳洞の中に黄金の小判を数枚見つけたところから俄然、真実味を増してくる。そのうち、辰弥は二人の女性に求愛されるようになり、洞窟のなかという象徴的な場所ではなるほど愛の告白と恋の成就は当然というわけか。しかし、連続殺人がやみそうにない村においては、ストレスはたまり、あわせて26年前の大量殺人の犯人の息子が村に帰っているとなると、おちおちしてはいられないと、憎悪は辰弥に集中する。そして鍾乳洞の中を逃げまわりながら宝探しをするという冒険小説のクライマックスに向かうのだ。
 いくつかの関連書籍を揚げておかないと。
・鍾乳洞のなかでの冒険は、ウィップルの「鍾乳洞殺人事件」扶桑社ミステリー文庫。なにしろ「新青年」の編集長時代(でよかったのかな)に横溝自身が翻訳しているのだ。「八つ墓村」作中でも作品名はでないにしても、言及がある。もしかしたらあわせて鴎外訳「即興詩人」なども影響しているかな。
・また鍾乳洞において出られないという事態、そして冒険の末に宝の発見はというと、乱歩御大の「孤島の鬼」。さて、暗闇の恐怖と、暗闇ゆえのエロティシズムの描写、どちらに軍配を上げようか。あとハガード「ソロモン王の洞窟」も。
・美貌の女性に魅せられ、古い屋敷に赴き、過去の事件を再調査する、そして暗闇に閉じ込められて、宝を発見するというストーリーから「灰色の女」、というより涙香と乱歩の「幽霊塔」。
・解説にあるように、犯行の目的をくらますために多数の殺人を行うという点で坂口安吾「不連続殺人事件」
 真ん中の二つは牽強付会に過ぎるかな。本格推理というには犯行が偶然に頼りすぎだし、とくに証拠らしい証拠をちりばめているわけでもなく、瑕疵は多い。とはいえ、ページを繰る手を止められず、一気に読んでしまうというのは、冒険小説の王道のストーリーに、モテモテの主人公と最初は魅力がないが後半に俄然色気を増すヒロインとの恋愛事情、親の因果が子の行く末を大きく変えついには生き別れの親子の対面という人情譚、パニックになった村人が農具を手に襲い掛かる恐怖感、こんな具合の盛りだくさんな内容にある。昨今のジェットコースターとは言わないまでも、ゴーカートなみのスピード感がありました。ああ、面白かった。昭和24-25年に「新青年」に連載。
 追記。この小説からクイーンの「九尾の猫」「ガラスの村」を思い出した。「八つ墓村」とこれらの作品に共通するのは、異邦人や異端者に対する不寛容。殺人が起きた時に、まっさきに疑われるのは、異端者や異邦人だった(「九尾の猫」では正体不明でだれかを現認することはできなかったが)。その時、市民や村人はパニックを起こし、犯人と目された異邦人や異端者をリンチにかけようとする。これらの三作が傑作なのは、この描写があるから。そのとき、クイーンの諸作では、パニックや暴動が起きる市民社会の脆さや不安定に危機や恥を感じ、それらを阻止することを考える。でも、本邦作ではなるほど警部や探偵はパニックを収めるために奔走はするが、そこにクイーンと同じような市民や民主主義の意識はどれほどあったか。ここは注目する視点であると思う。