odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

横溝正史「迷路荘の惨劇」(角川文庫)

 「迷路荘の惨劇」か……何もかもみな懐かしい……。と、ため息をつくのは二つの理由がある。
 二番目の理由は、この小説が作者の過去の名作を換骨奪胎し、パッチワークのように作られているから。その前に、状況を確認しておくと、ながらく社会派推理小説の隆盛によって、横溝正史の名は忘れられていた(1955-1970年ごろ)。長編のアイデアはあっても発表誌がないので結実しなかったのである。状況が変わったのは1971年、角川文庫で「八つ墓村」を再刊してから(他にもいろいろ事情があるみたい)。それから昭和20年代の旧作が出版されるごとにベストセラーになり、映画化の話までくる。ここにいたり、70歳を超えた著者は昭和30年代の200枚の中編を長編に書きなおす作業に着手した。その結果、1975年に「迷路荘の惨劇」800枚くらい?を発表。著者はなんと73歳。そのあとも大長編をいくつか書き、生涯現役作家を全うする。

 さて、舞台は富士山麓の明治の元勲・古舘家が立てた名老荘。業腹の主人は複数の妾を住まわせる大邸宅にし、しかも富士山の溶岩によってできた洞窟に手を入れて、地下に複雑極まりない通路を作っていた。地上の巨大な邸宅と地下の通路からついた名前が「迷路荘」。しかも昭和5年には、2代目の主人と妻、そして妻の遠縁にして主人の友人の三角関係の行く末として、夫婦が殺され、犯人が片腕を切り落とされ失踪するという事件が起きている。まあ、舞台は「八つ墓村」であるし、過去の事件は「本陣殺人事件」のごとき外観をなしている。これだけで懐古の情が湧き起こる。
 小説の現在は昭和25年。金田一パトロンの風見さんの指示で(久保銀造はどこに?)この「迷路荘」を訪問する。迎えにきたのは古風な馬車。東宝の活劇映画はよく富士山麓でロケをして、馬が疾走していたから、このシーンからあれこれの映画を思い出す。すぐさま事件が起きる。すなわち、三代目主人・辰人が首をくくられて死んでいて、しかも死後、馬車に乗せられていた。砂袋、ロープ、滑車、パイプという古風な小道具がちりばめられた倉庫のなか。これは著者が訳したヒューム「二輪馬車の秘密」の再来だ。さて、金田一が事件を知った時、フルートの音色が重苦しく華麗に鳴っていたのである。おお、「悪魔が来りて笛を吹く」がまた来たのか。そのうえ、元子爵であるが戦中戦後でからっけつになり、ブローカーで糊口をしのいでいる不気味な男が密室の浴槽で水死。彼は矮人であったので、誰にも殺害は可能であった。というわけで「夜光虫」の世界にも通じるところがある。屋敷の周囲には黒づくめの片腕の男が徘徊し、昭和5年の失踪者にして殺害犯人の再来と思われる。「本陣殺人事件」で「三本指の男」がうろちょろして、事件の恐ろしさを倍増していたのを想起すべし。そのうえ、迷路荘を買い取った実業家も、その美貌の妻・倭文子(しずこ:乱歩御大「吸血鬼」のヒロインと同じ名前)も、迷路荘の生き字引・糸女も、混血の戦争孤児・譲治も、金田一に非協力的で、なに事か隠しているようだ。
 という具合に懐かしのメロディを聞くように、どのシーンにも落涙を禁じ得ない。とはいえ、作者の筆はあまりに悠々としているので、最初の事件が発覚したのが40ページというのはよいとはいえ、屋敷内の訊問を丹念に描くこと160ページに及ぶ(ここまでで全体の44%)。
 そして、3回の地下洞窟の探索。あまりの古さのために、大声を出しただけで崩落する物理的な恐怖はあるのだが、「真珠郎」「八つ墓村」のような追跡劇の切迫感はなかったな。それでも作者の筆はのびのびと運ばれ、もうひとつの洞窟シーンのあるウイップル「鍾乳洞殺人事件」(著者が訳した)を思い起こすことになる。ラストシーンでは、関係者をすべてのけたうえで金田一は犯人と対峙する。ここは「犬神家の一族」のラストシーンの再現。
 まあ、ロックの大御所バンドが再結成して、懐かしのヒット曲を次々披露しているようなものだ。若いころの勢いや新規性はないにしても、手慣れたテクニックを披露。観客も作品をよく知っているから、温かい目で見守り、どんなシーンでもわいてしまう。そんな感じの作品でした。
 で、一番目の懐かしさの理由は、作者の作品の中で、最初に買ったのがこの小説だったから。あんまり感心しなくて、すぐに人にあげたので四半世紀以上の長い間、忘れていた。