odd_hatchの読書ノート

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黒岩涙香「鉄仮面」(旺文社文庫)-3 盟友・家臣・支援者がことごとく捕らわれても、妻バンダの愛と貞淑は30年以上も揺らぎはしない。

2022/04/25 黒岩涙香「鉄仮面」(旺文社文庫)-1 1893年
2022/04/22 黒岩涙香「鉄仮面」(旺文社文庫)-2 1893年

 

 梅真(ばいしん)処刑の日から8年たった1681年。辺境ピネロルの監獄に、典獄・仙頭麻有(せんとうまある:サン・マール)がいた。もともとはパリの典獄長であったが、守雄らを逃がしたのをとがめられ、左遷されていた。そこには格の高い囚人二人がいて、白鳥・黒鳥と名付けている(そこから原題「サン・マール氏の二羽のつぐみ」がつけられる)。このところ様子がおかしい。フランスの古い流行歌が聞こえ、洗濯物に秘密の通信がある。

   

仙頭は洗濯女、実はバンダを監視することにする。そこに隣国バルマ国の王妃になる貴女、実は梅真がきて、塔の囚人に会わせろといいだす。いずれ王妃になるのでルイにもルーボアにも昇進を斡旋しようというのだ。中央に知れては大変、秘密裏に梅真を塔の囚人に会わせるとなんと8年前に生死不明になった守雄の従者。二人の挙動に不審を感じた仙頭、夜晩の監視を強化すると、石塔をのぼる怪しの人物が現れる。これはバンダに使える忠実なトルコ人。囚人を解放するも、自身は射殺。従者と再会したバンダは梅真らといっしょに逃れた(第84-110回)。

 処刑場から囚人を奪還するにあたって、相曽根(あいそね)とほかの男は殺され、織部(おりべ)夫人はフランス国内にいない。バンダも梅真も他の従者もそれぞれ鉄仮面の行方を捜している。この不遇の時代はあっさりと書かれて、ピネロルの監獄を舞台に、バンダや梅真がアタック・アンド・エスケープを試みる。ここに至るとバンダよりも梅真の存在がいや増す。ルイやルーボアへの復讐心がどこから来たのかはわからずとも(メモを忘れたかな)、この境遇にあって、唯一強い心をもち、計画を立案し臨機応変に実行していく。作者の主題は妻の貞節であるのだろうが(おお、ベートーヴェンフィデリオ」!)、この女性の自立こそがテーマなのではないか。
 バンダが楢尾(ならお)の別荘の地下室に髑髏の顔の怪人(黒頭巾の怪人)と一緒に収容される。怪人がバンダに手を出そうとしたとき、誰かが飛び込んで救ったのだが、いったいだれか。ボアゴベのストーリーテリングでは謎は簡単には明かされない。そこはスティーブンソンやコリンズよりも優れたところ(あいにく人物造形は古風だけどね。

 1691年、バンダはひそかにルーボアと会い、秘密の手箱と引き換えに鉄仮面に面会できるよう交渉。ルーボア53歳は当然の如く拒否し、鉄仮面を別の監獄に移送させる。バンダがルーボアに再談判すべく私邸を訪れると断末魔の様子。どうやら手紙を開封したときに毒を吸ったと思われる。愕然とするバンダの前に老ルイ14世が現れる。バンダを見初めたらしいので、同じ要求をルイにするも拒絶される。身辺が怪しくなるのをさけてパリから逃亡。1698年、新しい警視総監の命でパリの獄舎に移送されると聞き、バンダらは途中のセンスの谷にある仙頭の別荘を襲撃することにした。いったんは鉄仮面のいる部屋までたどりついたものの仙頭の知るところになり、這う這うの体で逃げ出す。梅真と連絡を取ったバンダは毒薬と解毒剤を手に入れ、鉄仮面を死なせ葬式のあとに蘇生させる計画をたてる。ようやく鉄仮面に薬を渡せたのは1703年。首尾よく獄舎から運び出された死体を掘り起こすと、なんと髑髏の顔の怪人であった。そこに教会の長老が現われ、正体といきさつを明かす。驚愕の真相。そして一行はどうするか・・・(第110-138回)。

 ようやく大団円。驚愕の真相は伏せておくことにして、ともあれ生き延びた人々が「Happy ever after」となったことはお伝えしよう。整合性を考えるとつじつまの合わないところもあるように思うが、そこはそれ、終わりよければすべてよしなのである。

 1672年から1703年! 31年もの間、守雄を救出しようと奮闘するバンダ。21歳の若い娘が52歳の老婆(当時の評価)になるまで、一途に男を思い続ける。この貞節と意思堅固。従者の忠誠。夫人の智謀。これらの徳が読者に受けたのだろう。1873年は第3共和政。1871年普仏戦争に負け、ナポレオン三世が失脚。そのような時期であれば、絶対王政の最盛期における反乱者の物語は読者にも心地よいものであったのか。最終回の戦闘シーンはそれこそ普仏戦争を彷彿させるものであるのだし。
 第4部(第110-138回)は20年間分を扱っている分、物語が駆け足になってしまった。別の方の証言によると「髑髏の顔の怪人」を加えたらしいが、登場するのは数回。意味ありげににおわせながら、その後の状況はほとんど書かれず、彼の行く末の取ってつけたよう((涙香は原作と異なる結末にしたというので、それは「髑髏の顔の怪人」の扱いなのか?)。前半の風呂敷の広げ方は途方もないものであったが、うまく回収できなかった。多作な作家の仕事なので仕方ないか。
 ともあれ明治30年代の、言文一致体発明以前の古い文体の物語が21世紀でも十分に興味深く読める。これだけでとても貴重な作品。復刊は難しいと思うが(旺文社文庫版は文字が小さくて読みづらい)、オンデマンド出版で読めるようになるといい。

 

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