odd_hatchの読書ノート

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高橋和巳「わが解体」(河出文庫) 自分を孤立者と規定する作家はさまざまな問題を一人で抱え、一人で解決しようとする。

 高橋和巳は自分を孤立者、単独者としてみていて、さまざまな問題を一人で抱え、一人で解決しようとする。そこには強い責任感があるが、他人に開かれていないのでユーモアやゆとりがなくて、近寄りがたさを感じる。

わが解体 ・・・ 1970年の状況。数年前から京大文学部で助教授(ママ)になっていた高橋和巳は折からの学園闘争で、教授会に参加することになった。そこでみたのは、教授たちのうろたえと保身、何も決められない硬直した組織、声明を数日後に撤回する無責任さであった。自体処理能力をなくした教授会は政府・自民党のいうまま機動隊を導入して学生を排除したが、それはいっそうの憤激となり、学生は全学封鎖(ロックダウン)で対抗する。教授会に疲弊し、学生の突き上げにとまどい、負傷者の手当てに奔走する。そういう忙しい日々に、作家は右わき腹痛で倒れ入院した(結果ガンのために亡くなる。享年39歳)。
 このころになると、京大闘争の端緒になった問題がなにかわからなくなった。教授会は会議を非公開にして逃げ回る。この当事者能力のなさが問題を深刻化した。そして学生は問題を拡散していって獲得目標があいまいにする。本書に会った学生側の要求がこれ。
『教授会を公開せよ!』
『教授会と学生の相互批判を確保せよ』
『肺腑を割る問いを発せよ、さらば肺腑を割る答えを投げ返すであろう』
『教授会独裁体制は単に管理される学生の人間性を奪うだけではなく、それは教授自身の人間性をも奪っている。教授会打倒は教授の人間性を解放する事になるのだ』
 全共闘についてはもういろいろ書いたので、加えることはない。

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死者の視野にあるもの ・・・ 過去10年間に反体制運動で死んだ者たちを追悼する。死者の中には、デモに参加中、機動隊の暴力で亡くなったものがいる。
(ここでも不満なのは、死者の内面にフォーカスしていること。機動隊や政府の暴力をどうするかという論点がない。死者を出さない運動のやり方という論点がない。)

内ゲバの論理はこえられるか ・・・ タイトルの問題を過去の内ゲバやテロの事例をひいて検討する。
(この論文が空虚なのは、何が正しいかの基準を運動の目的や参加者の良心などに求めているところ。でてくるのは、革命の大義を対立するどちらが体現しているかとか、革命や国家の大義のために矛を収めよとかなので、対立する両派にはつうじない。そうではなくて「人を殺してはならない」という正義に照らして批判するのがよいのではなかったかな。埴谷雄高らが行った二回目の内ゲバ中止勧告は両派からせせら笑われただけだった。でも止めろという大衆が囲めば、状況は変わったのではないかと思う。これは21世紀の20年代に起きた反差別運動を見てからの考え。
(反政府や反体制の運動の場合、同じ行為をしていても民主化を求めるレジスタンスにみられる場合と、暴力を増強するテロリズムにみられる場合がある。多くの場合、民主主義の大国が支援を表明するとレジスタンスになり、そうでない場合はテロにされる。後者は世界の支援を受けられず、忘れられ、孤立して軍国主義全体主義の犠牲にされる。この非対称性は国際政治で難問。)

 

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