odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-3「天堂篇」 10の天からなる天堂界はプトレマイオスの宇宙。神は他から動かされず、他を動かし、愛と望みを持つから信仰を持たなければならない。

2022/07/28 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-1「地獄篇」 1300年
2022/07/26 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-2「浄罪篇」 1300年の続き

 ヴィルジリオの案内で行く地獄と煉獄では、多くの障害があり、あるいはダンテの知り合いと問答を交わしたりと、冒険があった。しかし天堂に入ると、すでに重力の桎梏を脱してしまったダンテはベアトリーチェとともにゆっくりと上昇するだけなのである。新旧の聖書にでてくる天使や聖徒らがダンテに問答を試みるが、ダンテは正答を連発し、もはや何も起こらない。なにしろ、天堂は重力はもはや働かず、聖徒等は疲労することがなく、天使らは飛翔して輪舞し、合唱にいそしむ(流れているのはグレゴリオ聖歌だろう)。もはや魂は労働も仕事もすることはない。中世のユートピアがここに現れている(刺激と娯楽のない世界は近代・現代人には退屈だろう)。

荒俣宏/金子務「アインシュタインの天使」(哲学書房)から

 天堂は10の天に分かれている。月天-水星天-金星天-太陽天-火星天-木星天-土星天-恒星天-原動天-至高天と続く。このヒエラルキープトレマイオス宇宙論そのままであるだろう。

太陽は人間のために、さまざまの地平線から出るが、それが四つの圏があつまって、三つの十文字をかたちづくる場所から昇ると、最良の道を通って白羊宮を伴い、その熱と光で地球へ影響を与える。いま浄罪界を朝とし、地球を夕方としている太陽もこのような地平線からったのである。さて、反射光線というものは投射光線から出て反転してふたたび天に向かうものだが、その早いことといったら、まるで家路を急ぐ旅人そっくりである。(略)万物はその間に秩序をもっているが、それは宇宙を神に似させる形式なのである。宇宙の秩序の最終目的は神に向かうことである。そして神の刻印をその事実の中に発見する。自然のすべての物は、それが神に近いか遠いかにしたがって、さまざまの段階をもってそのような秩序と一致している。それゆえ、みな自分の受けている本能にしたがって、存在の大海を渡って多くの異なる港に向かうのである(第1歌)

 

内容とともに、それらの秩序と構造もつくられ、宇宙のいちばん高いところには、純粋な作用をなす者すなわち天使が置かれ、純粋な潜勢力を有する者すなわち物質はもっとも低いところへ置かれ、中間の位置には、天使と物質を結ぶ諸天が置かれたのである。(第29歌)

 このような宇宙観はその後数百年継続する。たとえば、この本に引き継がれている。

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 下記によると、原動天(始原天と訳すこともあるらしい)はゼンマイ仕掛けで天界を動かしているのだそうだ。本書中でも、天の動きを時計に例えることがあった。

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 このような構造は当然神の意志に基づくもの。神の意志は光として現れ、周囲が明るくなる(炎や火花が飛ぶ。ベートーヴェン交響曲を書いたシラーの詩を思い出すこと)が、それを人間は神を見る能力すなわち視力(科学で測定できるものとは別)を獲得していくのだ。そこにいくには地獄や浄罪界でみたような悪や不正義をしてはならず、神を愛する力を高めなければならない。そのような叡智を授かったものはおのずと光を発するのであり、ダンテに知恵を授けるものはみな光り輝く(階位の低いものはくすんでいたりなにか色が混ざっていたり)。これは現実の闇や地獄の暗さとの対比で絶大な効果をもたらすだろう。ダンテ当時のゴシック建築の教会は高い天井はできても小さな窓しか作れないので、会堂の中はうす暗い(その代わりステンドグラスはとても効果的・印象的)。教会の高所に設けられた合唱隊の入るバルコニーから聞こえるハーモニーは、反響と共鳴でこれもまた世の中では決して聞こえない音楽の比類ない美しさをもたらした。
 神をなぜ信仰しなければいけないかというと、神は1.他より動かされない、2.すべてのもとを動かす、3.愛と望みと持つからである(くわえると、正義と善を判別する根源であることも重要)。ダンテの神学では神は動因と倫理が重要で、創造はあまり重視されない。なにしろ、アダモ(アダム)が生い立ちを説明するに際し、

ベアトリーチェがヴィルジリオを出発させた辺獄で、太陽が四千三百二回回るあいだ、私はここへ来るのを待っていたのだ(26歌)

 すなわち天地創造から4300年ほどしかたっていないことになる。前の感想でもいったように、この時間でも当時にはとてつもなく長い永遠だったのだ。
 通常、地獄界、浄罪界、天堂界にいくには肉体を捨てて(なにしろ重量の影響を受けて昇る妨げになるのだ)、魂だけにならなければならない。でもダンテは肉体を持ったままこれらの界を歴訪する。当然そこには神の意図があり、下界で他人の心を強くするという使命を与えられたのだ。神はそのようにいわないが、天使や聖徒らはフィレンツェの堕落を憂いているし、ふさわしくない聖職者がたくさんいるのを問題視している。1300年当時はローマ教会の異端審問が盛んにおこなわれていた時期だった。カタリ派やアルビジョア派には十字軍が送られ異端教徒の大殺戮が行われていた。また教会内部の改革運動も行われていた。天堂篇にはフランチェスコ会1209年結成とドメニコ会1206年結成が言及され、彼らの運動の賛美と批判が天堂篇で行われているのでもあった。現世の問題が神に届いていたのか、ダンテの使命は聖なるものだけではなく、政治的な動きをすることも期待されていたのだろう。
2022/08/26 堀田善衛「路上の人」(新潮文庫)-1 1985年
2022/08/25 堀田善衛「路上の人」(新潮文庫)-2 1985年

 

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 というわけで30年前に読んだときはちんぷんかんぷんだった「神曲」も多少は知識を動員してなにか言っているフリができるまでになった。ダンテの想像力や教義の解釈よりも、科学以前の自然認識や宇宙論に関心を持つような読み方になった。上に書いたように、労働や仕事から解放されているとはいえ、娯楽はなく、きわめて権威主義的なヒエラルキーの強い世界(構成員が協同する社会はない)は近代・現代人には居心地がわるそう。