odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-2

2022/10/10 堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-1 1961年の続き

 島原一帯の農民、漁民、ときには下級武士、インテリ(という言葉はなかったがどう呼べばいいのか)、浪人などが妻子を率いて、原城址に集まり、みなで修繕して徹底抗戦の意思を明らかにしたのは、藩や幕府の過酷な収奪のためだった。税の引き下げを陳情しても無視され、逮捕された農民らは拷問にあった。キリシタンであることがわかると、拷問はさらに過酷であった。その積み重ねの結果、もはや生きていけないと決意し、家と農地を捨てて、原城址に集まったのである。もとより滅亡することが自明であり、現世の御利益には興味のない人たちであった。原城址に集まった人々の思惑はさまざまであったが(それこそ関が原、大阪城攻め以降冷や飯を食い続けてきた浪人たちが捲土重来を期して集まったのでさえある)、数万人の意志を統合する象徴になったのがキリスト教信仰であった。
 この信仰が伝えられたのは数十年前のことであったが、なにより貧しい人々・虐げられた人々が関心を向けたのは現世御利益を保証せず、来世の救済を約束したことであった。現世が暴虐の世であるとすると、地獄そのものに生きている人々にとっては、来世の救済こそが重要なのであった。すでに秀吉のころからキリスト教弾圧があり、最後の神父が日本を去ってから四半世紀もたっているとなると、ラテン語スペイン語ポルトガル語の言葉が何を指しているかをしっかり把握している人はいないとしても、当時の日本人が把握した核心は伝承されている。その際に参考にするのは、平易な口語訳にした教義書。たとえば日本古典「どちりな きりしたん」(岩波文庫)であり、他にも多数の本が残されている。作家によると、ほぼ仮名で書かれたこの翻訳は昭和の口語訳よりもわかりやすく、高尚な日本語訳であるとのよし。本書でも作中人物が読み聞かせすることで引用しているが、現代でもわかりやすい。
 最初の宣教師が来日した時、仏教伝来以来の知的衝撃だった。おもに禅の坊主が彼らに教義の質問をしたという。本書には作家がまとめた8個の項目が載っている。なるほどキリスト教に対する質問としては鋭い(たとえばキリスト以前に死亡した善なるものが救済されないのはなぜか、など)。当時の日本の知識人というと仏教僧侶に限られていたのであるが、彼らの知的水準は高い。とはいえ、同じような教義の根底に関わる質問を自分の教義に向かって行わないのは怠慢ではないかと釘をさす。なるほど日本人は「ラディカル(根底的)」に問うことが苦手。

 幕末の国学者平田篤胤がいる。 排外攘夷、国粋主義の元祖であるが、彼の著作は天主教(キリスト教)の影響を色濃く受けている。というより、むしろ剽窃すれすれ。イザナギイザナミの二神がアダムとエヴァに模され、世界創世や来世信仰が天主教の論理で語られる。

儒仏を排し、日本の神道思想、また神道思想による来世信仰を形成するために、キリスト教の教義が、いわばフルに使われている(P370)

 復古神道は端緒から天主教の影響を受けているが、

「天主教の根本にある、愛の思想、キリストの愛による救済というものが、一切入っていない(略)愛の思想がなければ、一足飛びに言えば、人権思想などというものも出て来ようがないのである。また、愛の思想がなければ、責任、社会的責任という思想も出て来ようがない(P375)」。

 その復古神道国家神道になり、廃仏毀釈キリスト教排撃に勤めた。当然そこには人権思想も社会的責任という思想もない。実行する意志は毛頭ない。

「(復古神道は)キリスト教や西洋天文学を援用して儒仏を排するというところから発して、幕末にいたっては国粋撰夷思想に達し(略)この思想系列のなかに、批判を越えた国体思想、軍国主義による人間の生死観の制度化、天皇信仰へといたるべき理論づけが確実に含められている。その根本には、愛、及び人権という考え方はないのである(P375)」

 復古神道は敗戦によって政治活動をやめ、憲法によって天皇信仰はなくなったはずである。

「日本の無気味な自然宗教がもつ、顕明事、幽冥事の思想は、平田篤胤によって天主教教理の応用の上に立って来世思想に再編成され、その来世思想が天皇信仰を生む、この過程は、もっともっと注目され研究されてよいはずである。なぜなら、この無気味な自然宗教は、まだまだわれわれ自身のなかに生きているはずであり、それに支えられなかったら、天皇信仰などというものはありえないはずのものであろう.そういう意味では、近代の超克どころか、平田篤胤等にはじまる、西洋思想応用による日本の近代は終わってなどいはしない(P378)」

 これが1961年の指摘。それから半世紀以上たっても「西洋思想応用による日本の近代は終わってなどいはしない」。人権思想の欠如、社会的責任の欠如はたとえば入管や帰化などに見られる。

 

    

 

2022/10/06 堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-3 1961年に続く