odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「審判 下」(集英社文庫)第四部

2022/09/27 堀田善衛「審判 下」(集英社文庫)第三部 1963年の続き

 「阿保天使、バカ天使」のポールの存在は出家の人々の紐帯を切りほどいてしまったかのよう。自分の目の前でポールが唐見子に乗り換え、拒絶されたのを見た雪見子は神経症(ママ)を病む(小説の終えた後に入院する)。唐見子は日本の民芸品を輸出する貿易会社を作ることを考えている。そこに恭助が入ることにより、二人の関係は解消するであろう。河北画伯と昔話をした郁子刀自は疲れで風邪をひく。信也は御前進講のことで頭がいっぱい。同級生の負傷と出産をみる吉備彦はとりあえずデモに参加しようと決意する。こういう具合に出家の人々はバラバラになってしまうのである(弓子と高沢女官長の確執や元漁師の一家のことなどその後の行く末の書かれない事件が残っているが、すべての出来事の結末を見届けることは人生にはないので、それでよいのだ)。しかし、戦前生まれで戦前育ちの夫婦をのぞいた独身者(飲んだくれているばかりの信夫をのぞく)は天使(あるいは「逆立ちしたキリスト」)と交通することで、確実に変容し、しかしどのようにかはわからないという中途半端な認識のまま変化したことが重要なのだ。ことに、といえるような特別な人はいないし、ポールの起こした攪乱はめぐりめぐって志村のような市井の職人から、長崎の被爆体験をもつ河北画伯にまで及ぶのである。
 そのポールであるが、モートン氏の仕事に合わせた西日本旅行に唐見子が付き添うのに突き動かされて、ひとりで広島にいってしまう。「逆立ちしたキリスト」 であるポールは、他人に救いを分け与えることなどできず、自身の痛み・苦しみに耐えることしかできない。耐える?おそらく耐えるという感情などはなく、単に世の中から拒絶・否定されていると感じるだけ。他人をみても仮面劇をしているかのように見える。そういう空虚、虚無が世界を覆っている。逃げ場はない。広島の街は人口のわりに酒場・バーが多いところ。客引きの女性につかまって入店してすぐに出ることを繰り返す(そこには冒頭、客船に乗船する前に話しかけてきた娼婦と同じ格好の日本人酌婦がいた。なるほどポールの地獄めぐりはそこから始まっていたのだ)。すで雪見子と唐見子の拒絶にあっているポールには性の衝動はない。店を出てうろつくうちに、骨董店で異様な面を見つける。大金を払って購入したのは、橋姫という能面(伝夜叉作)。怨念そのもので内実のない面相に取りつかれ、面をつけて街をうろついたりもする。ひどい疲れを感じる(ここで作者はポールから離れる。この先の崩壊と跳躍を書くのは困難であろう。もともとしゃべらないポールの内面を描くことはドストエフスキーでも無理だったに違いない)。

(参考:橋姫の能面)

  


(ポールは広島の街をうろつく。外国人であり、「逆立ちしたキリスト」であるポールが見る広島の街は異様である。出家の人が見る広島の街は読者の日常の延長であり、そこに住むことは可能におもえる。ポールの見る広島は読者のよく知っている広島ではない。どこか遠くにあり、冷気と靄に包まれ、人を拒絶するのである。「異化」作用が働いていて、読者の思いつかないような状況を現出させる。)
 ばらばらに広島に来た出家の人々は、ポールを探す。そしてポールの異相に気付くも、追いつけない。物理的にも心理的にも。20世紀を代表する人物であり、「阿保天使、バカ天使」である白痴は小説世界から退場するしかない。彼の足跡はさまざまな人に印象を残したが、ついに解答を残さない。それこそ虚無と謎を置いていって、姿を消すしかない。
 最後の第4部は、ポールに焦点をあてたアンダンテの緩徐楽章。最後はマーラーの好きな指示である「死に絶えるように」で終わる。作者は音楽よりも絵画を好むので絵に見立てたいが、ここではチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の構成に見立ててみた。
 おれの見立てはもちろん検証に堪えないただの思い付きであるが、作者の仕掛けであるドストエフスキー(のたぶん「白痴」)の方法を使うところは見事。たくさんの人物が動き回り、複数の事件が起きる。ときにドタバタやパーティがあり、恋愛も決闘もある。地上の出来事と同時進行で、巨大な問題(殺人・戦争の罪と罰)に関する討議が各人で行われ、舞台となっている時代の社会の批判も語られる。この仕掛けを貫徹した作者の手腕に感嘆。日本人はドストエフスキー好きであり、ことに戦後文学はドストエフスキーを下敷きにする小説を書いてきたが(とくに大きなのは武田泰淳「富士」埴谷雄高「死霊」)、こと方法の移植ということではこの作に勝るものはないのではないか。作者の小説(「ゴヤ」より前)はあまり高い評価を受けていないようだが、それはあまりに酷。「審判」はまごう方なき傑作。

 

 明治生まれの郁子刀自は若いころに婦人解放運動を組織する人だった。投獄体験もある。水平社とも関係がある。20代のことには男の出入りも頻繁だったようで、しかし昭和になったころに大病をして運動からは手を引く。なので、1960年直前の安保反対運動にこういう感想を持つ。

「明治の時はな、なんぼしまいは幸徳さんの大逆事件でおしまいになったちうてもな、明治は徳川ではありやせんがや。一戻りやせんがや」(P264)
「時世ちうもんはな、ほんのチョンビリチョンビリしかな、進まんのや。そんなもんながやがいね。そいでもな、人死ひとじにの出る)」とにな、歯止めの杭打つようにしてな、戻らんようになって行くいくんや。。大事ながはあんた、なんちうても人柱やがいね」」(P265)

 のちに宇井純は公害反対運動を調査した際に、明治や大正の運動のほうが強く(企業も協力的)、歴史を知ること・歴史の連続性を意識することの重要さを説いていたが(「公害原論」1970年)、それと同じ認識をこの老婆は持っていたのだ。吉備彦ならずとも郁子刀自の話をもっと聞きたかった(それは堀田善衛の話を聞きたいと願うことと同じ)。この女傑は風邪をこじらせてみまかうのだが、じつのところポールよりも彼女のほうが俺には堪えた。