第4部にはいり、繰り上げられた卒業式が行われると、徴兵検査に合格したものはすぐに赤紙が届く。男(若者から呼称変更)の友人たちの間では壮行式や激励会をしないことにしていた。街頭や駅前で行われる万歳を含む儀式に耐えられなかったから。その結果、男を除いて合格者は出征してしまったし、不合格になったものもなにかしら就職して大学に残るものは誰もいない。まことに冬の皇帝(田村隆一)のいうようにクリスティの「And Then There Were None」が出来したのであった。
男はとりあえず国際文化振興会調査部というところに就職し、本を買って棚に並べるだけの仕事につく。閑で仕方のないという不思議な会社(宮様や元将校などが関与しているのでお咎めなし)。そこで本を読み翻訳をし、ときに近衛文麿と会話するという奇縁ができたり、ベトナムの貴族の接待(五族協和を盾にした体の良い人質)をするはめになったりする。ベトナムでフランス語教育を受けた貴族は日本の文化を野蛮なものとみなし、まったく協力しない。そういう日々で、国学書を読んだり、平安末期から鎌倉初期の民心不安で世の乱れた時代を調査するなどする。すでに詩も小説も失せて、すぐ目の間にくる赤紙と国家に命じられる死を待つしかない。
秋の雨のなか、近衛文麿宅に柳田国男の本を届けに行ったあと、明治神宮外苑にたくさんの若者が集まっているのを見る。いぶかしんで近くで休んでいると、東条英機の長い演説が聞こえ、甲高い若い声の挨拶があり、歓声が上がってたくさんのひとが出てきた。女学生には泣いているものがいる。男は出陣学徒壮行会に遭遇したのだった。
出陣学徒壮行会 1943年10月21日
分列行進する学徒には入学して3か月しかたっていないようなものもいるだろう。一方男のように前年に卒業したために、行進に加われないものもいる。男は仕事や友人との会話で、ミッドウェーとガダルカナルで大敗を喫したという情報をえているし、島嶼で「転進」「玉砕」の報が新聞に書かれていることから何が起きているかを確信をもって推察できている。そのうえで紙一枚で(そこには召集の命令者であるはずの天皇の名がない)死を命じる国家というものに対する不平をもつ。あいにく、治安維持法と戦争継続状態で闘争することができなくなった国民や学生は反抗の言葉をもたない。
(ただ、著者のような日米開戦前に入学していたものは欧米の輸入書を読んでいたので、リベラリズムや民主主義を知ることができたが、出陣学徒壮行会で行進するような年齢のものは国家主義や神秘主義に対抗する言葉や論理をもてなかった。例えば柴谷篤弘の回想など。さらに年下の国民学校にいたものは敗戦後でなってから、論理や言葉を知った。それを血肉化するのには時間がかかった。)
小説は富山の軍隊に召集されたところで終わる。兵隊になることで、学生にあった執行猶予の時間が終わったのだ(作中にもあるように、女にはそういう切れ目がなくいつまでも待つことになり、より厳しい生活を強いられた)。
そのあとのことを補足しよう。入隊後3か月で男は除隊になり、東京にもどる。東京大空襲を経験して上海に飛び、敗戦を迎える。したがって、この小説のあとは「方丈記私記」「上海にて」で確認できる。さらに上海で様々な国籍の外国人とあったことは、「歴史」「時間」の登場人物に反映される。いずれも国家や権力に抑圧されている状態でインテリは何ができるかを考えるという共通点をもつ。共通な主題があるということで、作家の仕事は一つの流れをもった巨大な作品であるのだ、といえる。
この小説に登場するインテリ(の卵)は、知的トレーニングも生活の切実さも中国や朝鮮の若者たちより不足しているように見え(あれだけ勉強している人をそういうことに自分は恥じるしかないのだが、言わざるを得ない)、この国に住むことはそれだけでインサイダーの恩恵を受けるのだと長嘆息することになる。かつては、読書と学生たちの交友の親密さに羨望を感じていたのだが、甘い読みでした。なるほど上のような感想をもつとはいえ、戦前戦中の大学生の生活(の中で勉強と性)を描いたということではとても価値のある小説。
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