odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像 下」(集英社文庫)-1

2022/09/19 堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像 上」(集英社文庫)-2 1968年の続き

 高校2年時の読書の記憶を紐解けば、語り手は読書会をしたり宴会をしたりバーや料亭での酒盛りなどをさかんにしていたはずである。しかし、再読すると、それはわずかでたいていはひとりでいるか物思いにふけるか。人とあってもほとんど会話しない(相手の話を聞くことに徹する)。なるほど、自分の関心にあるところだけを記憶にとどめたのか。それに第3部のおわりではじめて性交したような記憶をもっていたが、実際は大学入学前に金沢の遊郭に出入りし、学生になってからも同棲したりバーのマダムの自宅に行き来したりと、性には開かれていたのであった。これも読みたいところだけを記憶していた証左。ようするに未熟だった。
 第3部は日米開戦後。すでに開戦は予期されていたのであるが、実際にそうなるといっとき解放感を得るものの、すぐに閉塞状況になる。長い日中戦争は「〇〇事変」と呼ばれて戦争状態なのに戦争ではないとされていたのだ。特高や軍人がいばり、翼賛する連中が大手を振る。開戦のずっと以前から準備されていた総動員体制は物資の不足とインフレと労働力不足と表現の抑圧になる。したがって、

「知り合いや友人同士が、絶えず顔を見合い、お互いに確かめあいたがっている(P108)」
「戦争がはじまってから、なんだかみな大声で話し出したような気がするな(P109)」

という世情になる。そこにおいて学生(進学率10%もない時代)は労働と兵役から免除されていて、世帯をもたないので、生活が抽象化している。そこから、「なにものであるか」「なにをなしうるか」という自問が生まれ、生活や労働をきちんとしている人に引け目や負い目を感じている。とりわけ戦時で「お国のために」がうたわれているときには強迫症のように問いが追いかけてくる。自己や自我の、あるいは生活や労働の空白や無を埋めるのは、戦争ですぐに死ぬであろうことを(問わないようにしているが問うてしまうときがある)直視すること。そうすると、死を命じる国家や民族の得体の知れなさと中身のなさに憮然とする。

「戦争、つまりは国家とか民族とかという、本当は得体の知れない筈のものが、一人一人の人間の生活のほとんどあらゆる部面にまでひたひたとひたり込んで来て、あろうことか、おれ自身の死ぬということまでを奪いとり、死ぬのではなくて殺されるというところにまでひたり込んで来る。自分の死を死ぬ、その自由までがなくなって、しかも殺されてから死ぬのはどうしてもおれ自身でなければならぬとは……(P129)」

 そのうえ、大学の就学年限は一つの法令で短縮させられ、卒業直前の徴兵検査で行く先が決まる。残された時間が極めて限られる。どうするかを考え、彼らは勉強する。20歳前後には昼に夜中に区内を歩き回ったものだが(この小説は東京都内の案内にもなる。都筑道夫の小説みたいに)、日米開戦以降は部屋に閉じこもり一日に18時間も読書を費やす。

「彼ら(友人の詩人たち)が相互に見せている、一種異様なほどのやさしさと深切さは、その努力のあらわれででもあるのであろう。それはいわば一種の防衛努力というふうに、若者には見えていたのであったが。またこれを逆に言えば、風が次第に烈しくなって来るからこそ、彼らは懸命に勉強をし、明日を思い患う心を、つとめて読書や作詩のなかに捩じ込んでいるのだ、とも言える(P55)」

 読書の傾向は、友人たちとの親愛な共同体の切磋琢磨のなかで広がっていく。そこで接したものは作家ののちの仕事(「美しきもの見し人は」「方丈記私記」「定家明月記私抄」などに結実する)。そのうえ翻訳の仕事を融通しあって、若者は学資と生活費をかせぐ。就職しないで生きることができたのだ。当時の学生は。語学力のたまもの。作家の戦中の翻訳のひとつがコルトオ「ショパン」
 若者は複数のグループに参加する。ひとつは東大・慶応大の仏文科学生(と教師)。そこにいるのは加藤周一中村真一郎福永武彦白井浩司芥川比呂志ら。そこに加えるのはどうかと思うが慶応大の法学部には吉田雅夫がいて新交響楽団の首席フルートを吹いている。もうひとつは新宿の私学生。田村隆一鮎川信夫、中桐雅夫、村次郎など。さらには築地新劇場を根城にする左翼グループ。彼らは次第に召集されて大学と町から消え、戦地に送られて死ぬものがいて、兵隊にならなくても病気や特高の拷問で死ぬものもでる。戦争で死ぬだけではない死の可能性を意識せざるを得ない。そこまでの切迫感をもったのは、この世代の日本人だけ。

「そうして若者は思う、たとえどんなに生活が困窮しても、“日本の人民が起ち上って戦争をやめさせる”ということは、それは絶対にありえないであろう、と(P177)」

 ここは中国や朝鮮などと決定的に異なるところで、「歴史」や横光利一「上海」マルロー「人間の条件」などには立ち上がって戦争をやめさせることを行う人たちがたくさんいた。この若者が大きくなった先に日本の敗戦後で国共内戦の継続中である上海で出会った中国の若者たちが典型(小説「歴史」に描かれる)。同じ時代を生きていながら、国や戦争に対する意識がまるで異なっているのであった。俺が「少年」や「若者」であった年齢を思い起こすと、さらに甘ったれて勉強不足であったと恥ずかしく思う。それくらいに、この国の人々は国家や戦争をしっかりと考えていない。というか寓話の駝鳥のように砂に小さな頭を突っ込んで、隠れたふりをしているのである。
 世情は、上の官僚に軍隊から、隣の隣人や組員などからの監視と抑圧を肯定している。「暗い怒ったような不機嫌そのもの(P132)」である。共産党や左翼に協力することなど、一族係累にまで災禍の及ぶ危険な行為であるが、若者は頼まれればそれをする。特高の監視下にある人々に手紙や報告などを持っていくことをした。

「従兄がいかにバカ、バカと言っても、またもし誰かがどこかへ手紙とか報告とかというものをもって行ってくれと言ったら、やっぱりおれはのこのこともって行ってやろう、と考えていた。おれはヒダリでもなんでもないただの人生を生きているだけなのだが、そういうのがおれの考えなのだから、と決めることに決心していた。(P179)」

 若者の決意は、のちにベトナム戦争アメリカ軍脱走兵を匿うくらいに継続するのである。

 

  

 

2022/09/15 堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像 下」(集英社文庫)-2 1968年に続く