odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-1

 登場人物の誰も観光に出かけていないのにタイトルが「スフィンクス」であるとははて面妖な。そこで本文の中に登場する「スフィンクス」をみることにする。

スフィンクスが、昼はあまりにも青過ぎる、そうして夜は職あまりにも澄明にすぎる砂漠の地平と天涯に凝視しているものは、そういう、人間に種いて来る、ある絶対なのだ、というのが彼(奥田八作)の考えであった(P456)
人間の湖底には、あのカイロのギゼーの高台に、そこから砂漠のはじまるあそこに腹這いになって、首だけを高くさしあげているスフィンクスのような謎が無数にあるのだろう。(略)伝説のスフィンクスは海の底に沈んだとしても、人間の海や湖の底には、スフィンクスは決して死ぬこともなくて実在しているのであろう。あの砂漠の高台に誇り高くうずくまっている彼は、永遠に、ひょっとして核戦争で全人類が死滅し果てた後にも、人間がもちえた謎とともに、あれらのピラミッドとともに残ってゆくものであろう。(P518-19)」

 という具合に、半年余りの間に、エジプト、フランス、スペイン、西ドイツ(当時)、スイスを駆け巡る日本人を主人公にした小説はこの地の重層化された歴史に圧倒される思いをするのである。同時に、1962年にヨーロッパに住む人々にも、個人史とともに民族と国家の歴史の重さ・深さにあることに気付かされる。1945年の敗戦で帝国主義の看板を下ろし、唯一の原爆被爆国というラベルを身に着けることで現代史や国際政治に余所者や無関係な顔をしている日本人からすると、彼らは理解のそとにあるように思われる。実際、敗戦後17年もすると、出国禁止は解けているので、漁船の乗組員や商社のビジネスマンが来ているのであるが、上っ面を眺めるくらいのことしかしないか、「なるほど日本と違う」とつぶやく程度の関わりしか持たない(後者の例が小田実「何でも見てやろう」1960年であるかもしれない。そう思えるくらいに本書では情報が豊富であり、考察も多岐にわたる)。

 そういう欠点を持つ日本人であるので、ここではかなり特殊な日本人を主人公にする。ひとりは1930年代後半に生まれた若い女性。地理学の勉強でパリに留学し、そのままユネスコの職員となる。アセワン・ハイ・ダムの建設で遺跡が水没するので、各国で移転費用の拠出を説明するグループに所属する。もうひとりは大正生まれの元日本軍人。敗戦後アラブにわたって日本商社のブローカーになる。日本漁船の世話から、日本企業の売り込みのための情報収集や政府との折衝などを行う。ときには武器輸出にも関与する。みずからの口と腕でもってこの地を歩くのであり、おのずと複数の言語を操り、民族や宗教の習俗に通じ、ときに喧嘩しときに和解し、利用し利用されながら暮らす。日本国内に住む知識人のように観念をもてあそんだり、派閥争いに汲々とするような志では相手にされない。そうすると、相手の外国人の考えている政治、経済、文化、歴史について聴き、調べ、何らかの意見をもつ、それをぶつけて跳ね返されるという経験を積むのである。
 なので、二人の主人公(若い女性の父が男の元上官)は、西ヨーロッパと北アフリカをさかんに行き来するのである。ざっとあげれば、カイロ→パリ→マドリッドリスボン→ボン→ローザンヌジュネーブ。口の端にに上るのはカサブランカハンブルグなど。飛行機と自動車を駆って、縦横無尽に行き来する。男が金を持っているということで、国連職員ということで、大使・貴族・政府職員などと会うものだから、レストランもホテルもバーも高給なところばかり。そこで高そうな食事や酒を飲む(なので小説には観光名所の案内とそこでの過ごし方の指南の役割もある。連載が雑誌「エコノミスト」なので、その種の依頼もあったのではないか)。
 会うのは白人セレブだけではない。庶民もいれば、アフリカ系の人もいれば、アラブ系の人もいる。なので

彼女はこれまでに出会ったいろいろな連中のことを思い出してみた。カイロにはベン・アシュラフがいる。また戦時中と戦後に父の部下であったことのある奥田八作がいる。旧ナチのフランッ・アイスラーがいる。パリでは本屋の女主人のルイーズがい、それから、フージュロンといった青年、シャキールというアルジェリア人の女性とハッサンという青年、それからこのマドリッドへ来てからでは、カルロスと女優のマリア夫人と、このペンキ屋のゴヤとヴェラスヶス、さらにフランッ・アイスラーとこんなところで出会い、OASのフランス人たちとまで顔見知りになった。これらの連中が、お互いに網をはり、ネットワークを構成して抗争している。そうしておそらくフランッはこの両方のネットワークと関係がある……。そこへもって来て節子もがカイロ、パリ、マドリッドリスボン、ボンとこの網の目をくぐりぬけくぐりぬけして行くことになる。(P242)

という述懐になるのだ。ビリヤードの球のように、打たれては飛ばされて、その先でまた打たれるというような「伝書使(クーリエ)」になったのは偶然のように思える。それくらいに日本人はイノセントと思われる。
(そうなるもう一つの理由は、日本が憲法9条で戦争放棄を宣言しているから。この決意が日本人の創意であると外国人に思われているから、現在の戦争に対して利害関係のない第三者の立場に日本人を置いてくれる。加えて、原水爆の被害・悲惨がようやくこのころから世界に知られるようになったこともある。なので、コンゴの女性が日本への謝罪を述べるのだが、それは広島・長崎に落とされた原爆の放射性同位元素を算出したのがコンゴだから。自国の労働の成果が数十万人の死者を出したことに、謝罪の感情をもつ。これは驚くべきことで、日本人はそのような間接的な事案に対して責任を感じることがあるだろうか。)

 

  

 

2022/09/22 堀田善衛「スフィンクス」(集英社文庫)-2 1965年に続く