odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像 上」(集英社文庫)

 個人的なことから。高校二年の冬に手に取り、熱中して読んだ。そのあと繰り返し読んだ。そしてこのような学生生活を送りたいものだと熱望した。あいにく、主人公とは逆に田舎の大学にいったために、小説のような学生生活にはならなかった。
 さて、作者は50歳を控えて、自伝的小説をものにする。30年もすぎて自分の青春を振り返るとき、無軌道の無鉄砲に、無知の無神経に、他者の共感には乏しい無神経は赤面するような恥ずかしさを持っているが、長い年を経ているとなると、他人事のように見ることができる。一方で、当該人物の心理は手に取るようにわかるのであれば、その描写は精緻になり、「青春」をたてにすれば、他人のプライバシーにも多少は触れることも可能であろう。その結果、昭和10年代の重苦しい社会と政治を背景にしても、若々しく運動量の多い青春の情景を記録することができた。若者の無軌道はどの時代においても共通なところはあっても、やはり戦争を前にする人たちの青春は、ほかの世代とは異なる異様さや熱をもっているのである。上巻ではさほど感じることがないが、真珠湾攻撃以降になって学徒が動員され、特攻のうわさを聞くようになると、「30歳まで生きることはなかろう」と誰しもが思う青春とはやはり異様であるだろう。

 著者は富山の廻船問屋の息子。江戸時代からの老舗ではあるが、大正はまだしも昭和になってからは没落著しい。巨大船舶を使った大資本の輸送力にはかなわず、系列に入ろうともすでに遅いのである。乾坤一擲のばくちのような新事業にかかるも日本海の大しけは一夜にして夢を泡と化す。したがって、いいとこのぼんは骨董や盆栽を東京で売って学資にするしかなく、故郷に帰ろうにも、兄弟は四散し、家屋敷はなくなっている(廃業した父は顔の広さを利用して県会議員になった)。
 こういう事情を書くにあたり、作家は一人称を用いない。「少年」「若者」「男」と三人称一視点で描く。それは<この私>の内面とか自我の迷宮に深入りすることを避け、突き放したうえでの客観性を確保するための手段にほかならない。なるほど、ここには性的なできごともあり、ボレロを聞いて下腹を冷たくしたり、年上の女性と一緒にふろに入って膣外射精にいたるなど書きにくいこともあっても、告白のような陰惨な卑下や自己弁護の趣はなく、たんたんに語られる。それがユーモアをもたらすのであり、同時に<この私>の重大さの独りよがりを回避することにもなる。これはおそらくドスト氏の手法である(この国の作家はドスト氏の影響が大きいのであるが、手法を取り込んだのはこの作家くらいではないかと妄想する。とくに「白痴」と「悪霊」 追記:いや武田泰淳がいた。「富士」など)。
 第1部は1936年2月25日に始まる。慶応大学法学部受験の準備で上京し、軍人会館でベートーヴェン第5番「運命」を聞いた翌日に226事件に遭遇(当人は受験勉強で下宿から一歩もでなかったので実害なし)。その後、入学するものの実家の没落に遭遇。とはいえ18歳の若さは悲嘆にくれることはない(骨董と盆栽を売った金で1年間は生活できた)。勉強する意欲はあっても、東京の学生には幻滅するばかり。故郷の友人のたのみで浅草のレビューに行けば、緊急のピアニストになってぶっつけ本番で舞台下のオーケストラに入る。そうなるのは実家で筝や琴の手習いをしていて、ピアノやギターの練習もしていたからだ。
 明らかになるのは、地方の資産家がもっていた文化は極めて洗練された高いものであった。20歳を前にしてすでに書画骨董盆栽の目利きであり、和歌ほかの文芸の繊細さを鑑賞でき、地方を訪れる文人の手ほどきを受ける本格的な知識を育んだのであった。そのうえ、廻船問屋の仕事から近隣諸国に西洋の商人が出入りしているために、他文化に卑下も憧憬も感じることがなく、公正に対処するだけの余裕と教養をもっている。それからすると、東京のインテリは無教養であり(なにしろ「少年」は漱石、鴎外をそういう輩が読むものと軽蔑する)、無礼講を街頭でやらかす莫迦とみる。この文化の蓄積を体現しているから、のちに「方丈記」「明月記」などを熟読する基礎になったわけか。日本文学の代わりに読んでいるのは海外の小説、評論などであり、18歳の夏休みにレーニンの英訳700ページを読むほど(大学入学以前は宣教師の家に居候していたので、英会話は問題なしで、英文も読める)。
 第1部では、同世代の友人にはあっていない。年上の人たちの間を経めぐって、行く先を示すメンターを探している時代か。たとえば、こういう具合。

菩提寺の和尚さんは歎異抄を引っ張り出して(略)「善人ちゅうのは、前世でよい因果を身に享けてこの世へ来たお人、この世で栄耀栄華、善い目におうておるお人のこと。悪人ちゅうのは、前世で悪い因果をおしつけられてこの世に来て、この世で辛い目におうておるお人のことを言うんじゃと(P107)」

 歎異抄のこの部分は難解で、いまだに納得できる説明にあっていないのであるが、この説明も一つの解であるのだろう。「少年」はこの言葉を歎異抄読解に使用するのではなく、日本語にこなれていない「思想」なる概念を把握するのに使う。
 21世紀に読むときに驚くのは、作中に現れる歴史的できごとを追体験する動画や録音にすぐにアクセスできること。冒頭で「少年」は1936年2月に近衛秀麿指揮新交響楽団の演奏会を聴く。まさにその月に同メンバーで録音された演奏が残っているのだ。ピエルネ「小牧神の入場」ラヴェルボレロ」の録音。

rekion.dl.ndl.go.jp


 あるいは、「少年」がドイツ語に幻滅するゲッベルスの演説の後に聞いたフランスのシャンソン。そのSPを聞くことができる。
リュシエンヌ・ポワイエ「聞かせてよ愛の言葉を」(P116)

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2022/09/19 堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像 上」(集英社文庫)-2 1968年に続く