odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フレデリック・フォーサイス「ジャッカルの日」(角川書店)

 第2次大戦前からアルジェリアはフランスの植民地だった(なのでアルジェリア出身のフランス人がいる。アルベール・カミュが有名。サッカー選手には多数)。戦後、独立運動が起きて、フランス軍と独立派の戦闘が起きた。フランスは最終的に撤退することを決めたが、それはなんと「愛国者」シャルル・ドゴールによって。戦闘にあたった軍人の中にこの決定に不服をもつものがでて、OASという組織を作る。OASはドゴール暗殺をしばしば企てたが、失敗を繰り返し、組織も崩壊寸前になる。起死回生の策として、1963年春に要人暗殺を専門にするプロを高額の報酬で雇うことにした。選ばれたのはイギリスの暗殺のプロ、コードネーム「ジャッカル」。このブロンドで高身長、筋肉質で孤高の男がドゴール暗殺をたくらむ。
 1970年初出。この国では1973年のフレッド・ジンネマン監督の映画公開にあわせて翻訳された。これをおいらは読んだのだよね。2週間くらいかけて初めての「大人の物語」を読んだのだった。この傑作を最初に読んだのは幸運だったと思う。今回、数時間かけて40年ぶりに読み直し、優れたエンターテイメントを堪能するとともに、過去に思いをはせた。

 前半は、OASの残党による新たなプロジェクトの立ち上げと、核心の業務を委託されたコードネーム「ジャッカル」のプロジェクトマネジメントを見る。後者のプロジェクトマネジメントはビジネスマンの規範になるほどの精密さ。ヴィジョンとミッションを明確にし、ターゲットの動向や嗜好やニーズをとことんまで調査し、商品(この場合は暗殺計画)を開発する。商品開発にあたりターゲットに特化した仕様にし、外部のリソースを使って最適化を図る。タイムマネジメントも綿密で、リリースの日から逆算してあらゆる日付の行動を事前に計画し、きちんと消化。ときに危機が訪れるが、その都度修正を加えることによって、プロジェクトを計画通りに進行していく。この暗殺計画では、リソース管理がふつうのビジネスとは逆でいかにステークホルダーを少なくするかが重要。なので、彼が接触するのは銃の開発者と偽造文書作成者に限定される。「ジャッカル」はたんに狙撃のプロであるだけではない。プロジェクトマネジメントの達人であるのだ。少年のときの読書では、まずここに感心した。
 今回の読み直しでは、この「ジャッカル」が単独者(あるいは「ボッチ」といえばよいか)で生きていることに目を見張った。いかにステークホルダーをなくすかを徹底するために、長期保有するような資産をもたず、計画を遂行するためにロンドンのアジトを躊躇なく捨てる。プロジェクトが始まってからは、連れも友人も相談相手もいない。すべての食事を一人で取り、買い物や移動や宿泊において必要最低限の会話しかしない。死体と同居する数日間の引きこもりもいとわない。共同体や社会から完全に離れ、一人になるのだ。このような単独者は法の規範から逸脱できる代わりに、社会や共同体の安全保障を拒否することになる。「ジャッカル」の自由はとんでもなく孤独であることの代償なのだ。市井の人にはなかなか実行しがたく、近代国家と資本主義においてはそのような生き方をすることが「反社会的」であって(だから「ジャッカル」は官憲に追われる)、その無謀な「冒険」がしがらみだらけの読者からすると輝いて見える。
 後半は、OASの暗殺計画を知ったフランス警察の捜査。まあ、OASの危機管理のずさんさが計画の漏洩になったわけだが、1963年(事件のあった年)では、警察は「ジャッカル」になかなか追いつけない。それは追われるものと追うもので情報の密度や速度に差がなかったため。パスポートをなくしたもの、存在しない人間の名前で出国したものなどの検索と紹介が電話とカードでしか行えない(FAXもない)。容疑者の絞り込みや命令の伝達に時間がかかり、暗殺者が逃れる可能性が高くなるわけだ。だから一匹狼で単独者の「ジャッカル」がフランスの全警察を翻弄することができた。この国でいうと1968年の三億円強奪事件だな。そのあと、監視カメラのような情報入手方法の広がり、巨大データベースの検索と照合の高速化、FAXからインターネットまでの情報伝達の高速化によって、警察組織のほうが圧倒的な捜査力と情報量を持ってしまった。このような単独の暗殺者が警察を翻弄するというのは、1970年代以降の先進諸国ではリアリティをなくしたのではないか。自分の貧しい読書では、少人数による政府要人や国家組織へのアタック・アンド・エスケープの物語は、先進諸国を舞台するものはなくなり、上記の情報機器やインフラの整っていない場所で行うようになったと思う(高野和明「ジェノサイド」角川文庫あたり)。
 そして、ドゴール(ターゲット)、ジャッカル(暗殺者)、ルベル警視(捜査者)の三人が一堂に会する「ゼロ時間」に向けて、彼らは疾走する。二週間追い求めてきた相手とのただ一度の邂逅。思いは届かない。すれ違う。後者二人が互いの名前を呼び合うだけ。一瞬の視線の交錯。その直後の別離。安堵と悲しみ。不在と無名のもたらす不安。
 ドゴール将軍は暗殺されておらず、ベッドの上で死んだことを読者は知っている(当時はね)。なので、「ジャッカル」のプロジェクトは頓挫することが事前にわかっているわけだが、それでもなおページを繰る手が止まらないのは、ひとえに作者の手腕。見事な一作(って他のは読んだことがないのだが)。

 フレッド・ジンネマン監督の映画は最近(2014年)になってようやく視聴。OPとED、あとパレードのときだけ音楽があり、あとは劇伴音楽なし。硬質の画面がみごと。ついでながら、全編でパリの風景がさかんに映される。パリはその時代ごとに映画の舞台になってきた。1960年代の「シャレード」とか2000年代の「タクシー」とか。それらの映画をみることで、この都市がいかに変貌したか(いかに変わらないか)を確認できる。この国の首都は、1950年代まではさかんに撮られたが、その後は映画の場所になることがなく、とても残念。