odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「鬼無鬼島」(新潮社)

 今回読んだのは「堀田善衛集」(新潮日本文学47)で。表題作の他、「広場の孤独」「橋上幻像」「鶴のいた庭」「あるヴェトナム人」が併録。長編は別のエントリーでレビュー。

鬼無鬼島 1957 ・・・ 鬼無鬼島(きぶきじま)は薩摩半島南端のさらに先にある小島。戸数約百、住民数百。土が悪く自給自足ができない。3つの部落に別れ、それぞれの行き来はほとんどない。そういう閉鎖的な島なので、若者はさっさと島を抜けるが、親などを持つ者は離れることができない。奇妙なのは「山」と呼ばれる戸数二十ほどの部落。この部落はほかの部落と交流しない(物々交換くえらい)。「クロ教」というこの部落にしなかい宗教を信仰しているため。ザビエルが来日する以前から伝わっていたキリスト教を基にするとか、島原の乱の末裔たちであるとかいわれる。江戸時代の禁制で、文書やしるしは失われ、信徒ですら意味の分からない言葉を唱える。他の部落はこの宗教が魔法や呪法を行っているのではないかと恐れ、差別している。信徒の中心はサカヤ(サクラメントの変形と説明される)。ほかに御透見役(ミトオシヤク)や剃刀役という補佐がいる。サカヤが地主が代々受け継ぐ。
 そのような閉鎖的な島も開かれていく。現金収入のために本土と交易するし、出稼ぎにでねば食っていかれず、兵役に駆り出される。戦後になって長崎で使役についていた二人の若者が帰島する。彼らは原爆で多数の死者を見てきた。この二人の若者は同棲している男女であるが、「山」と「浜」の出身なので、結婚は許されない。漁が得意なので、本土の山ノ浦の漁師に誘われてもいる。しかし、山の男である友則には結核で死にかけた兄がいて、身動きがならない。兵隊になって他の暮しや街を見てきたので、クロ宗には懐疑的になっている。それをぶつけるべきサカヤの現当主も不思議な経歴の持ち主。若い時にクロ宗に反発して島を出、非合法活動にも参加し、満州で妻子を持つも、50を過ぎて前当主の呼びかけで島に戻る。彼はクロ宗が長い年月を経てもとの教えをなくし、がらんどうになっていることを知っている。でもこの教えを守ることが部落民の心の支えであるので、いまさら変えることができないという。
 物語は、友則の帰還、兄・元一の死、葬儀をめぐる山と浜のいさかい、葬儀。部落で決められた友則の許嫁で白痴(ママ)の京子が友則の同姓相手に嫌がらせを繰り返す。大文字で書かれるような事件はなく、小文字のトラブルが起きては、村や部落が隠匿していく。そのうえ、島は不漁と悪天候で飢餓が迫り、子供が死に、大人は栄養不良になっている。サカヤの権威も危うい。
 さて、この鬼無鬼島の状況は、この国の歴史と現在の縮図であるとみてよい。辺境にある奇矯な島であるがために、誇張されてはいるが、そこに起きていることはこの国の16世紀から現在(とりあえず1957年まで)とみてよい。それを意識したうえで鬼無鬼島の現状を見ることにする。
・この400年まえに遠藤周作「沈黙」の事件があったわけだが、そこでイノウエは「日本は沼。苗の根を腐らす」といった。この言に普遍性があるかはおいておくとして、ことクロ宗についてはその通りのことが起きる。結果、サカヤの現当主も中身はがらんどうという。しかし、そのがらんどうの掟や習慣を覆すのは困難と認めている。何しろ本人がそのような運動を目指して挫折しているので。いったん作られた<システム>の強固さはこの国には普遍的であるようだ。
・この国は宗教に寛容とよく言われるが、それがあてはまるのは支配者・権力者に限る。彼らの宗教や思想の転向が問題にされることはほとんどない。しかし、被支配者、庶民、民衆にあたる人たちの宗教には極めて不寛容。支配者が異端や異教に不寛容であるだけではなく、隣人が不寛容である。ここでもクロ教の秘儀(とくに臨終時にサカヤほか数名と閉じこもること)が呪術であり、淫靡か野蛮なできごとであると噂される。妄想は拡大して、差別する理由になる。噂や妄想を否定しても、いったん定着した悪い噂は消えない。(クロ教はwikiにページができているうえ、「信徒の生き血や肝を食らう」などの記載がある。これは本作「鬼無鬼島」を引用したようであるが、作中でうわさであり実際には行われていないことが明言されている。にもかかわらず、真に受けたトンデモたちが吹聴しているようで、そこにある偏見は度し難い。)
・クロ教を中心にした共同体に対して批判するのは、外を見てきた(かつ原爆という「地獄」を体験してきた)若者と、かつて同じ志をもって法律をまなび満州に逃避した現当主。後者の知識を基にした批判は行動を伴わないので実現しない。前者は行動を持っているが知識の不足があるので共感を得られない。
・奇妙な人物は、山の部落の白痴(ママ)の京子。友則と婚約で頭がいっぱいになって、部落でおかしなことを叫びながらあるき、早子との関係を知ると呪いをかけ、しまいには深夜早子を襲撃する。彼女の狂気は「山」の掟の不条理や不合理を明らかにして、解体を進めることになる。まあ、部落の内部の矛盾の象徴であるわけだろう。彼女がしまいに監禁状態になったあと、元一を失い、友則とほぼ絶縁になった母は残りの日々を京子に費やす気持ちになるのだが、これも部落の閉鎖性の象徴になるのか。このように内部の人は問題を象徴的に表すことができても、批判や改善にはむかわない。
・山の部落の批判者になるのが、上ノ浦の漁師である太平次。息子が出征して大和の乗員になり、戦死した。沈没付近を漁場にすることもある。彼も無学であるが、外を知っていること、孤独な仕事の合間のひとりごとが相対主義の視点を産む。そして、結婚したという友則と早子の権利を守ろうとする。彼は元一の葬儀の際にサカヤを批判する(クロ宗はおしまいにしろ)までになる。そういう外部の視点や批判にさらされないと、山の部落の掟は変わらない。
 あえて付け加えなかったが、以上の指摘はこの国のありかたにそのまま該当するようなことばかり。ここでサカヤは「山の天皇」と部落民に呼ばれていることに注意。この国、とくに戦前戦中の、仕組みが圧縮されて描かれているのだ。
・友則は早子と半同棲にある。彼らは部落が異なるために、結婚を承認してもらうのが困難であり、友則には病気の兄と高齢の母がいて、身動きならない。それでも若い彼らは浜や草原であいびきする。語る言葉は武骨であるし、愛の代わりに宗教や死のことなどを語るしかない。昨今の恋愛(およびそれを主題にしたフィクション)からすると不器用極まりなく、貧乏にすぎるが、それでもなお、彼らの恋愛には神話的な神々しさがある。触れ合う身体の描写の肉感的なこと。
 この小説を読んで既読感を覚えたのは、大江健三郎の「青年の汚名」によく似た舞台、人物、物語になっているから。これは話が逆で、「青年の汚名」は1959年初出。すると、大江はこの小説にインスパイサされたのかしら。あいにく大江のは物語が窮屈になっていて、堀田作のには及ばなかった。
(小田切進によると本作は「天皇制の問題に鋭く迫った」とのこと。「奇妙な青春(集英社文庫)」解説)

 

あるヴェトナム人 1964.06 ・・・ 世界を放浪している男(小説家?)がパリで疲れをとっている。いや、取れなくて、茫然としている。場末の安いヴェトナム料理店に入ると、ふいに戦時中のことを思い出す。文化協会とかに勤めていたとき、ヴェトナムの貴族の世話をした。戦争や日本を徹底的に無視した男女5人の青年。陰鬱な食事のあとに、給仕が男を呼び止める。あの時の青年であった。戦争、独立戦争などで国にいられなくなり、インフレで資産を失った元貴族の生活。「もう会うこともないだろう」「おれも、そう、思う」。互いに個にまで分離・解体しているので、コミットのやりようがないところにある。これが衆であれば、別のコミットのしようもあっただろうに。

 

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