1931年の柳条湖事件から1936年の226事件までの5年間を扱う。1920年代の不況が慢性化し、さまざまな政策が打ち出されるが、はかばかしくない。後付けでいえば、多額の軍事費と植民地経営が負担になっていた。しかし軍を縮小する政府の運動は、軍ととりわけ国民の賛同を得られなかった。そこに世界不況が起きて、国内はおろか海外にも市場がなくなった。経済の先行きが真っ暗な時、国民はナショナル・アイデンティティに固執する。
激動の10年―はじめに ・・・ 1930年代の日本は英米に依存した軍事大国。生産体制が不十分なのに植民地拡大をして、列強と軋轢を生む。英米依存を継続する勢力と独立する勢力が国内で対立。各国がブロック経済化を進めるので、日本はじり貧になっていく。
生命線満蒙 ・・・ 日露戦争、韓国併合と日本は朝鮮と満州を植民地化する。しかし現地の抵抗や反日運動、中国の投資、大戦後の不況などがあって、満州の経営は思わしくない。そこで「打開」のために満州から中国とロシアの影響を排除することを関東軍は画策する。下記の指摘は重要。西洋と同じ植民地でレイシズムが悪質化する。
「1910年の韓国併合後、日本の苛酷な支配を逃れて満州に移住する朝鮮人がふえ、(略)日本は在満朝鮮人を『帝国臣民』として、治外法権により領事館警察の手で取り締まる一方、土地商租権をもつと主張して、満州支配の助手に仕立てた。これにたいして中国側も在満朝鮮人を日本帝国主義の先兵とみなし、迫害を加えた(P53)」
この背景があって、万宝山事件で中国人の大量虐殺が起きる。本国の議会でも右翼政党(政友会)が議会で乱闘を起こすなどして、代議制を壊していく。陸軍の若手がクーデター計画を作っていたことが暴露される。これらに対して牽制、制約する動きは起きない。
独走と不拡大 ・・・ 1931年柳条湖事件。関東軍の陰謀によって中国と戦闘状態をつくり、満州各地を占領していった。本国の政府は不拡大にしたかったが、軍の反対で徹底できない。宣戦布告がないまま戦争をはじめ継続していった(なので戦争の「大儀」が示されないので、国民は十分に納得できない)。中国国民党は国際連盟に提訴したが、折からの世界不況で介入には消極的。日本は金解禁で大混乱中だった。
(それで軍の独断専行を咎めることができず、関東軍が勝手にやったことを議会が追認するようになった。)
美談と反戦 ・・・ この陰謀は敗戦まで隠匿されたが、メディアは戦争拡大と排外を煽った。
「変の第一報から、各紙は関東軍の発表をうのみにしたニュースを流した。そして、事変の拡大とともに、それを正当化し、日本軍の奮戦と勝利をたたえ、中国への侮蔑と憎悪をあおり、国際連盟を敵視する記事をあふれさせた(P100)」
通常は軍がメディア・マスコミを操作し、国民が踊らされたと解説されるが、やはり国民が戦争を望みそれにマスコミが追随したとみるべき。自然発生的に軍への献金や慰問、従軍志願などの運動が盛んになった。戦争に否定的な報道をすると発行部数が激減したので、新聞は戦争拡大に論調を変えた。この章では反戦運動があったとページを割くが、それはごく一部のできごとであると注意書きが必要。軍は国防思想普及運動を進めたり、ラジオ出演を増やしたが、それは国民の支持があったから。
王道楽土 ・・・ 1932年。上海事変を起こして中部中国に進駐。満州国樹立。これらの植民地や海外ではヘイトクライムを起こし、日本人の自警団が現地の人を取り締まる。国内では軍国熱が高まり、戦争に熱狂する。外国に侵略されるという流言飛語が飛び、真に受ける人が続出する。日本ではどこかの集団が指導する全体主義運動はなかったと思ったが、軍隊が存在し海外で戦勝報告があるだけで、熱狂的な運動が巻き起こったのだった。日露戦争や軍縮の恥を返すという意識があったのだろうなあ。
非常時 ・・・ 1930-32年は全国で凶作(沖縄は台風被害)。そのために農村が悲惨な状況になる。そこにおいて金解禁などの不況対策は失敗し、政党政治に不満がでる。右翼が台頭しテロを行う。最大のものは1932年の515事件。ここで総理大臣以下が暗殺され、議会の信頼が失われ、軍の協力がないと組閣できない事態になる。
経済的苦境にあるとき、プライドを持てる何かが必要になる。それが「日本は強い」という幻想。徴兵制があって、身近に出征者がいるとなると、軍隊は自分の身体や家族の延長のように感じられたのだろう。それが世界の強国を相手に、侮蔑すべき異国の民を相手に連戦連勝しているという情報はもっかの問題を忘れさせる格好のネタになった。戦場の悲惨、巻き込まれた民間人の苦境などに共感する想像力は持たない(その種の情報がはいらない)。死傷負傷した同朋兵士には熱く同情する。そのような感情の連帯がこの国の軍国主義を支えたのだろう。決して軍隊や一部の右翼政治家の扇動に乗せられて、いやいやながら戦争に参加したわけではない。
そういう熱狂があったとき、物事は軍隊のように単純に決めていけばよい。強い指導者(なにしろ彼は言葉を発しないのでどれだけ強いのか誰にもわからない)の命令で動いていけばよい。そうすると、いつまでも同じ議論を繰り返し、議場で乱闘騒ぎを起こしたりもし、贈収賄で検挙されたりもする政治家を信頼するものはいなくなるだろう。
これが昭和一桁の日本で起きていたこと。民衆や国民の精神は、事件の羅列からは見えてこないので、注意深く目を凝らす必要がある。
2023/01/12 江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)-2 1988年に続く