1927年から1931年にかけての時代。テーマは大不況・軍縮・金解禁。不況に対して国債発行で乗り切ろうとしたが、赤字財政が増大することを恐れ公債発行を漸減しようとする。これが軍事費削減になる軍部が反発する。
昭和の開幕~はじめに~ ・・・ 大正天皇の死と芥川龍之介の自殺は同年。即位礼にはしゃぐ庶民大衆。
金融恐慌 ・・・ 1920年代の日本の不況。1920年戦後反動不況、1923年関東大震災、1927年金融恐慌。手形のモラトリアムと銀行の整理。この章にない1929年の世界恐慌の影響を加えると、日本は10年以上不況にあった。詳細はリンク。(一方、アメリカは未曽有の好景気。)
2011/05/24 高橋亀吉/森垣淑「昭和金融恐慌史」(講談社学術文庫)
2015/03/20 長幸男「昭和恐慌」(岩波現代文庫)
中国侵略への布石 ・・・ 中国は孫文の死の後、跡目争いで分裂。共産党が1922年に結党される。これらは清の時代に黙認された日本の満蒙駐留を認めなかった。1927年に蒋介石がクーデターを起こし、日本軍は山東に二回にわたり出兵。一方、満州軍は独断専行で張作霖爆殺事件を起こす。本土と植民地で制作に齟齬がでていて、しかも植民地の独断専行を罰することができない。政府と議会の信用が落ち、国民は戦果が上がることを喜ぶ。中国の排日感情と運動が激化。
2012/04/27 横光利一「上海」(岩波文庫)
デモクラシーの岐路 ・・・ 1920年代の無産者運動史。詳細は省くとして、共産主義と社会主義は相性が悪く、共闘と分裂の繰り返し。共産党の「天皇制打倒」のスローガンは国民の支持を失うほどの危険なワードだった(皇国イデオロギーはそこまで浸透していた)。20年代後半に二回の共産党員検挙事件があったが、逮捕された党員を支持する国民はほとんどいない。
ロンドン軍縮会議 ・・・ 1930年にロンドン軍縮会議。アメリカの海軍拡大計画とイギリスの不況、中国情勢の不安定で軍縮気運が高まる。政府は交渉のすえ、妥協案を取り付けるが、軍部と野党の反対にあう。右翼の反政府街宣激化と浜口首相狙撃事件。政府や大蔵省の焦点は震災手形問題と銀行整理。なので緊縮財政と増税で乗り切りたい。おかげで小売りや農漁民対策はあとまわし。こういう不満と不安から、右翼運動が起こり、国民は政権を取りたい政党の政争にあいそをつかす。
1980年代に書かれたものなので、リベラルや共産主義・社会主義運動に多くのページを割く。彼ら先駆者の功績は十分な敬意を払うが、時代情勢を把握する際、右翼や右派宗教の大衆運動にもっと注目しないといけない。彼らの運動は世論形成に大きく働いたうえ、官憲が十分な警備を行わなかったので、テロルが蔓延した。それは他の国民を委縮させ、ファシズムを作る力になる。
そういう点で戦後昭和の歴史学は全体主義の起源やファシズム分析を怠っていたのだ(不要なくらいにリベラルが浸透していた)。
2023/01/19 中村政則「昭和の恐慌 昭和の歴史2」(小学館文庫)-1 1988年に続く