odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「ワイマルのロッテ 下」(岩波文庫)-2 大ゲーテは自己弁護しシャルロッテは幻滅して郷愁を味わえない

2023/04/21 トーマス・マン「ワイマルのロッテ 下」(岩波文庫)-1 大ゲーテは過去にうぬぼれ他人を嫌う俗物になっていた 1939年の続き

 

 前の第7章はシャルロッテの想像であるかのようにメモを書いたのだが、どうやら誤っていた。第7章はゲーテその人の内話でした。トーマス・マンによる大ゲーテの脱神話化の作業はすごい。ゲーテの全集を読み、彼の周辺の人々を調査し、同時代のできごととつじつまが合うようにしている。その知的エネルギーと文章のち密さときたら、追従できる人が思い浮かばないほど。

  

第8章 ・・・ 第6章でアウグストが指定した日(3日後)にゲーテ宅で昼食会が開かれた。呼ばれたのは1名ほどで、シャルロッテ親娘のほかに町の名士たち。かれらは正午の二時間ほど前にはゲーテ宅に到着し、控えの間で歓談する。正午になると食堂に呼ばれ、ゲーテを主人の席にして指定されて席に座る。下女や執事が如才なく食事を運び、主人の話を聞きながら二時間ほどを過ごす。そのあとはデザートを取るために別の部屋に移動し、そこで主人のコレクション(銅版画や古い貨幣など)を見る。なるほど近世ではこのような会席は政治であって、誰を呼ぶか、どの席順にするか、何を食べるか、何を見せるかは貴族や高級官僚の腕の見せ所であり権勢の誇示なのだ。ゲーテはその分では申し分のない資産をもっており、抜群の知性は客をあきさせない話芸も持っている。この会席は見事なものではあるが、一点欠けているのはゲーテがついにシャルロッテに話しかけることがなかったこと。44年前の青春を思い返す時間をゲーテは作らなかった。そこにゲーテや当時の男社会のミソジニーを見ることも可能だろうし、ゲーテ当人が女性を圧倒し無視する権力を使ったのだとみてもよい。シャルロッテゲーテに他人を隷属させる力があるとみている。
 それより会席で重要なのは、中世末期の反ユダヤ主義とそれによるジェノサイドを皆が笑いながら離したことだ。ある町でキリストの受難をユダヤ人に押し付ける説教をすると、熱狂した兵士の扇動でユダヤ人街が襲撃され虐殺が起きた。煙突に隠れていた一人だけが助かったが、高揚のあとに反省したドイツ人はそのユダヤ人を市民にした。これを客たちはドイツ精神の寛容や礼儀として称揚する。ゲーテユダヤ人は優れていると発言し、「ドイツ人は世界から嫌われている」ともいう。小説の発表が1939年であることを思うと、このエピソードはナチスドイツへの明確な批難である。当時のドイツで尊敬されていたゲーテユダヤ人は優れていると言わせることはドイツへの挑戦であった。
(しかしその後にはシナ人(ママ)への根拠なしの侮蔑やデマが並べられ、客たちはヘイトスピーチを言い合っては笑い高じる。ある民族へのヘイトスピーチを止めても、他の民族には無関心なのはよくない。発表当時の人権意識の反映とは思うが、21世紀の読者は注意深くあってほしい。)

第9章 ・・・ それから一月ほどシャルロッテはワイマルに滞在する。ゲーテの体調はよくないし全集の校正で他のことができない。シャルロッテは「ロザムンデ」の劇(のちにシューベルトが曲をつけた。もちろん当時は無名の作曲家の作品なので誰も聞いていない)を見に行く。帰りの馬車に大ゲーテが待っていた。シャルロッテは第8章の再会の後に「和解的結末」をつけたことに感謝するが、再会は失敗だったという。44年前の青年は偉大な人物になり、若い女性は平凡であった。その平凡な立場から見ると、老いた大ゲーテは諦念と萎縮にあり、暴君がいけにえを要求しているようなのである。それはシャルロッテの美や善の意識とは異なるのだ。大ゲーテはいろいろ言い訳をするが、シャルロッテは「あんた(du)の老年が平和に恵まれますように」と言いおいて別れる。再会は幻滅であったが、それを悔やむほどの意欲は老いた彼女にはもはやない。
(44年前にduで呼び合った二人であるが、再会時にはシャルロッテはduと呼ぶのに、大ゲーテはsieと返す。ゲーテ心理的距離を遠ざけているので、シャルロッテはいっしょに過去を郷愁することができない。ゲーテの他人行儀さは第8章の昼食会で明らかになっていた。なるほどこの44年間の経験は互いの心情がわからなくなるほどの長い時間であるが、それでもあの甘美な瞬間を思い出すことは可能ではないか。そういう心持でいたのに、郷愁を味わいたいと思うのは自分だけであり、相手にはそのような感情はない。相手の心情が過去にさかのぼって初めてわかったときに、再会は苦いものになり、相手にはすでに終わっていることに自分だけが固執していたことに気づく。個人的な体験をいえば、ゲーテシャルロッテの44年ぶりの再会に起きたこととおなじことを、およそ20年後の再会で味わい失望し、自分のバカさ加減に自嘲することになったのだ。というわけで、自分はシャルロッテの側にたっている。)
(第7章、第8章のゲーテは小説の中では実在しているが、第9章のゲーテシャルロッテの想像にあるもの。宿についたとき、いつもの番頭がシャルロッテにあいさつするがゲーテのことに一切触れていないのがその証。自分の考えがまとまらない時、架空の相手と「対談」して、答えが見つかるのもよくあること。シャルロッテゲーテの関係は第8章で終わっていたが、満足しないシャルロッテは1か月間、ゲーテのことを考えて、「ロザムンデ」の劇をきっかけにして、44年間不在だった相手との関係に決着つけることができたのだった。これも俺は経験した。)

 

 「44年ぶり」をトーマス・マンに置き換えれば、1939年の44年前は1895年でマンが20歳の時。彼はもっと若い時に「若きウェルテルの悩み」を読んでいるはずだが、おおよそシャルロッテと同じ年齢でゲーテにあい、「44年ぶり」にゲーテに再開する。その間に全集を繰り返し読み、さまざまな語句を頭に入れている。そういう深い読みができる人が老年にいたって再読した時に感じたのはシャルロッテと同じ幻滅と失望であっただろう。「ドイツ精神」を生み出した(明示化した)当人であるが、44年間の権力との迎合は、尊大化し他人を隷属させるに躊躇がない人格になり、創作物を見ると諦念と萎縮が目立つ。若々しい精神も批判を受けることがないと、俗物化するということか。
それはトーマス・マンが生きたドイツもそうであり、ゲーテを生んだ市民社会が19世紀中に大衆社会に変貌し、モッブによるレイシズム運動が全体主義社会となって人類に災厄をもたらす最悪の集団と化している。すでにドイツによる国内属領内のユダヤ人をターゲットとする官製のヘイトクライムはよく知られていた。トーマス・マンヘイトクライムを俎上にあげるのではなく、ドイツが尊敬するゲーテを問題にした。知識人やスノッブにはとても興味深い内容になったが、あまりに迂遠すぎて真意は伝わりにくい(俺も初読の時はたいくつなだけで何も読み取れなかった)。そこで、「ドイツ精神」そのものを問題にして批判したのが、次の「ファウスト博士」。
<参考エントリー>
名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)-2

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