odd_hatchの読書ノート

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名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)-2 ワーグナーは反ユダヤ主義者で女性蔑視者

2023/06/01 名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)-1 制作開始から初演までのドキュメント 1988年の続き

パルジファル〉の受容に関する主要文献(続き) ・・・ ベルリン工科大学音楽学教授カール・ダールハウスが1971年に書いた論文。先駆は「タンホイザー」。パルジファル-ショーペンハウアー-仏教の系譜(復活、クンドリーの救済にみられるとのこと)。パルジファルは行為に駆り立てる意志がなく、あきらめだけ。決定的行為は拒絶であり、無目的。あきらめがあったから共苦・同情を獲得できた。音楽は半音階(アンフォルタスとクリングゾル)と全音階(パルジファル)が混じっている。

パルジファル〉におけるイデオロギー論争 ・・・ 「パルジファル」初演1882年から100年後に、読み直しが行われた。いくつかを収録。
ローベルト・グートマン「道徳的な破綻 〈異教徒とキリスト教徒〉と〈パルジファル〉」 : ワーグナーは「異教徒とキリスト教徒」という論文を1881年に書いていて、それは反ユダヤ主義の主張である(wikiを見たが邦訳はなさそう)。その論文でワーグナーアーリア人の頽落と蘇生の希望を書いている。アーリア人の男性優位な秘密結社を構想していて、それが「パルジファル」の聖杯城。これはワーグナー一家が住んだ家も象徴している。聖杯(イエスの血を受けた杯とも石とも)を守護する騎士は純粋性をもち外界と戦うグループでなければならない。閉鎖的でカルト的な共同体である(第1幕や第3幕のミサの形式は交霊会)。聖杯城に敵対する魔法の城とクリングゾルという魔術師はユダヤ人とみなされている。クリングゾルは富と性で聖杯の騎士を誘惑するのだが、それは反ユダヤ主義の偏見の反映(クリングゾルはオルトルート、ベックメッサー、アルベルヒの系譜に立つという。彼らもユダヤ人とみなせる)。異教徒でありイエスによって永遠の呪いをかけられたクンドリーもユダヤ人とみなせる。聖杯城は城主かつ司祭役のアンフォルタスの治らない傷で衰退している(クリングゾルの奸計に乗ったため)。それを救うパルジファルアーリア人の優秀さを体現した選民・エリート。性(と富)の誘惑をはねつけた純潔や禁欲の持ち主が聖杯城を救う。世界苦はアンニュイ倦怠や沈滞に変わる。もうほとんどナチスの思想に重なる。
(1843-44年にカール・マルクスが「ユダヤ人問題に寄せて」を書いているが、主張の内容はワーグナーの書いたものにほとんど一致する。二人にみられるユダヤ人自身によるユダヤ性の排斥や同化の強制は当時の時代風潮だったのだ。)

ハルトムート・ツェリンスキー「〈パルジファル〉の中の口外されない内容」「リヒャル卜・ワーグナーの最後のカード」 : 1970年代に出たワーグナー伝の批判。故意にワーグナー反ユダヤ主義を無視しているというもの。メモ。「救済者に救済を」は(異教徒かつユダヤ人である)クンドリーの洗礼と没落を前提としている。「パルジファル」はアーリア的なキリストの理念を示唆している。

ヨアヒム・カイザー「ツェリンスキーのワーグナーパルジファル〉論への疑義 : ワーグナーは「パルジファル」で反ユダヤ主義や前ファシズムを表現することはできなかった、という反論。

ハノレトムート・ツェリンスキー「ヨアヒム・カイザーに答える」 : 君のその反論で「口外されない内容」があることが明らかになったよ。

カール・ダールハウス「救済者に救済を」 : ツェリンスキーをたしなめながら、ワーグナー反ユダヤ主義者であることを認める。

 

 これらの論文がきっかけになったかどうかは不明だが、初演100年以降ワーグナースクリプト通りにする演出は少なくなった。ワーグナー反ユダヤ主義女性差別は隠すようにしてきたが、最近は演出に反映する試みが増えたように思う。とくに目に付いたのは以下の演出。
2012年バイロイト音楽祭でのヘアハイム演出による楽劇「パルジファル

odd-hatch.hatenablog.jp


2017年バイロイト音楽祭でのバリー・コスキー演出による楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

mainichi.jp


 とはいえ、1982年の論文は21世紀の20年代に読むには古すぎる。ワーグナー反ユダヤ主義者であることを認め、オペラに反映されていることを直視するところから考えるべき。そういう論文はすでにたくさんあるだろう。
 日本で1986年に出版された新書で、ワーグナー反ユダヤ主義が説明されていた。
高辻知義「ワーグナー」(岩波新書)

 

〈さまざまな聖杯伝説物語〉
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」(郁文堂)→ https://amzn.to/49VY3vr https://amzn.to/3w2QOnO
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ブルフィンチ「中世騎士物語」(岩波文庫)→ https://amzn.to/44o28Hu
フランス古典「聖杯の探索」(人文書院)→ https://amzn.to/4bbJUv2
名作オペラブックス「パルジファル」(音楽之友社)→ https://amzn.to/3JHMD3Y

 

リヒャルト・ワーグナー「さすらいのオランダ人・タンホイザー」(岩波文庫)→ https://amzn.to/3Qr3ATP
リヒャルト・ワーグナー「ロオエングリイン・トリスタンとイゾルデ」(岩波文庫)→ https://amzn.to/3UFcxM3 
リヒャルト・ワーグナー「ベエトオヴェンまいり」(岩波文庫)→ https://amzn.to/4biomgm
リヒャルト・ワーグナー「芸術と革命」(岩波文庫)→ https://amzn.to/44lOcOo
エドゥアルド・ハンスリック「音楽美論」(岩波文庫)→ https://amzn.to/3UmnFf7
トーマス・マン「リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大」(岩波文庫)→ https://amzn.to/3webIAh


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堀内修ワーグナー」(講談社現代新書)→ https://amzn.to/3y8ttkU

 

ワーグナーの「パルジファル」を俺は大好きで(きっかけは1985年のバイロイト音楽祭の録音)繰り返し聞いていたが、スクリプトを見るとどうもおかしい。これは人類や人間の救済ではなく、閉鎖的で全体主義のカルト集団が他人を排除して継続していく物語だと思うようになった。「パルジファル」が終わったところから「魔笛」が始まり、「魔笛」が終わったところから「パルジファル」が始まるという円環もよく妄想した。よく見たらこの本を30年前に読んでいたので、自分の「パルジファル」の見方はこの本に影響されているのだろう。今回の再読で、ワーグナー(とマルクス)が反ユダヤ主義者で、作品の中に反映されているというのが発見であり、驚きだった。ツェリンスキーの論文はそれこそ震えるような思いで読んだよ。

 

 最後にディスコグラフィー。「名作オペラブックス」はドイツの叢書を翻訳したので、選者はドイツの評論家や音楽学者だ。彼らはとても辛口な審美眼の持ち主で、1960年以降のステレオ録音を褒めることはめったにない。ここでも推奨盤は1962年のクナッパーツブッシュ盤と、1950年のグイ盤(マリア・カラスがクンドリーを歌っている)。前者は名盤の誉れ高いが、後者はイタリア語歌唱で随所にカットがあるという珍盤だ。そのうえモノラルの劣悪な音質は聞くのが苦しいので、とてもではないが自分からは勧められない。
 クナッパーツブッシュ盤に加えるならブレーズとレヴァインバイロイト盤だな。世評の高いカラヤン(スタジオ盤。ライブはすごかった)、ショルティティーレマンなどはよくない。「パルジファル」はバイロイト劇場の音響で聞かないと(でも21世紀になってからのバイロイトの「パルジファル」には感心したことがないんだよなあ。どれをきいても溜息をついてしまう。)


伊藤乾「指揮者の仕事術」(光文社新書) 2010年

 

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