odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「ワイマルのロッテ 下」(岩波文庫)-1 大ゲーテは過去にうぬぼれ他人を嫌う俗物になっていた

2023/04/22 トーマス・マン「ワイマルのロッテ 上」(岩波文庫)-2 1816年ナポレオンを支持する老ゲーテはドイツ精神の裏切り者と目される 1939年の続き

 

 シャルロッテゲーテが離れ結婚したあとの44年間に十数度(!)の妊娠出産と子育てを経て、夫にも十数年前に先立たれようやく落ち着いた生活になった。21世紀の63歳とは経験の量と質が違いすぎるのである。物腰の柔らかさで、人は気軽に話しかる。質問はほとんどしないし、自分の意見で相手のおしゃべりを止めることがない。おかげで、人はどんどん多弁になっていく。何をしたかはほとんどわからないのに、何をどのようにしゃべったかでその人が浮かび上がってくる。その技術はほとんど老年のミス・マープル@クリスティのよう。何しろシャルロッテは座っているだけ。多くの小説の主人公のように行動して冒険することがない。

  


第6章 ・・・ 続けてシャルロッテに会いに来たのは、御料局顧問官のアウグスト27歳。なるほどワイマールに有名人が来るとなると、昔のよしみをおいておくとしても、宮中顧問官の大ゲーテはあいさつしないわけにはいかない。しかし67歳の大ゲーテは体調不良で外出困難であるので、秘書兼息子を挨拶の使者に送ることにした。シャルロッテからすると、44年前に現れた青年が再び現れたかのよう。アウグストは用件を伝える前に、長々と口上を述べる。それは大ゲーテの近況を伝える内容で、この偉大な人物は偉大さにふさわしいふるまいをするようになり、家族をおろそかにするようになる。家にいつかなかったり妻と子を残して長旅にでたり人の葬式にでなくなったり。それでいて祖母の遺産を処理する際、市に税金を払わなければならないのを免除するよう政治運動をしたり。著作権料の値上げを出版社と厳しく交渉したり。市民的精神を掲げながら、実際は小市民的な貨幣へのフェティシズムも持っている。作品にしても「背徳主義」「みだらな作品」という評を受けることもある(ことに「親和力」)。アウグストは大ゲーテは「時代精神をはるかに越える」と擁護する。ここで描かれるアウグストの「実態」はアデーレの報告の通りという印象があるが、本人の行動や立ち居振る舞いをみると有能な実務家と見える。大ゲーテのわがままを処理するために他人と交渉するのはアウグストだったので、官僚的な性格になったようだ。それもあってか、シャルロッテは他人のために(大ゲーテのために)生きるな、従属するな、結婚して自立しろと勧める。
(アウグストはブレンターノ、アルニムの知り合い。彼らは「子供の魔法の角笛」の編纂者。俺のようなクラオタはマーラーの歌曲集でおなじみの名前だ。)

 

第7章 ・・・ 大ゲーテ(67歳)は目覚める。老衰と老齢は身体の動きを制約し、気分も晴れない。今仕掛り中の仕事はできあがるだろうか、雑用が多すぎる、シラーはダメな奴だった、大衆は自作をきちんと読み取れずに批評ばかりしている、ことに「色彩論」への悪口はなんだ、と愚痴る。
(どうやら「色彩論」は出版当時から評判が悪かったと見える。自分も読んでなんだこりゃだったが、大ゲーテ存命中から批判はあったようだ。個人的な記憶を言うと、本書を読んだからゲーテ「色彩論」岩波文庫を入手したのだった。すっかり忘れていた。)

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 本作によると、ゲーテは自分を「ディレッタント」であると考えていて、「ディレッタントを王侯は理解している(しかし大衆はわかっていない)」と愚痴を垂れている。ディレッタント歴史的評価はリンク先を参照。)
小宮正安「モーツァルトを「造った」男」(講談社現代新書

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 そして大ゲーテは昼食になるまで、ベッドの中で考える。その内話とときどきゲーテを訪れる助手や世話係と話をする。膨大な言葉から浮かび上がるのは尊大ぶった俗物としてのゲーテ。過去の作品にうぬぼれ、自叙伝ばかりを書き続け、ペダンティズムで人を韜晦し、マンスプレイニングで人を圧倒することだけに関心を持つ。過去の作品とローマやギリシャの古典を縦横無尽に引用して重厚な文体を使って、妄想の翼を広げる。現実に起きていることにはほとんど関心がなく、手続きを遵守することが重要であるという保守と官僚主義が政治的立場の根幹だ。だから王侯の気を惹くことには熱心であっても、大衆民衆が政治に参加することは認めない、彼らは無知だから。といって貴族にもブルジョア市民にも期待しない、彼らのドイツ精神は悪意に満ちているから。大ゲーテはドイツ精神を体現していると自認しているが、生涯を振り返れば時代の潮流にいち早くのり、少し先進的であっただけだ。今(1816年)に興味をもっているのはインド哲学であるが、それも18世紀後半にゾロアスター教がヨーロッパに紹介され人々が熱狂したからなのだ(ラモーが歌劇「ゾロアストロ」を書くくらいに)。この偉大な人物にとって、重要なのは彼の生涯であり、そこで身に付けたドイツ精神という他人の批評を拒む鎧である。それを身に付けていない大衆や市民を嫌悪するし、それよりなにより生活することそのものが苦痛で面倒なことに他ならない。といって身の回りのことは助手や世話係や秘書の息子の手がなければ何もできない。なんという尊大ぶった俗物であることか・・・
(この章はゲーテ本人の内話ではない。膨大なゲーテの作品を読み、引用するできる人が妄想したゲーテの内面だ。それができるのは、これまでの登場人物ではシャルロッテしかいない。第6章までの膨大な会話を終えて疲れたシャルロッテが午睡を楽しんでいるときに、夢見たことなのだろう。ゲーテの身近にいて影響力を受けることがなく、ほぼ同い年で若い時の印象しかないから、大ゲーテを偉大にしない。この世でほぼ唯一大ゲーテにタメ口で喋れる人だから、世の人が感じるオーラを大ゲーテに見ないですむ人なのだ。
 そうして見えてくるゲーテの俗物ぶりときたら・・・。あまりに若く成功し、世の中の階段を一気に登ってしまうとこのように変貌してしまうものなのか。ドイツの第一級の知識人ですら、俗物化から免れることはできない。
 この認識は翻ると、発表年の1939年でのドイツの代表者に対する批判と諧謔であるのだろう。自己演出にたけたカリスマの内面はこのように空疎であるし、わがままで人を翻弄させる。いや翻弄され疲労させることこそがカリスマの目的であるのかもしれない。ドイツ国民はこのような内容空疎なカリスマの思い付きに右往左往させられる助手や世話係や秘書の息子のようなものなのだ。
 それにしてもトーマス・マンの技術はすばらしい。ゲーテ全集の隅々まで熟知し、縦横無尽に引用して、いかにもありそうなゲーテの独白を100ページ近く書き続ける。この根気とち密さにはまいった。恐らく当時の最新手法だった「意識の流れ」にも影響されたか、パロディにしているか。ともあれこれほどの書き手はまずいない。)


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2023/04/20 トーマス・マン「ワイマルのロッテ 下」(岩波文庫)-2 大ゲーテは自己弁護しシャルロッテは幻滅して郷愁を味わえない 1939年に続く