odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

西村京太郎「太陽と砂」(講談社文庫) 総務省がイメージする「二十一世紀の日本」に沿うようにこしらえた迎合と翼賛の小説。

 この小説の来歴は少し変わっている。1967年に総務省が「二十一世紀の日本」をテーマにした懸賞小説を募集した。これに当時新進作家だった西村京太郎が応募して、賞金500万円を手に入れた。すでに乱歩賞も受賞していたが、ヒットに恵まれていたわけではない作家にとってこの賞金額は魅力的だったに違いない。当時の大卒初任給は3万円少しだったので、総務省はかなりの太っ腹だった。

https://nenji-toukei.com/n/kiji/10021
 そのことが頭にあったので、途中でどういう小説になるかがすっかり分かってしまった。

 団塊世代の若者がいる。コスモポリタンモダニストを自称する若者は、日本文化には興味がなく発展がないと考えている。そこでアフリカ(エジプト)に太陽熱発電基地を作る事業に参加した。砂漠に圧倒され、工事現場近くで落盤事故にあってから懐疑が生まれる。人間を拒否する砂漠において西洋の知識は役に立たず、芭蕉の一句が心の支えになった。工事現場ではラマダンで働く意欲をなくした(ように見える)アラブ人に困惑と怒りを覚える。
 もうひとりの若者はアメリカ人の母を持つ能楽界の異端児。能が国家の支援を受けるようになってから堕落しているのに、誰も危機感をもっていない。これでは日本の伝統が失われるではないか。それならば権力に弾圧された世阿弥のように、舞台から飛び出して能を実践するべきではないか。太陽熱発電の工事現場で能を上演することをもくろむが、能協会は彼を除名し一切の支援を拒否する。そこでアマチュアといっしょに上演にこぎつけるが、砂漠は彼を厳しく拒否した。
 この二人に愛された女性は、ひとりを選ぶことができず、求婚された晩に睡眠剤を飲む。
 作家西村京太郎は総務省の懸賞小説で当選するようにこういう仕掛けを施す。

・未来でも東西冷戦体制は継続し、中国は毛沢東亡き後も「文化革命」を行うほどに遅れている。日本は西側ではあっても戦争に加担しない「中立」なので、経済と技術支援で後進国第三世界に行ける。これは当時の日本の立ち位置そのまま。

・政治と経済の仕組みは変わらないが、技術とガジェットは少し進む。大型ジェット機やエアカー、太陽熱発電が実用化。これも当時の未来イメージそのまま。

・黒人と日本人のハーフ(ママ)の女性歌手は差別にあって自殺するが、白人と日本人のハーフである能楽師は差別されない(しかし伝統団体の幹部にはなれない)。工事現場を仕切る欧米人は名がありしゃべるのに、労務を行うアラブ人は無名で彼らの言っていることは聞こえないしわからない。ラマダンを前近代とバカにして、アラブ人の悪口をいう。これも日本人のナショナリズム差別意識そのまま。

・エジプトに太陽熱発電が必要である理由は説明されず、環境アセスメントをした様子はない。アスワンダム同様に西洋の技術を押し付けている可能性を懐疑することはない。むしろ日本は協力することに誇りを感じている。これも当時の後進国支援そのもの。

・伝統の変革を要求する若者は、父に激しく拒絶される。国の支援保障を受けたことを批判されても、父権的な高圧で若者の主張を圧殺する。能楽協会がそこまで頑迷固陋であるかはわからないが、この対立は当時の大学闘争のカリカチュア。変革を要求する若者はのちに自己批判して失敗を認める。政府官僚からすると、権威に対抗して勝利するのは認めがたいからね。それに白人と日本人のハーフが伝統芸能を継承するのも認めがたいことだろうし。

・二人の男性に求愛されて分裂し誰かにつくことを潔しとしなかった女性は「ヤマトナデシコ」の価値観を体現しているのだろうが、男性からすれば都合の良い女性。自立して自分の意見をいうのは認めがたい。(なので本書に登場する主張する女性はハーフや白人だけ。もちろん主張はするが、それを日本人は聞き流す。)

・日本文化や伝統に懐疑することはかまわないし、たしょうコスモポリタニズムやモダニズムにかぶれることはかまわない。西洋由来の観念で文化論をやることは大いに奨励される。でも、日本の体制から逸脱することは認めない。それは絶対に阻止するし、なんなら収監してでも思想矯正をする。この主人公のように自発的に日本に回帰し愛国心に目覚めるのがのぞましい(完全転向を表明するまでするとあざといので、本書のように西洋を懐疑するところで十分)。

 タイトル「太陽と砂」の太陽はエジプトの象徴、太陽熱発電などを思わせるだろう。でも上のようにみると、「太陽」旭日旗に他ならない。西洋でも日本でもない砂漠の「砂」で日本人は生きていけず、日輪を仰ぐ慈愛の場所には勝てないというメッセージになる。外国に行っても、日本の共同体から離れようとも、「太陽」たるシンボルから日本人は逃れることはできない。なので、それを受け入れてしまえ。
 本書は総務省がイメージする「二十一世紀の日本」に沿うようにこしらえた迎合と翼賛の小説。その献身ぶりは懸賞賞金になって報われたが、作家の仕事として誇れるものじゃない。

 

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