冒頭で作者はこの推理小説は双生児トリックを使っていると明記している。奇術ではよくある趣向(入れ替わりや瞬間移動など)だが、ノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則でも、双生児を登場してはならないという一項があった。19世紀末の短編探偵小説全盛の時代に、双子トリックが書きつくされていたのだろう。それくらいに手垢のついたトリックを1971年にどう料理するか。
話はふたつ。ひとつは、ぐれた双子による連続強盗事件。たがいに見分けがつかないくらいにしぐさや癖をまねしあい、二人が別々に行動する。すると、目撃者は彼らを特定できるが、どちらの個人なのかを示すことができない。警察の追及にとぼけ続ければ、嫌疑不十分で釈放されるのだ。強奪した金品も手元になければ証拠にならない。実際に、警察の捜査官も事件の目撃者もどちらとも決めることができない。連続強盗は10件近くになったが、銀行強盗を行ったとき、投稿者不明の密告書によって現場を警戒していた警察によって取り押さえられた。その際、一発の銃弾が発射され、一人の女の子が流れ弾で死亡した。こういう犯罪小説。
もうひとつは、匿名の招待者によって雪の山荘に6人の無関係な男女が集められた。彼らに共通することを当てれば10万円の賞金を得られるという(大卒初任給が2~3万円のころ)。大雪は交通を遮断し、電話線を切断した。旅館の雪上車とスキーは破壊され、脱出できない。そこにおいて招待者は一人ずつ殺されていく。事件のごとにボーリングのピンが一つずつ減り、復讐が完了したというカードが置かれていく。パニックになる残された人々。ついには山荘の管理人も殺され、全員が殺された時にようやく事件の連絡を受けた警察と報道機関が到着した。
探偵小説の愛好者としてはどうしても雪の閉ざされた山荘で一人ずつ殺され、全員が他殺であるというクリスティ「そして誰もいなくなった」類似の事件に関心が向いてしまうのである。この事件には十津川警部も、別の警察官も、新聞や雑誌の記者もいないので、事件を捜査しパニックを整理する第三者はいない。事件に巻き込まれたもののパニックだけが伝わるので、読者もつられてしまう。これは地の文でも会話でも技量がないと読者に伝わりにくいものだが、当時40歳(1930年生まれ)の作者は頑張っている。
でもタイトルは「双曲線」なのであって、双曲線は交点を持たないが、距離の差が一定なのである。
では何と何の差が一定であるのか、ということはタイトルの比喩には含まれていないだろう。近づいてはいるが接することがないという状況であるというくらいの比喩。もちろん読書中はタイトルのことを忘れているので、「さて、みなさん」(というシーンはないが)のあとの真相解明で驚愕するのだ。ここでは後半にある無名の人物のモノローグが挟まっているのだが、たぶん素通りしてしまうこのテキストの意味がのちにわかり、フェアプレイの精神が貫徹しているのを確認するだろう。作者稀代の傑作。
(という評価は正しいのであるが、20年ぶりの再読ではすっかり記憶を取り戻してしまったので、初読の時ほどの熱を持てなかった。まことに探偵小説は再読できないジャンルなのだなあ。)
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