odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

赤川次郎・有栖川有栖他「金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲」(角川文庫) 日本的なあまりに日本的なキャラとパスティーシュ

 ときには、古めかしい謎解きものを読みたいと思って(形式がはっきりしているから読んでいて筋に混乱することがないのだ)、アンソロジーを手にする。2002年初出、2014年文庫化。
 金田一耕助パスティーシュ。都築道夫によると、「名探偵のパスティーシュの方法には、パロディ的な人物を登場さす直接型と、一般人が名探偵になりきるというドン・キホーテ型の2種類がある」都筑道夫「名探偵もどき」(文春文庫)。このアンソロジーの諸作はどれに当たるか。

もじゃもじゃ頭の冴えない書生姿。しかし誰よりも鋭く犯人の心に潜む哀しみを解き明かす心優しき探偵――。横溝正史が生んだ名探偵が現代作家9人の手で甦る! 豪華パスティーシュ・アンソロジー

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無題(京極夏彦) ・・・ 昭和30年代の暑い夏の日。うつ病の作家が出版社に行こうとして途中で気力が尽きる。介抱してくれたのは10歳ほど年上の紳士。ほとんど売れていない語り手の本を読んでいて、信州の作家との探偵小説談義を聞かせる。1980年代以降の探偵小説作家は一人称のとりとめない曖昧なモノローグを書くものだが、作者のはうっとうしくもわずらしくもない。一人称だが、独我論にならない客観視(しかし自虐に陥らない)ができているから。それに言葉がとても明晰。ときに古い漢語を使うのも、これらに有効。語彙を持つのは大事だね。

キンダイチ先生の推理(有栖川有栖) ・・・ 人気デュオが解散することになり、ある少年が公衆電話で話している歌手を見た後、撲殺されていた。探偵小説ファンの少年はキンダイチ先生にその話をする。翌日、先生は刑事と話し合った。都筑道夫の少年探偵もののような古めかしいスタイル。この時代(平成の一桁)は公衆電話がまだあったのだね。

愛の遠近法的倒錯(小川勝己) ・・・ 1952年、休暇中の耕助に久保銀蔵が昔の殺人事件を語る。「八ツ墓村」と「悪魔の手毬歌」と「本陣殺人事件」のアマルガムに、戦前耽美小説を融合したもの。日本の探偵小説には関係者を複雑にし、事件の発生から書くという悪癖があるが、これもそれにあたる。

ナマ猫邸事件(北森鴻) ・・・ 「黒猫邸事件」のパロディ。下品。

月光座(栗本薫) ・・・ 「幽霊座」事件から50年後、同じ場所に復活した歌舞伎小屋で古の事件の関係者が同じ演目を上演。役者が失踪した。いあわせた九十翁になんなんとする耕助が伊集院大介の手引きで解決する。「病院坂の首くくりの家」のあとの事件。

鳥辺野の午後(柴田よしき) ・・・ ある男性をめぐる三角関係を清算するために、女二人がロシアンルーレットの賭けをする。毒を飲んだはずの女が生き延びたことの謎を私立探偵に頼む。学生時代からの知り合いである二人の10年間のすれ違い。女の嫉妬というテーマが俺には新鮮。佳作。

雪花散り花(菅浩江) ・・・ キム・デン・ニノマエ(一と書く)の三人で金田一探偵事務所を京都に開く。最初の依頼人は花街の人。私が別れの暗号を送ったのが原因で旦那を死なせたのではないか。京都の伝承歌のとおりの記号がでてきて、京都育ちの探偵が謎を解く。地元でないものには解きようがない。都筑道夫「ホテルディックシリーズ」のように京都花街を想像する。

松竹梅(服部まゆみ) ・・・ 昭和44年、風邪を引いた耕助は医者から歌舞伎のチケットを渡される。相席は医者の家族(母とその双子の妹ほか)。観劇中、席を立った若い娘がトイレで刺殺体で見つかる。横溝正史の意匠がちりばめられた短編。あいにく人間関係が込み入りすぎて、事件の概要がつかめなかった。

闇夜にカラスが散歩する(赤川次郎) ・・・ 汽車に乗っていると、ある男に「闇夜のカラス」と言われる。別の紳士に「カラスの散歩」と答える。紳士は「5分後にデッキへ」という。気になって行ったら・・・。マンガ「ルパン三世」のような騙し合いの連続。とてもトリッキーな佳品。たぶん初期の短編と思うが、このアンソロジー唯一の傑作。おみそれしました。

 

 都筑道夫の分類では直接型とドン・キホーテ型の二種類だが、この国では著作権者の了解を得たうえで(かどうかはわからないが)キャラクターをそのまま登場させる型もありそう。ここにもいくつかある。その方法には・・・
 全部で9作収録されている。うち4編が女性の手になるものというのが21世紀らしい。女性のほうがキャラの描写を丁寧にして、横溝正史の作品世界を再構築しようと努力している。それに比べると男性のものは手抜きというか下品というか、キャラの特長を誇張するだけで・・・
 という分析を放り投げてしまうのは、どれもこれも小説作法のまずさが目立つから。複雑な人間関係をわかりにくく書くし、事件を時間の流れそのままにするし、語り手が直接見聞していない情報は新聞記事のような文章で語らせるし、味気ない会話が続くし・・・と日本のエンタメのダメなところの寄せ集めのようにみえました。最後に赤川作を入れたのは編集者がそういうところをわかっていたせいか、都筑道夫の「金田一もどき」をいれなかったのもそのせいかと、勘ぐってしまう。

 

赤川次郎有栖川有栖他「金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲」(角川文庫)

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