ちょっとハードな読書をしていたので(ジェイムズ・ジョイスを集中的に読んでいる)、息抜きに「孤島もの」の探偵小説に手を出す。ストーリーは常に一緒で、しかし無数のバリエーションがあるので、気楽に読めるのだ。
犯罪社会学者の火村英生は、友人の有栖川有栖と旅に出て、手違いで目的地と違う島に送られる。人気もなく、無数の鴉が舞い飛ぶ暗鬱なその島に隠棲する、高名な老詩人。彼の別荘に集まりくる謎めいた人々。島を覆う死の気配。不可思議な連続殺人。孤島という異界に潜む恐るべき「魔」に、火村の精緻なロジックとアクロバティックな推理が迫る。本格ミステリの醍醐味溢れる力作長編。
https://www.shinchosha.co.jp/book/120436/
孤島にいるのは象徴派詩人の大家で熱烈なファンを持ち、集まったのは彼のファンたち。でも産科医がいたり、小学生の男女がいたりと、ファンの集まりにしては奇妙だ。なにしろ携帯電話の圏外であるような孤島で、村人はすでにいない廃墟なのだし。しかも今を時めくIT企業のやりて経営者が個人所有のヘリコプターで乗り込んでくる。たまたま居合わせた探偵と記録係は、なぜこの集まりがあるのかに疑問を持つ。到着翌日に、島の管理を任されている男が死に、ついでIT企業のやりて経営者が断崖から滑落して死亡しているのが発見される・・・
サマリーをこの先続ける意思も、謎解きの趣向を解こうとする意思はもうない。なんでこんなに素人っぽい小説を読まされるのか、なんでこんなにこどもっぽい小説を読まされるのか。そんな疑問が先にでてきて、小説のことを考える気持ちになれなかったから。
作中で言及されているように、探偵小説は結末から逆算して書かれるのだけど、これもそう。その考えの正当性をエドガー・A・ポーを使って説明している。それはいいんだけど、逆算の際に、もれてしまったことがたくさんあるのではないか。設定の奇妙さやそれを納得させるためのキャラの配置に気を取られて、どうも動機やキャラの性格付がおろそかになった。おかげでだれも、そこにいるだけのキャラで個々が持っている過去の物語がさっぱり浮かび上がらない。それは大学生や大学院生を主人公に、あるいは学校を舞台にする探偵小説にはいいんだけど(なので、この作者の「月光ゲーム」はよかった)、そうでないのはつらい。デビューして15年、作者が40代になっても、こういう認識なのか、と。やれやれ。
後から振り返ると、この小説は乱歩の「パノラマ島綺譚」1925年のパスティーシュなのだねえ。島を作ったものの欲望が「パノラマ島」を作った人のそれと同じ。そうみると、この国の探偵小説は80年かけてどこに到達したのかとか、愚痴を言いたくなってしまう。