odd_hatchの読書ノート

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ジェームス・M・バーグマン「黒人差別とアメリカ公民権運動」(集英社新書) 1950-60年代の公民権運動。白人レイシストと行政・司法が結託して黒人に暴力・リンチを行い、どう対抗するかが重要課題。

 アメリカ黒人の歴史のうち、1950-60年代の公民権運動を描く。黒人の歴史(アメリカでは大学の授業がある)の通史は以下を参照。

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上杉忍「アメリカ黒人の歴史」(中公新書

 本書を呼んだ限りでは、「公民権運動」は公的空間での黒人の人権を尊重し、法整備と運用を求めるもの。19世紀の「ジム・クロウ法」で人種差別と白人優位が法的に確立していたが、WW2以降新しい公共空間ができた。そこは「ジム・クロウ法」の適用があいまいだったので、黒人の人権を入り込ませる余地があると考え、運動の対象になったのだ。それがバスであり、カフェであり、とくに学校だった。あわせて黒人の有権者登録を進める運動もあった(それまでは白人が登録を阻止していた)。また裁判で司法に人権を認めさせることは運動の重要な手段だった。以下の個々の事件でも、裁判闘争が行われている。これらの公民権運動に対し、白人レイシストと行政・司法が結託して黒人に暴力・リンチを行った。権力側の暴力にどう対応するかが運動の重要課題になった。

プロローグ 名もなき人々の公民権運動 ・・・ アメリカの最もダイナミックな社会運動が公民権運動。参加者は無名であった。アメリカのようになりたいのは、黒人をカナダに逃亡させる運動の博物館や国立奴隷制度博物館がつくられるところ。

第1章 訴訟の始まり ・・・ 南北戦争後の奴隷解放令で法的には平等とされたが、白人は人種差別と白人優位を成文化した。それが「ジム・クロウ法」。分離するが平等がそのスローガン(今でもネトウヨレイシストがいってる)。1954年以前はおもに訴訟で差別撤廃運動が行われた。1954年に黒人が大学に入学できるという最高裁判決がでた。これが運動の開始とされる。ものすごいバックラッシュが白人側から行われる。

第2章 高なる心 ・・・ ジム・クロウ法のころから白人による黒人リンチが常態化していた。白人は殺害しても無罪だった。1955年エメット・ティルのリンチ殺害事件で白人二人が無罪になったあと、白人は自分の殺害の様子を雑誌に語った。少年ティルの損傷された死体は葬儀や雑誌で多数の人の目に触れた。

第3章 「運動」の始まり ・・・ 1955年、ローザ・パークス事件。ローザ「白人のいわれるまま屈することに疲れた」。このときにリーダーになったのがキング牧師(26歳)。教会は黒人社会の中心で、集会場所だった。バスボイコットは白人レイシストに殺される可能性があるもので、脅迫や放火、爆弾などがあった。キング牧師は非暴力と消極的抵抗で対抗するよう指導する。バスボイコットが382日続き、乗客の9割が黒人だったバス会社は白人数人しか乗らないので赤字になり、黒人のバス乗車を認める。同時に裁判も行われて上級審で差別であると判断される。この勝利はあっても、嫌がらせや脅迫が続き、ローザはのちに北部に引っ越す。
(最初に事を起こした人を英雄にするのではなく、怒りに呼応して行動した無数の無名の人々と同じことができるようにしたい。)

第4章 旗を掲げて―公教育の差別撤廃 ・・・ 1957年リトル・ロック事件。質の高い教育を望む黒人が公立学校に通おうとして人種統合に反対する白人の妨害・嫌がらせ・投石などにあう。町全体が在特会で、政治家がレイシストであるような状況。大統領が介入したりして入学できたが、陰湿な嫌がらせや暴行が続けられる。
(学校に入学できた、よかったという話ではなく、その後の運営で差別や暴力が行われないようにする仕組みが必要だった。それがないところでアファーマティブアクションや人種統合を行うと、差別の加害が隠蔽され被害者の負担が増える。)
(リトル・ロック事件で黒人生徒を罵るシーンを撮影された白人女性はのちに黒人生徒に謝罪した。さまざまなシーンで写真が使われたのに耐えられなくなったため。)

第5章 公共施設の差別撤廃にむけての新たな運動 ・・・ 1960年グリーンズボロ―のカフェのシットイン(白人用カウンターに黒人が座ってサービスを待つ)。1961年のフリーダムライド(黒人と同調者がバスに自由に座り白人設備を使用する)。いずれも白人レイシストによる嫌がらせや暴行を受け、時に重症を負わされる。白人暴徒は逮捕されず、黒人が逮捕される。これらはテレビで放送され、世界中に知られることになった。

第6章 ミシシッピ州での戦い ・・・ 1962年ミシシッピー州の法科大学に黒人が入学しようとして(アジア系やヒスパニックなどは入学していた)、知事や白人レイシストが阻止。エスカレートして暴動になり(ボブ・デュランの「Oxford Town」はこの時の様子を歌った歌とのこと)、州兵が派遣される。入学できたが、卒業するまで嫌がらせや脅迫が続いた。

第7章 勝利と悲嘆の一九六三年 ・・・ ミシシッピー州バーミングハムの反差別運動。この町は最も差別がひどく、黒人施設の爆破事件が続発していた。KKKと警察、州知事などが結託して、黒人への暴行や不当逮捕をし、ヘイトクライムを一切とりしまらなかった。この運動で警察の暴力がテレビで報道される。ここからワシントン大行進が行われ、25万人が参加した。そのうち白人が6万人とされる。キング牧師の「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」演説。行進の18日後、バーミングハムの黒人教会が爆破され、4人が死亡する。11月、JFK暗殺。

第8章 一九六四年の長く暑い夏と約束の地 ・・・ ミシシッピー州公民権運動家がKKKなどにリンチ・虐殺される。アラバマ州セルマで黒人が警察に殺されたのをきっかけに行進が計画され、警察が暴力で制圧する(血の日曜日)。二回目の行進を計画する際に、白人牧師が虐殺される。これで全米で抗議の声が起きる。1965年に投票権法が成立し、全国で黒人の投票権が成立する(それまでは州法で妨げられてきた)。1968年、キング牧師が暗殺され、全米で暴動がおこる。数か月後、ロバート・ケネディが暗殺される。

第9章 運動の結末 ・・・ 以上はおもに、南部の最も人種差別が激しい地域での運動。この運動は各地に広がったが、北部や西部では公民権だけでなく、住宅や雇用の差別撤廃、ベトナム反戦運動なども取り上げていった。マルコムXブラックパンサー、SNCCなどは南部以外での運動。これによって、学校の差別撤廃が進んだ(一方、白人が郊外に移動して、黒人が都市の粗悪な環境に取り残される問題が現れ、人種混交が進まないことが起きている)。雇用でもエスニックだけでなく、性や障害、宗教などの公平性を求める運動の端緒になった。黒人の有権者登録率が上昇し、公職に黒人がつく事例が増えた。南軍期が廃止されモニュメントが撤去されるようになった。過去のリンチや虐殺が裁判で取り上げられ、白人犯人が有罪になる事例が増えた。一方、アファーマティブアクションや人種の公正性に対する白人のバックラッシュが起きている。
(以後の状況は上杉忍「アメリカ黒人の歴史」中公新書を参照。)

 

 以上、教科書が教えない歴史の真実。個々の事件は詳細まで覚えておくように。個人名が出ている人に感銘を受けるが、それを支援し運動に参加した無数の無名の市民に勇気をもらえる。彼らのように動けるように、少しでも近づきたいと思う。
 「黒人差別とアメリ公民権運動」は黒人問題ではなく、白人レイシストの問題であると考えよう。人種や性別にかかわらずレイシストヘイトスピーチヘイトクライムを起こさず、権力から放り出されれば、黒人(に限らず人種)差別はなくなるのだ。なので、問いはいかに黒人の差別をなくすかではなく、いかにレイシストをビビらせて行動できなくするかにある。別に被差別者の黒人に「寄り添う」ことをしても、差別はなくならないしね。それよりレイシストに対抗することが重要だし、差別撤廃の早道。

 

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